仏像復興計画1


98年末。ラジギールへの出張のとき日本寺ドライバーのBが学生のころ受験でガヤ市郊外ジェテアン村にある学校の前に放置された大きい仏像を見たことがあるので、ちょうどラジギール出張で帰り道に立ち寄れる距離なので行きませんかという話があった。

そこはガヤ市郊外の田舎でラジギールとブッダガヤを結ぶ旧道にある大きな学校がある以外はごく普通の農業主体のジェティアンという村であった。村の入り口の丘の上に椅子に座った姿のお釈迦様のブラックストーンという石で作られた仏像が放置されていた。13世紀ムスリムが侵攻した時の名残である。近所のおばさんたちが簡単な供え物はしていたが倒れかかり何百年と放置されている仏像であった。

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ジェティアン仏像 jethian

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ジェティアン仏像、遠景 jethian

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ジェティアン仏像     jethian

 

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村の人に守られている jethian

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近所のおばさんがお参りにくる

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その他放置されたヒンズーの神様像

この村はマガダ国首都ラジギールのビンビサーラ王にお釈迦様が佛法を初めて説いた場所であり、またお釈迦様が安居という雨季の期間出歩かず一箇所に留まって勉強する場所に一時期使ったり、お釈迦様が住んだこともある洞窟があったり、またまた三蔵法師が訪れたという記録も残っているという言わば忘れられた聖地であった。しかしこのようなことは後になって知ったのであってその時は知る由もなかった。

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ジェティアン村人との協議

このとき私と駐在同期のY師と訪れ、あまりの放置ぶりに、この傾いた仏像をせめて土台に乗せて日本で言うところのお地蔵さんくらいの形にしましょうと決めた。その後ジェティアン村の人々とも話し合い、それならどうぞ作ってくださいという話でまとまった。ちょうど私は駐在を終えて帰国することとなったが、必ず帰国しても復興しようと誓った。

 


チャイ


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素焼きのカップ

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村のチャイ屋

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お菓子も売っている。必ず上の方をいただこう。下の方は下痢確率が高い

インドといえば「チャイ」。シナモンやマサラなどを少し入れて砂糖をたくさん入れる通常のミルクティーではないインドの紅茶である。インド人はこれを作る人をチャイワーラー(紅茶屋さん)と言い、彼らのいない場所はない。そういえば映画『スラムドック⭐︎ミリオネア』の主人公をチャイワーラーとクイズの司会役のアミダブ・バッチャンがいっていたのを思い出す。ホテルなら50Rs以上、飛行場なら20Rs、鉄道なら5Rs、村なら3Rsぐらいと値段は大きく変わるが確かなのは安いほど美味しいということだ。ホテルは綺麗な陶器のカップにいれられ砂糖は自分で入れる日本と同じミルクティー式。飛行機はかっこいいネスレなどの印刷した紙コップに機械から出るインスタントのチャイ。鉄道はヤカンに入れたものをペラペラのプラスチックコップに入れる自家製チャイ。村は土で作った素焼きコップ(日本人から見るとおちょこ)に注文を受けてから作る自家製チャイ。村のチャイはコップの素焼きの独特な土の匂いとともにいただくチャイはわたし的には世界一おいしい飲みものである。小さいグラスに入れたりするバージョンもあるが衛生的に見ても、土で作った小さい素焼きカップが一番好きで、通常は飲んだらそのまま割って捨てて自然に返す究極のエコカップだがもったいなくて形のいいものは持って帰る。

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このような鍋で作りヤカンで保管する

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できたチャイをヤカンに移す

さて本当の田舎に行くと牛乳がなかったりして紅茶茶葉だけのチャイが出ることがある。使用される最安値の茶葉から作るこのチャイはミルクはないがその甘み渋みなどは絶品でびっくりすることがある。

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シッキムの州立の紅茶屋。格安。

逆の最高級の話をするとやはりダージリンかシッキムの無農薬紅茶である。日本なら末端価格50g2000円以上するんではないだろうか。ダージリンには農薬を使う農園もあるそうで見極めは大切である。シッキム茶は州が管理し基本無農薬とのこと。個人の好みもあるがダージリン茶はあっさり都会的でシッキム茶は深い田舎的なのが私の味わい。どちらもすばらしい。


ベジタリアン


日本寺の駐在僧の食事は菜食であった。朝はインド米おかゆとチャパティーと野菜スープたまにインド味噌汁。このインド味噌はカルカッタ中華街で入手出来る中国料理用の味噌で日本の味噌ではない。日本寺に巡礼団体宿泊があった時には余ったものや在庫に余裕があるとき頂けた。昼はインド焼きそばや野菜カレーなど夜はインド焼き飯やインド庶民料理など。歴代駐在僧が伝えた日本料理のようなインド料理も出た。私も図書室にあった料理本レシピから乳製品が豊富なのとマカロニが入手できたのでグラタンなどをコックのMに教えたが日本並みにはできなかった。またレシピ本をヒントにキムチも作ってみたが野菜だけでは美味しくは作れなかった。

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カルカッタの中華食材屋。醤油、味噌、ごま油、タケノコなどを仏跡ツアー団体用に買った。

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チャパティーとジャガイモカレー。日本寺の幼稚園「菩提樹学園」の昼食

さてこの菜食が私は体に合っているようで体の調子が良かった。体重も駐在前は不摂生で85キロほどあったが帰国時65キロ。たまにおみやげでもらうインスタントラーメンを食べたりしたが調味料に肉エキスが入っているのが原因なのか便秘になり2日くらいお腹の調子が悪く、だるさが残った。しかしながらこの菜食は万人の体にいいと思うかもしれないがそうではないようだ。例えばダライ・ラマ法王は多少の肉を食べないといけない体質である。医者からそのように指導されているとのこと。もともと野菜の少ないチベット高地の方は肉をよく食べる歴史からそのような体質になったのだろうか。ちなみに戒律が厳しい上座部仏教は布施されたものは肉でも魚でも食べれる。もちろん基本は菜食だが。精進は中国より東の大乗仏教系である。なんでもありと思われる我が浄土真宗も親鸞聖人の命日や報恩講中は精進料理が基本であり、浄土真宗の熱心な地区は魚屋や肉屋がその期間は店を閉めるほどである。


インドの飛行機、空港


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インディアンエアラインズ、ガヤ空港(ブッダガヤ近郊)

エアンディアですごいインド人を見た。音楽を聴くイヤホンを前の席の上部に引っ掛けて音の出る方を自分の方に向け、音を最大にしスピーカーのようにして音楽を聴いているターバンを巻いたインド人がいた。ターバンがあるからイヤホンを頭に付けれないのはわかるが他人の迷惑など考えていない。その上イヤホンながら結構大きい音が出ているので、となりの友人との会話も大声になり機内にそのインド人の大声と音楽が響き、インドに着く前からインドにいるようで思わず大爆笑してしまった。またインド人はゴミを飛行機でも床にそのまま捨てる。習慣だからしかたがない。また読んだ新聞もちゃんと畳まず床に置いたりするので、飛行機を降りる時そこら中ゴミがだらけでびっくりするし、ああインドにきたなあと実感する。キャビンアテンダントもかなり適当で離陸走行中に携帯で喋っている人がいても注意しない。飛行機自体も適当で着陸の勢いで上から酸素マスクが落ちてきたのも一度や二度ではない。インドにつく前からもうインド。しかしながらエアインディア機内食はしっかりしたインド料理で美味しく機内食の優秀賞も受賞している。

さてデリーなどの空港ではさすがにないがガヤ空港など地方空港では入国や税関で揉めたりすることもあるが、この地方空港のインド人係員の親切で、ある意味命拾い?をした。パトナ空港に到着し荷物待ちをしていたら係員がパスポートを高々と上げて、誰のだ誰のだと言っている。外国人らしい人で乗っていたのは私たち数人の日本人だったので誰だろうとパスポートを手に取るとなんと私のパスポート!座席と毛布の間に落ちていたという。2日ほどあまり寝てなかったのでボーとして、うっかりカバンから出して、入れ忘れていたようだ。他の係員も集まりだして、なぜ無条件で渡したのだ!みたいな面倒そうな話になりかけていので、やばいやばいサンキューサンキューで、すぐさまその場を離れたが、あの時の係員さん。あなたは極楽往生まちがいなし!もし彼が見つけてくれてなかったら想像するだけでゾッとする。日本ならこの程度の親切はよくある出来事だが、インドでは通常無くしたパスポートは99.9%出てこない・・と信じられているしかし・・・奥深しインド。なおこの日以来、命の次に大切なパスポートは移動中には必要以外絶対出さないようにしている。

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デリー空港チェックインカウンター

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ガヤ空港


菩提樹の葉っぱ


仏教徒にとって菩提樹は最も聖なる木である。なぜならこの木の下でお釈迦様が悟りを開かれたからである。お釈迦様滅後の約500年西洋文化の影響を受けたガンダーラ仏像が作られるまでお釈迦様像は形に表すことが不遜とされ偶像化されることはなかった。その代わり佛足石や菩提樹が礼拝の対象になっていた。特にブッダガヤの菩提樹はお釈迦様の正覚を開いたまさにその木である。ならばこの木は2500年以上の年輪が刻まれているかというとそうではなく仏教弾圧により長い間なくなっていた。1900年ごろブッダガヤ大塔が発掘され聖地として再機能してからスリランカにあった原木の3代目の孫の木からここに移されてきた菩提樹である。私が駐在していた頃は自由にこの木の幹に触ってお参りできたが、あんまりみんなが触るので木が弱ってしまい今は触れない。

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ブッダガヤの聖木・菩提樹

この木の葉っぱが仏教徒にとっては聖地ブッダガヤに来た記念品やお土産になる。先の数珠屋も数珠とともに「ハッパアルヨ!」「ホンモノハッパ!」とちょっとびっくりするセールストークをしてくる。噂ではかつて50年代の海外旅行が難しいころ旅慣れしていない日本人が100ドル札の価値がよくわからず菩提樹の葉っぱと交換していたという話がある。そんなこともあってか原価4Rsのブッダの絵の描いた葉っぱを100Rsで売ろうとする輩もいる。

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ブッダガヤで売られている加工された菩提樹の葉っぱ。因みにこれらは悟りの菩提樹のもではなくその辺の菩提樹の葉から加工。

さてこの菩提樹が日本で育つのか。ネットで見ると西日本や太平洋側日本各地でインド菩提樹がそこそこの大木になって育っている。私も悟りの菩提樹の種を持ち帰り育てて10年かけ育てやっと数メートルにまで育った。冬は大概大きい幹を残して枯れてまた枝が生えてくるのを繰り返す。先代住職が植木屋で見つけたインド菩提樹は20年以上かけてやっと8mほど育った。なお宗教色のない普通のインド菩提樹の苗木はネットなどで普通に販売されている。

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大きい方が植木屋で見つけた方で左側がインドの種から育てた菩提樹。

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菩提樹の葉っぱ

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インド・聖木菩提樹の種から育てた


ブッダガヤの数珠屋


ブッダガヤにいった人、誰もが思い出すのは数珠屋の押し売りであろう。その他いろんなインドの聖地でも同じ輩に会うが数と勢いはブッダガヤは群を抜いていると思う。観光バスを降りれば何十人の数珠屋が腕に山ほどの数珠をぶら下げて売りにくる。「コレボダイジュ、ホンモノ!ヤスイ!」少しでも関心を持てば「コレ1000ルピー!ノータカイ。ホンモノ!」とふっかけてくる。いらない、いらないとなると「500ルピー!」とか「3コデ1000ルピー」になりそれが「100ルピー!ラストプライス」とか20束くらいを「ゼンブデ1000ルピー」になる。円やドルの場合もある。最後は「イクラナラカウ!」と逆切れし買うこと前提で話しがすすむ。このような数珠屋以外にも日本語を教えてくれと近づいたり、ブッダガヤを案内するといって近づいて最後に数珠を売るというパターンがある。これで成功した数珠屋はホテルを建て実業家。ブッダガヤドリームである。

ちなみにインド菩提樹の数珠というものは存在しない(出来ない)。国内の仏具店でもインド菩提樹の数珠と売っていたりするが他の木の実を菩提樹といっているだけである。しかしながらそれらの実を「○○菩提樹」とそれぞれすでに名詞がついているのでこの流れは変えようが無い。

まあこの数珠屋もお客さんになれば親切にいろんなところに連れて行ってくれたり、通常は入れない場所やおいしい食事など便宜を図ってくれるので、望むならばつきあうのも悪くはない。まあ「お釈迦様の悟りの聖地で買った数珠」には付加価値があるのだから便宜へのチップと思って思い切り値切り倒して買ってほしい。

 

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数珠屋さん

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ブッダガヤ大塔前を歩くとワサワサ近づいてくる。

 

 


ラジギール温泉


お念仏発祥の地ラジギール。ここには温泉が数カ所ある。温泉精舎と呼ばれるヒンズー寺院や、かつてはお釈迦様のライバル、ダイバダッタがいたという今はイスラム温泉寺院、また数キロ離れたジェティアンと呼ばれる村の入り口にもタポーバンというヒンズー教寺院の温泉がある。

基本的に異教徒は入れないが温泉精舎は地元ガイドがいればそれほどエントリーは難しくない。実際に入浴が可能なのは温泉精舎が閉まり参拝者がいなくなったあと夜9時くらいに行けば入れる。ここはカースト別に入る場所が決まっていて上の方から温泉が下に作られて上の人が使った湯を下の人が使う。日本人が入るのは上の温泉。お湯は40度くらいで無色無臭約5mの正方形で深さ1mぐらいの深さがあり立って入る。衛生的にはよくないようで私はここで顔をあたっただけで大下痢をしたし友人はヘソを膿んだ。何もおこらない人もいるので傷や口に水を付けないことを注意すれば問題ないと思う。

徒歩圏内にお釈迦様がお念仏、法華経を説いた霊鷲山や長く住まわれていた竹林精舎あるのでおそらくお釈迦様も入られたことだろう。お釈迦様の湯でもある。

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温泉精舎の最も下にある温泉

 

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無色透明で40度くらい丁度の湯。

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温泉の源泉が出ているところ。これが数カ所横に並んである。

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階段を下って温泉に入る

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ラジギールのお釈迦さまの天敵ダイバダッタの温泉。現在はイスラム寺院

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ダイバダッタの湯。多分ムスリム以外は入浴出来ない。

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ジェティアン入り口のタポーバン精舎

 


聖地でのマナー


仏教は大乗、上座部(小乗)から国や文化、信じる仏や教典によって様々なグループが存在する。つまり日本仏教では浄土真宗があったり日蓮宗があったり真言宗と違いがあるが、インドの聖地は共通する。したがってそこでのお参りのやり方はそれぞれ違いが出てくる。ナンマンダーと称えるクループがあったりオンマニペメフーン(チベット)というグループもあったり、本当にいろいろある。そこが面白いところなのだが、やっていいことと悪いことがある。かつてオウム真理教の教祖は絶対に上ってはいけない(通常発想できない)お釈迦様の悟りの場所に鎮座する仏教徒最高の石盤、金剛座に座ったことがあった。信心は大切だがマナーも大切。

数年前仏教青年会で早朝ラジギール霊鷲山に参拝にいった。念仏や法華経をお釈迦様が解いた大聖地である。このとき他の50人くらいの日本人の先客がおり自分たちの信じるお経を大声で称えていた。私たちはそれが終わるのを静かに待った。お経が終わり私たちの番。お経を始めるが先ほどお経を称えていた人たちは大爆笑や大声で写真をとったり話をしている。私たちは静かに自分たちそれぞれの想いをこめてお経を称える。私たちは笑顔で山を下りた。      マナーは大切に。

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天然石の鷲が口を開いて手前が羽のように見えるから「霊鷲山」

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霊鷲山から朝日を拝む。


シッキムレポート


以下のレポートは浄土真宗の四国管内。四州教区から教区報原稿依頼のあったものに加筆したもの(文体が違うのはそのため)

今年6月インド国シッキムに入域しました。この地は本願寺22世門主・大谷光瑞猊下の命をうけチベットに入り多くの資料足跡を残した本願寺派僧侶、多田等観師がこの方面からブータンを抜け密かにチベットに入った場所です。先日京都龍谷ミュージアムにて師の特別展が行われてお目に触れた方も多いと思います。

まず私たちはカルカッタの北方、シリグリという町から通常は整備された国道でシッキムに向かうのが通常のルートですが、せっかくなので多田師がチベットに行くために超えたと思われる峠を目指しました。山道に入る手前は一面茶畑で特にシッキムに入ると政府による広大な茶畑がみれます。四国山地のような景色の山道を通りますが舗装路は奥に進むほど狭く未舗装となり最後は崖崩れして道に数メートルの巨石がいたるところに落ちている道を進みます。日本なら通行止めでしょう。対面の山道が崩れている瞬間が見えたほどです。しかしこれよりもっと狭い危険な道を徒歩で時には密入国であったため現地人になりすまし裸足でチベットに多田師は入国したそうです。求道心に頭が下がります。標高2000mのラヴァという町を超えてシッキムに入りました。シッキムは現在インド人以外は特別な入域許可が必要で州境で申請します。

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シッキムへの道。まだマシな方

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一面の茶畑

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シッキムの街

シッキムの州都ガントクは標高約1800mの山頂にへばりつくように出来た町です。インド人が避暑地として観光に来ており、非常にきれいな町です。観光地でありながらインドでよく会うしつこい土産物売りは皆無で落ち着いた印象です。チベット文化圏ですのでいたるところに仏教寺院が有ります。お寺はたくさんの僧侶が住み講堂で勉強している姿をよく見ました。勉強の仕方を聞きますと、すべて教典は暗記が基本とのこと。ちなみに浄土真宗のネパール開教区カトマンズ本願寺のソナム所長はこのシッキム出身でこういったお寺の学校の校長であったそうです。

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お経を覚える僧侶

ガントクでは一軒の亡命チベット人の家に招待されました。お仏壇を見せていただきました。お仏壇にはいろいろな仏様がまつられており、チベットから持って来たという古い写真は若い頃のダライラマ法王や中国に破壊される前のチベットの街並みお寺などが写っていました。現在の同じお寺の写真を見たことがあったのでその変わりように涙が出ました。

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ムルテク寺院

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チベット仏教徒の仏壇

 

翌日はチベット仏教の四大宗派の一つ、カギュ派の総本山ムルテク僧院に参りました。この宗派の門主というべき、カルマパ17世猊下は2000年、中国からインドに亡命しましたが、シッキムは中国に地理的に非常に近く政治的理由でいまだ入寺できずチベット亡命政府のあるダラムサラにいます。師はダライラマ法王と並ぶチベット仏教徒の心の支えです。寺院内はちょうど法要の最中で100人を超える僧侶が読経しておりその重低音のお経は意味はわからずとも心にしみるものでした。本堂内の阿弥陀仏にお参りし境内を散策。たくさんの信者さんが本尊に向かって五体投地で拝む姿は心を打たれます。その後他の同様の寺院に参るのですが、その度山道を数時間かけなくてはならず体力的に非常に苦労します。
ムルテク僧院本堂数日の滞在でしたが多田等観師の足跡、チベット仏教徒の置かれた現状、文化などを味わうことが出来ました。現地は飛行機でデリーやバンコク経由で西ベンガル州バグドグラ空港からはタクシーで4時間ほどでシッキムです。近くには紅茶で有名なダージリンもあり仏跡旅行で行くインドとはまた違った雰囲気です。

浄土真宗とチベット仏教はこのように大谷探検隊と先代ダライ・ラマ13世の時から繋がりがあり、チベット国旗を作ったのも浄土真宗の僧侶・青木文教ですし、また現14世の兄が築地本願寺にお住まいになったこともあります。ダライ・ラマ14世は2005年に本願寺に表敬訪問されました。『愚の力』 (文春新書)大谷光真著にその時の対談の様子が詳しく書かれています

追記:多田師は本願寺門主派遣の留学僧として入蔵しましたがその後門主が失脚し、西本願寺からの援助が断たれ大変苦労されてこの偉業を行いました。現在多田師の偉業を大谷探検隊の手柄のようによく言われますが少し事実とは違うようです。

 

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実際に掲載されたもの


日本寺の屋上で


駐在し始めのころ、大塔にお参りに行かない夜は同時に赴任したY師と日本寺国際仏教会館(宿泊施設)の屋上にのぼり空を見て衛星や月をみながらたわいもない話をした。ブッダガヤの夜空は星が奇麗で衛星が普通に見える。時々停電があったのでブッダガヤ中が停電すると満天の星空であった。

赴任したての頃はまだコンビニとか自動販売機とかの禁断症状中だったので自動販売機で缶コーラを買って飲む空想とかし合った。まったくバカらしいが当時は真剣に面白かった。缶コーラぐらい・・。と思うかもしれないが当時、コーラ系はブッダガヤでは瓶のサムズ・アップというスパイスのきいた感じのインドコーラやペプシしか入手できず(缶コーラをブッダガヤで見たのはほんの数回)、日本でもあまり飲まない缶コーラがなぜか懐かしかった。州都のパトナまで車で3時間半以上かけて行かないと缶コーラは入手できないものだった。

また空を見上げ日本で見る月もここの月も同じなんだなあとよくある話を本当に思ったりした。大塔からムスリムのアザーンやパーリー語のお経が流れてくるのを聞きながら夜空を見ていた何でも無い時間だったが今思えば最高の贅沢だった。

なぜ屋上なのか?部屋は暑いし地上なら虫が這ってくるからここしかない。

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国際仏教会館のキッチンにある駐在僧用食堂で同期Y師と。