東京、ダライ・ラマ法王観音菩薩許可灌頂


2015年4月12日、13日の2日間、ダライ・ラマ法王観音菩薩許可灌頂のご縁をいただいた。観音菩薩とは阿弥陀佛の脇侍で、その頭の冠には阿弥陀仏がおられる形で表される。

生きとし生けるものを救おうと現世におられる菩薩様である。

菩薩とは成仏できるのにあえて成仏せず苦しみの私たちの側に生きて救いの縁を結ぶ。

 

東京・昭和女子大学・人見記念講堂には2000人の方が集まった、チケットは発売と同時に売り切れたという話。モンゴル、台湾、韓国からも非常にたくさんの参加者があった。2日間で8時間以上の講義と儀式があり般若心経の解説や灌頂の作法が行われた。

私たち浄土真宗も「作法」という儀式がきめ細かく決まっており、チベット仏教の作法もなんとも味わいがあり感動した。

今回は観音菩薩の中でもチベットと非常に縁の深い十一面千手観音とカサルパニ観音の灌頂があったわけだが、このカサルパニ観音はブッダガヤ大塔のちょうど入口の右側壁にこの観音様の像があり、いつもチベット人が一番お参りをしており今まで観音菩薩ということ以外は詳しく知らず、今回初めてそのいわれが解り非常にありがたかった。

またダライ・ラマ法王はこの十一面千手観音の化身である。

浄土真宗は阿弥陀仏一仏信仰であるので、観音菩薩は礼拝の対象ではない。

だからあまり観音菩薩のことは詳しく知らなかったが、法王との幾度かの縁の中で観音菩薩をはじめいろんな仏様の勉強ができて非常にありがたく面白い。

IMG_3398

昭和女子大学の会場

IMG_3403

法王の写真は禁止であったので会場のみ

IMG-0150

ブッダガヤ大塔のカサルパニ観音菩薩

 


タポーバンの遺跡


仏像復興を手がけているラジギール近郊のジェティアン村近郊にタポーバンという温泉精舎がある。ラジギールの温泉精舎ほどの規模でなく湯量も少ない。

そのすぐ前にかつてブッダを祀っていた寺院跡がありブッダの足跡が岩に残っている。もちろん本当にブッダの足跡ではなくそのように見える石がブッダの足跡と信じられている。近くにはムスリム侵攻によると思われる破壊されたヒンズー教の神様の像もあったので「仏教寺院」とは言えないと思うが、地元の人はこれは間違いなくブッダの足跡でブッダのお寺だと言われる。この寺院跡は村からも離れてさびさびとしているがこの近郊には発掘されてない仏教寺院も実際にあるので、どこか気になる遺跡である。

インド(特にヒンズー教徒)はこのように足跡が岩に残っている(ように見える)石を神の足跡として崇拝することが多い。おそらく仏教の佛足石信仰もこういったインドの文化的経緯があると思われる。

IMG-0202

タポーバン温泉精舎

 

画像 055

ブッダの足跡寺院跡

画像 054

寺院跡中心にあるブッダの足跡。持ってきたものではなくもともとある岩盤にある。

画像 056

奥の方まで寺院跡はある

 


ネパール カトマンズ本願寺


数年前、団体旅行でインド聖地旅行の折、ネパール国カトマンズにある浄土真宗寺院を参拝した。

浄土真宗は日本人移民国のハワイを始め北米南米以外にも外国にお寺がある。欧州とこのカトマンズなど、かつてアフリカにもお寺を作る話もあった。このカトマンズ本願寺のソナム所長はもともとはシッキム出身のチベット仏教の僧侶であるが、彼が98年にブッダガヤ滞在中に日本人のNGOグリーンライフ研究所を開所された福岡県北九州市の故向坊弘道氏に出会いお念仏の道に目覚められて浄土真宗の僧侶となり、縁あってネパールの念仏道場の所長となった。

故向坊弘道氏は事故によって全身不随となりそれがきっかけでお念仏の信仰を深められた方だが、その98年に彼が電動車椅子でブッダガヤ日本寺に来られたときお話をしたことがある。日本寺のことやブッダガヤの浄土真宗の布教の実情を聞いて行かれた。その時のブッダガヤ参拝時にソナム師との出会いがあった。

訪問時ちょうどソナム師は御家族の大変急なお見舞いでシッキムに帰られていてお会いできなかった。現在このお寺は学校が併設され、多くのネパール人が勉学を学びつつ浄土真宗も学び多くのネパール人が帰依し少しづつだが僧侶も生まれている。浄土真宗の本尊である阿弥陀仏はチベット仏教でも非常に馴染み深く、パンチェン・ラマという阿弥陀仏の化身もいる。この化身はダライ・ラマ法王(観音菩薩化身)と並ぶが最も信仰されている化身である。

 

 

画像 003

カトマンズ本願寺を正面から。右側にチベット仏教の仏塔チョルテンが見える。

画像 006

本尊阿弥陀如来

画像 005

カトマンズ本願寺の僧侶

画像 007

本堂正面にて

IMG_3306

参考にハワイ ホノルル別院。西洋風で中も教会のよう。ハワイ浄土真宗は100年以上の歴史がある

 


乗車定員20名ジープ


インドの車に乗車定員はない。いやある・・・それは乗れるだけ。

さすがに都市では屋根に乗ることはないがブッダガヤなどの田舎は屋根にまで普通に乗る。バスやジープ系の乗り合い営業自動車に限るが今でも簡単に見ることができる。

ジープは聞いた話では20人は乗れるという話。屋根だけではなくボンネットに乗っている車を見たことがある。事故が起こったらとんでもないことになることは火を見るよりも明らかだし、死亡事故の話はしょっちゅう聞いた。一番びっくりしたのは夜間ボンネットに乗った客に懐中電灯を持して、それを前方を照らしながらヘッドライトにして走るジープを見た。自動車のヘッドライトが壊れていたのだろうがあまりに無謀。極貧のビハール州では現実にある世界。ボンネット上の客が数個の懐中電灯を使い対向車にアピールするように照らし回しながら対向斜線から迫ってくるので、はじめ何が来たのだろうとびっくりしてたが、ジープに乗った人と気付いた時はもっとびっくりした。

ところでこのインドジープは4WDではない後輪駆動。ジープファンもびっくりの仕様である。オリジナルの本家米国ジープのウイリスやMBの形ではなく日本製三菱のジープ派生系の形というのがおもしろい。

この小さい車に20人も乗るなんて・・お釈迦様の聖地の多いビハール州だけでも人口は1億人を超える。それだけ人が多いのにインドの田舎は移動手段の車が少ない。バスもローカル列車も屋根に乗る。

画像 171

車内より屋根の方が人が多いような・・

 

画像 022

何人乗っているのか・・

 


仕立て屋 テイラー


インドで服を買うときは生地から買ってそれを仕立て屋に持っていくのが本来の形のインドの服の買い方である。既製品もあるが仕立てても値段はさほど変わらない。

村の相場ならシャツで当時日本円で300円くらいで1日で仕立ててくれた。とは言ってもクルタパジャマやYシャツなどは駐在中は使うことがなく、日本製作務衣を持って行きこれと同じものを作ってくれと言って作ってもらった。インドのお坊さんは黄色系の法衣なので作務衣もよく黄色い生地から作ってもらった。生地は値段通りのクオリティーで安ければすぐ破れたり色が落ちた。化学繊維が強くて色落ちも少ないが酷暑時期は風を通しにくく汗も吸いにくいので使うことはなかった。インド綿でしっかりしたものは仕立て屋のテイラーの技術がしっかりしていれば最高の出来になる。また腕のあるテイラーはタグをつけることがあり「ブッダガヤ・⚪️⚪️製造」などと書かれておりブッダガヤ製作務衣という付加価値がついてかっこよかった。

画像 026

イスラム教徒が多いテイラー

画像 024

ミシン一つで何でも作る