知らぬが仏・ブッダガヤのサソリ


先日、東京で日本寺元駐在僧の集まりがあり顔を出した。先輩や後輩など元駐在僧が集まりいろいろと懐かしい話の中で「サソリ」の話で盛り上がった。ところがなんと私は「サソリ」になんの警戒もせずインドで生活していたことに帰国して17年経って知らされた。

話によると先輩後輩問わずサソリは頻繁に出没し靴の中、寝具の中、あるいは書類の裏などいたるところに気を配り常に警戒すべき事項であったというのだ。当時同期のY師から「庭にサソリがいたよ」とか「近隣の村にもサソリは出ますよ」とインド人職員から聞かされたりしたが、私的には「カブトムシがいたよ」レベルで気にも留めていなかった。もしかしたらあの生活の中でサソリは実は私の周りに頻繁に出ており、ギリギリのところで知らず知らずのうちに躱せていたのかもしれない。

毒虫は全く平気ではない私はもしこの事実を知って駐在をしていたならかなり違った駐在生活になっていたはずである。知らぬが仏。くわばら、くわばら。

日本寺本堂。2016年訪問時。友人と。

 


霊鷲山の西方浄土


インドのラジギールにある霊鷲山(りょうじゅせん)は法華経と無量寿経がとかれた極めて重要な聖地である。平たく言うと「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」をお釈迦様が説いた場所である。

さてこの山に登ると50名ほどが参拝できるレンガ造りの簡単な参拝施設がある。この施設のお参りする向きがちょうど西向きで西方浄土に向かってお参りできるようになっている。

お釈迦様はこの場所で法華経を説いている最中にわざわざ中断して説いたのが無量寿経であることなどから、浄土系は無量寿経こそが出世本懐つまりお釈迦様はこの教えを説くために生まれてきたと考えている。当然法華経系はその反対と考える。考えはいろいろある。

ただ浄土真宗僧侶としてはこの施設が西方を向いてお参りできる施設になってる事実はありがたく感じる。この聖地はちょっとした山頂ににあり、かつては虎や強盗が出没する場所であったため、比較的安全な早朝にお参りするように多くの団体参拝旅行ではプログラムされているが、浄土系僧侶はあえて添乗員さんにお願いして西方浄土に夕日が沈む光景を拝むことができる夕方にお参りしたらどうだろう。

霊鷲山参拝。西方に沈む夕日

霊鷲山の頂上を下から望む

 

霊鷲山参拝中

霊鷲山にて。日没後は一気に暗くなるので夕方参拝の帰りは機敏な行動を。


ナーガルジュナ石窟


インド、ビハール州ガヤ市から約35キロ北方にインド最古級の石窟寺院バラーバル丘石窟がある。映画「インドへの道」の重要なシーンで出てきた紀元前3世紀ごろ作られた石窟寺院で、大きい岩をくり抜いて作られている。最近は訪れる日本人も多くネット上でも多く見ることができる。

ここからまだ2キロほど進むとナーガルジュナ石窟という同様の石窟寺院跡がある。実際に大乗仏教の創始者ナーガルジュナ(龍樹菩薩)の名前にちなんで付けられた名前という。現地で聞くと確かにナーガルジュナが住んでいたという。

この紀元前3世紀の石窟は大きな岩をくり抜き、縦長のドーム型ホールと小さい入り口を隔てて小さい円形のドーム部屋に分けられる。その壁はまるで鏡のように磨き上げられ当時の加工技術の素晴らしさがわかる。サルナート美術館にある同時代の磨き上げられたアショカピラーのライオン像を見てその滑らかさに感動した方もいると思う。美術館ガイドは現在はこのような技術は残っていないと言っていたことを思い出すが、石窟内は本当に鏡のように磨き上げれている。

この石窟は現在あまり訪れる人もなくひっそりとしているがバラーラル石窟に行った折はぜひとも訪れたい場所である。

(現在、治安のいいところではないのでガイドが必要な地域である)

ナーガルジュナ石窟遠景

丘の中腹に入り口がある

登り口

ナーガルジュナ石窟入り口

出入り口には碑文

石窟出入り口(1箇所のみ)

鏡のように磨き上げられた内部

縦長ドームのホール

石窟内部

石窟から下界を撮る。車のあるところにはムスリムの墓がある。19世紀この石窟はムスリムが礼拝堂として使ったこともある。奥に見える白い建物は建設中のゲストハウス。いまは静かだが将来は多くの観光客が来るのかもしれない。

丘はいろいろな奇石で覆われている

奇石の一つ。数メートルある

バラーバル丘石窟にあるナーガルジュナ石窟への案内板

 


ジェティアン堂宇復興16周年法要


2016年10月1日ジェティアン村の高知県仏教青年会が放置された仏像のために作った堂宇の16周年法要が行われた。今回はブッダガヤからブッダガヤ大塔(大菩提寺)代表も来られ盛大に行われた。

10時から式典は行われ、ブッダガヤ大塔代表らによるパーリー語の読経、日本僧侶による読経、インド側日本側からのスピーチ、最後に近隣学生によるコーラスと続いた。

今回、堂宇は大幅な大改修が行われ階段から床はすべて張り替え、また手すりなど新たな部分も作られた。この16年を振り返ればジェティアンは復興事業がきっかけでインフラ面では鉄道が新たに引かれ、ブッダガヤ・ラジギール間の幹線道路として大改修された。また放置仏像復興の流れが加速しナーランダ大学などがビハール州の仏像復興を進めている。数年前より毎年12月にはアジア各国から3000人規模の僧侶、信者が集まりこの堂宇よりラジギールの竹林精舎への徒歩による平和行進が行われる大事業になった。これらの一連の流れは当初予想にもしていないことで、非常に感慨深い。

当日のインド新聞のネット配信はここ

仏像復興に関わるナーランダの現地情報はここ

 

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式典に向かう仏教青年会参加者

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ブッダガヤ大塔代表と式典の流れなどを確認

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Jehian堂宇

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ブッダガヤ大塔代表らによるパーリー読経

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日本側代表によるスピーチ

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Jethian 仏像 座っている姿の仏像は極めて珍しい パーラー時代のもの

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お供え。果物などに直接線香をさすのはインド式

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近隣の学生による音楽とコーラスの奉納

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コーラスの奉納

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ブッダガヤ大塔代表と共に

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Jethian仏像

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集まった村人たち

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日本側から記念にジェティアン村へ100本のマンゴーの木が送られた。「コウチ・ブッダ・マンゴー」村のあちこちに植えられる。

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高知県仏教青年会などの有志参加者

 

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翌日のインド新聞4紙による記事