いただきます 命をいただくということ


母校の僧侶でもある先生がある方に「いただきます」はなぜするのかとの質問に、それは「作ってくれた料理人や生産者に感謝するのだ」と答えたそうで、あるいはレストランなどで「いただきますをいうのは対価を払っているので言う必要はない」という方もいたそうである。

私の子供が2、3歳のころスーパーの魚を見て「魚の屍だね」といってそんな「シカバネ」なんてどこで覚えたのかという面白さと、大人にはない的確な発言に爆笑したことがあった。普通はスーパーの魚は食料としての視点のみで「死んだ魚」という感覚はあまりない。「死んだサンマ・200円」ではちょっと買いづらい。いやもうすこし現実を言うと「殺したサンマ」か。こうなると商売としてはアウト。

アジアの市場の鮮魚店や生肉店を歩けば、ついさっきまで生きていたその姿、血や体液の匂いまた腐敗が始まりだす死の匂い。アジアの市場は五感で命が感じられる。

スーパー鮮魚売り場に並ぶ命の対価はその魚には支払われない。本当はまだ生きることの出来たその命にできることは、その魚に対する感謝以外にはない。合掌。命をいただきます。

ルアンパバーン朝市。

 

豚などの生肉店。

竹で縛られた食用カニ

早朝、川で網にかかったエイ

昨晩から早朝にかけてメコン川で捕まえられた大ナマズ

森で人間に捕まえられた生きた食材としての小動物(ペット用ではない)

メコン川で人間に捕まり仲間と数日、生簀で飼われた後、まとまった数になったので出荷された生きたカニ(食用)

 

 


ルアン・パバーンの托鉢


ラオスの古都ルアン・パバーンは昔のままの町並みを残している。アジア内陸部のこの街はメコン川中流沿いの街ではあるが急流で海からの物資輸送がもともと困難で、フランスの植民地時代にも大きなインフラ整備もおこなわれず、しかも独立後は社会主義国家であったため開発からは縁遠かったことが要因である。

現在街自体がユネスコ登録の保護対象下にあり、街は3階建てのビルが1件だけ(ユネスコ登録前に建設)であり新しく建物を作るにはユネスコの厳しい審査が待っている。街はコンビニもなくファストフード店もない。朝は6時には街が開き夜7時には真っ暗になる本来の普通の人間の生活が保たれている。その朝一番におこなわれるのが僧侶への供養である。

ルアン・パバーンのメインストリートには毎朝各寺院から約200名ほどの僧侶と見習いの子供僧が集まり一列になって托鉢をしていく。それに会うために世界から多くの観光客が集まる。もちろん東南アジアすべての朝は各地で同じような托鉢がおこなわれているが観光化しているのはこの街だけだろう。

もちろん観光化しているのは在家側の話でお坊さんは戒律をしっかり守り托鉢修行されている。各寺院やグループごとに先頭には住職やリーダーが数名歩き、あとは出家した順に見習いの未成年僧侶が歩いていく。観光に来た人は托鉢供養のもち米など入手ができないため、托鉢専門の物売りから供養の品を買い供養していく。こうなるとビジネスの世界だから供養の品の相場を知らない外国人から多少?の上乗せをして儲けようとする人もいるわけでガイドブックやガイドからは注意喚起を耳にする。とはいえ観光客も多少高くてもせっかく来たんだから彼らから購入し供養する。そしてその数が半端ではない。観光シーズンになると何百人の観光客からの供養がある。托鉢される僧侶も托鉢の鉢なんて数十メートル歩けば鉢がいっぱいになり入らなくなる。そのため数十メートルおきにバケツを置いて鉢の中身を入れる場所が用意されている。せっかくの供養を捨てているように見えるがあとで各お寺に振り分けて持って帰る。またその一部は貧しい家庭にも施されるそうだ。

なにはともあれ、僧侶には多くの供養が施され、金持ちの観光客よりお金がラオス人にまわり、また一部は貧しい人にも施されていくシステムである。しかも仏縁のなかった西洋人には仏縁がつながる。

現在ラオスはニューヨーク・タイムズの世界で最もいきたい国ランキング1位である。しかし必ず近代化されるのでこの数年が山だと思う。

ルアン・パバーンの町並み。ビルなど一切ない

先頭の指導者の僧侶、供養するのは観光客

ルアン・パバーンの托鉢

見習い僧。サーマネーラ。バケツはいっぱいになった施しを入れるバケツ。少年僧は多少選り好みしていらないものを入れている感じ。

托鉢の様子、しっかり作法通り裸足である。

供養の品の補充。托鉢専門業者より

捨てているのではありません。あとでお寺に持っていきます。

ところどころに現地人の供養も見られる


カトマンズ近郊チベット村の絨毯工場


ネパール、カトマンズのパタン地区近郊にチベット人が多く住むエリアがある。主な産業の一つにチベット絨毯があり幾つかの工場がある。そのうちの一つを訪問した。

チベット亡命政府のあるダラムサラでもたくさんのこのような工場があり全て伝統的な手作りで作られている。その工程たるや例えば畳一畳分を作るのに数ヶ月を要し、また製品自体も非常にクオリティーが高い。日本にもこれを輸入して扱う業者は多い。使えば使うほど光沢が増し、新品よりも使い込まれたアンティークの値打ちが高い。

さてこのエリアもカトマンズ地震で大きく傷つき更地になってその後手をつけられない箇所も多い。工場ではチベット人のおばさんが十数人黙々と絨毯を作る。今は全く機械化されていないがそのうち一部は機械化が進むのかもと思いつつ見学。

しかしいつもチベット人は笑顔を見せれば100%笑顔が返ってくる。本当に気持ちが良い。ネパール人も比較的笑顔を見せるが、インドではあまり見られない。

絨毯の倉庫には大量の絨毯が大小様々なサイズが販売され事務所を訪ねると世界中のバイヤーの名刺がずらり。倉庫には祭壇がありダライ・ラマ法王の写真が置かれていた。事務員のおばさんはインドで法王と撮ったツーショット写真を自慢げに見せてくれた。法王はネパールには長い間お出ででないそうだ。

質素な工場にたくさんの織り機がある

絨毯工場兼販売所入り口

絨毯をつくる方々

チベット人の主な産業でもある

各種デザインの絨毯

店内には法王の祭壇。

大小サイズの絨毯

人気の虎柄、工場、職人によりデザインは変わる。

 


誕生仏あれこれ


お釈迦様のお誕生を祝う「お花まつり」は日本は4月8日か旧暦同日であるが国によって年によって旧暦同日のみであったり4月から5月の満月の日など国や文化によって違いがある。

さて仏様のお姿(仏像)は同じ浄土真宗であっても西と東では少し違っていて厳格にそのお姿は決められている。阿弥陀仏像ならなんでもOKではない。ところが誕生仏像については右手を上に左手を下に人差し指で指している「天上天下唯我独尊」の姿であれば特に問題ない。例えば真言宗で使われる誕生仏が浄土真宗で使われている誕生仏と同じであっても問題ない。もっといえばネパール・ルンビニで買ってきた誕生仏像であっても特に問題はない。

誕生仏は国が違っても誕生仏はほとんど同じお姿で、太めであったり金箔が使われている、あるいは製造する工房によって技術的な問題で指の形が鮮明でないことがある程度であり、仏教徒であれば誕生仏とすぐさまわかるお姿である。

 

 

チベットの誕生仏。より赤ちゃんっぽい。

日本の誕生仏。スマートお姿

インドの誕生仏 基本的には日本などの仏跡参拝者用土産。日本の仏像を模したものと思われる。

ベトナムの誕生仏

誕生仏をフィーチャーしたと思われる仏像。手の姿が逆で形も少し違うので誕生仏なのかちょっと微妙。ベトナム製

日本式誕生仏

ネパール・ルンビニのお土産屋

聖地ルンビニのお土産。プラスチック製のものと銅製。

タイの誕生仏(真ん中の仏像)


ベトナム沈香


お香の中で最も希少で高級なものを「沙羅」(きゃら)という。特にベトナム産は昔から最高級であり、その希少性から近年価格が急騰し最近は金より高価で取引されることもあるとのこと。あまりにも高いのでそれより一段クラスの下がる「沈香」(じんこう)が通常、仏事や香道で使われる。これも産出される東南アジアの中でベトナム産が最も人気がある。

伽羅や沈香はある種の木の傷などから出る脂が木の中で長時間かけて変化して出来るのもであり、脂の多さが価値を決める。普通は自然にしかできないが、人工的にこれを作る技術が出来ておりベトナムでは大量に作られている。

沈香の天然物と人工物は出来のいい物は素人目には区別は難しく、また香りも普通に沈香のいい香りがする。また人工といっても特定の木を大量に植樹し人工的に傷をつけて、あとは自然に長年成長するのを待つという作業で、一応傷つける以外は自然の力で作られるので「天然物」とし販売する業者もいるそうである。

さて最近日本のお香屋などでよく聞く話に「沈香はもうない」「入手しずらい」とよく聞くことが多い。確かにワシントン条約の規制にかかっている天然物は取り尽くされかけているので、今後も入手は困難になるだろうが、大量に作られている人工沈香は植樹沈香木も大きく育ち、新たな植樹も増えているので入手は今後は容易(安価)になっていくのではないかと思う。

いいお香が安く手に入れるようになることはありがたいことで、お経の中にもいいお香をたくとより修行が高まるといった事柄が書かれている。

 

こんな大きな沈香がゴロゴロしている

沈香木

人工の沈香。これが最高級レベルとのこと。非常にいい香りがする。

ホーチミン某所のお香屋。こういった規模のお香屋が何件も連なっているエリアがある。

 


ベトナム仏教のチベット


ベトナムは人口の8割ほどが仏教徒であり、その多くは日本と同じ大乗仏教である。禅と浄土教を合わせたような仏教である。お隣のカンボジアやラオスは上座部(小乗)仏教なのでちょうどこの国が大乗と小乗の分岐点となっている。

2017年ホーチミン市の寺院巡りを行った。市内の永嚴寺は日本の福島県の寺院から奉納された日本の鐘楼にある非常に有名な寺院である。ご本尊は阿弥陀仏。念仏(マントラ的な信仰)や観音菩薩のマントラを唱えつつ禅もするといった形で、よくよく見るとチベット仏教も信仰に取り入れられていた。他の寺院にもお寺のカラーか多少違いがあるが、寺出版の施本経典内の一部にもチベット文字を使っていたり、売店にはダライ・ラマ法王の書籍が山済みだったりとなんらかの形でチベット仏教が絡んでいる。

また見学したベトナム歴史博物館の19世紀のグエン王朝の王の服の袖にもチベットでは非常に人気のあるタシ・タゲと言われる八吉祥のチベットのデザインが施されていたし、裾はチベット絨毯を彷彿とさせるデザインであった。思えばメコン川の源流はチベットであり、川を使えば文化交流は十分可能である。事実メコン川を遡りゴールデントライアングルにはチベットを起源とするアカ族という少数民族もいる。

大乗仏教と上座部仏教の境までチベット文化が根付いていることは意外であった。

 

永嚴寺

永嚴寺本堂

施本、施VCD 観音さまの本や阿弥陀仏のマントラVCDがある

ベトナム語の南無阿弥陀仏と書かれたプレート、施VCD 阿弥陀仏のマントラ映像 阿弥陀仏バッジ 仏旗と寺院ロゴバッジ

永嚴寺の施VCDを再生するとチベット文字が阿弥陀様の周りをぐるぐる回る。中心の仏像もチベット式。音楽もチベット式のマントラ音楽に合わせて阿弥陀仏のマントラがエンドレスに流れる。

各寺院でもらった本やカード、タイ式、中華式、チベット式それぞれ個性がある。

舎利寺の売店。ダライ・ラマ法王の書籍が山済み。当然ベトナム語。置いていないお寺もあった。お寺のカラーか。

数珠の仕様もそっくり。赤いのはチベット数珠。白っぽいのはベトナム数珠。どちらも108玉で親玉から2方向に3個づつ玉がつく。


ガソリン


産油国以外のアジアでのガソリン価格は日本とあまり変わらない。国によっては日本よりも高い時がある。リッター100円としても日本の金銭感覚からいえばかなり高い。そうした理由からアジアのタクシーは満タンにすることは稀でいつもエンプティー状態のタクシーが多い。客を乗せて最初にガソリンを入れて目的地に向かうこともあり、いきなりガソリンスタンドに行かれて先払いしてくれというドライバーもいて初めはびっくりする。

一般のガソリンスタンドは日本と同じ施設であるが、オートバイなどはガソリンスタンドで入れるより雑貨屋で売られている1リッターのコーラなどの瓶に入れているものを買う。ガソリンスタンドより少し割高だが売っている雑貨店が多いので便利である。

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タイでバイクにガソリンを入れてもらう時はこんな感じ

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電気仏具


海外の中華系の仏具屋に行くと独特の節回しで念仏がエンドレスで流れる携帯再生機や電気ロウソクに再生機が組み込まれ幾つかの種類の念仏などが流せる仏具が売られている。タイでは大抵中華系仏具店に販売され、台湾や香港などの寺院に行けば無料でパンフレットなどと共にいただける。(もちろん布施は忘れずに)日本にも般若心経が流れるものがあるが再生時間が長いし浄土真宗や日蓮宗系は使えない。シンプルに念仏をエンドレスという発想はいいと思った。

似たようなものにイスラム圏には目覚ましの音がアザーン(コーラン)というものもあり、友人が西本願寺の布教用にいろんなグッズを制作する部署に、私たち本願寺も目覚まし時計音に仏教音楽を流すものを作ったらどうかと意見具申したがその場で却下されたという。いい考えと思うのであるが。

2022年、浄土真宗のお経が流れるお坊さん人形も売られている。

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ロウソクが光り(本当に火がついているように見える!)お念仏なども流れる

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右のスイッチで選曲、左のダイヤルがボリュウム。南無阿弥陀仏、南無観世音菩薩、チベット称名などが流れる

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台湾でいただいた念仏再生機

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非売品ですよ!と。

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アザーンの流れる時計。意味はわからないが何種類も流れる。


日本のおみやげ


海外旅行で団体ツアーに欠かせない場所(行きたくないけど)に団体専用おみやげ店がある。おそらくない国はない。もちろん日本にも外国人専用のおみやげ屋がある。

京都の平安神宮を北上すると外国人専門の武具グッズや日本アート専門店が多い。その中に京都ハンディクラフトセンターがある基本外国人専用(日本人ももちろん利用している)のおみやげ店である。中に入ると外国人好みのおみやげがいっぱい。値札も全て英文。普通にはあまり見ることのできない日本人でも嬉しくなるような商品が並ぶ。海外にあるようにおみやげ店特別値段?が一般価格とのかけ離れもなく適正価格はさすが真面目な日本人と思う。

外国人が日本の何に興味があるのかわかりやすい店だ。

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日本のアニメ本

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京都、平安神宮の北にある

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Manga

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Samurai

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寿司や浮世絵のキーホルダー

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日本グッズ

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katana


仏足石と賽銭


タイのとある一般寺院にお参りしたところ、仏足石がありその上にたくさんお賽銭が置かれている。その中である参拝者が仏足石上に賽銭を立てようとしている。この仏足石は石の上に掘られていて完全に平らではないのでコインを立てるのは非常に難しい。おそらく運よく立ったら願いがもっと叶いやすくなると信じての行為だろう。

日本でも仏足石に賽銭を置いているのはあちらこちらのお寺でも見たことがある。あるお寺で住職に聞くと誰かが置き始めていつの間にか増えていったそうで住職が指導したわけではないという。おそらくタイでもお坊さんが指導したわけではなく誰かが置き始めて増えていった感がある。

浄土真宗でも興味深い話があって、本願寺の本堂に木の穴や亀裂を埋めるために職人が遊び心でいろんな形をした埋め木を使用しているがその中にハート型をしたものがあり、ここが平たく言うと流行りの「スピリチュアルスポット」になっているらしい。ある日職員が埋め木が少し浮いているので触ってみると埋め木が外れその中に賽銭がたくさん入っていたという話を聞いた。もちろん誰かが勝手にやっている事であり浄土真宗の教義からは逸脱しているが人の信仰のスタイルはかわならい。

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コインを立てようと頑張る。

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難しい。苦笑いする参拝者。

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多くの参拝者の賽銭が仏足石上にある

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香川県にあった仏足石にもたくさんの賽銭がのっていた。

西本願寺の某所にあるハート形埋め木。現在は取れないようにしてあるが誰かが色を塗った模様

ひょうたん型、普通の埋め木