大塔の夏。インドの夏。


インドの酷暑5月は想像を超える暑さである。以前のブログでも書いたが、暑さを超えて痛い。ストーブの前にずっといるような暑さが日中続く感じか。言葉では表せない。実際1971年に近隣のガヤ飛行場で百葉箱内で67.5度というインド史上最高気温を公式に記録している。

大先輩駐在僧H師がインドの夏を経験したら日本の夏が暑くなくなるようになると助言いただいたが、インド帰国後日本の夏は暑くないとは言わないが、あえていうと「問題ない暑さ」と思う。湿気があるため不快には感じるが暑いとは別と感じる。

インド5月。こんなことで日中外を出歩くことは少なかったが時折がんばって大塔に昼間行った。お寺の外も要所は全て大理石の床なので足の裏がとんでもなく暑い。(インドのお寺は裸足が絶対)火傷するほど暑い・・いや普通に火傷する。1秒以上つけておけない。コントの「暑!あつ!」とぴょんぴょん飛ぶ感じ。気を使ってマットをひいてくれたりするが、ない場所は土や草の場所を歩くようにしていた。お参りもほとんどいない。こんな時の写真なんて撮ることもないだろうと何枚か撮るとハーレーション気味の写真ができた。この時期の日本寺事務所内の温度でも45度くらい。熱い・・。

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レッドカーペットではない。暑くて歩けないからマットを敷いている。誰もいない

 

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太陽が強すぎる。

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冬場ならラマ僧だらけの場所も誰もいない

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暑い

 

 

 


サドゥー


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インドにはヒンドゥー教の修行をする僧侶サドゥーが沢山いる。いでたちが個性的なのでインドの宗教者の代名詞のような存在になっている。これ以外にも通常のヒンドゥー教のお坊さんもいるが、その人たちはクルタを着た普通のいでたちでサドゥーのように目立った格好ではない。ブッダガヤ大塔は仏教の聖地であるがヒンドゥー教の聖地でもあるのでヒンドゥーの僧侶もいるが普通の姿で特に目立つことはない。

ある時、村で一人のサドゥーにあった。「喋らない」修行をされていた。ベナレスなどにいる観光サドゥーとは別物である。こんな修行をされている本物のサドゥーに会ったのは初めてだったので本当にいるのだと感動した。何歳なのかもわからないが、歳とか世間とかを飛び越えたものを醸し出していた。

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村の本物のサドゥー

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喋らない修行。違う世界に生きている

 

 


短波放送


98年ごろのインドで最も確実な日本のニュース情報などの入手方法は短波放送を聞くことであった。もちろん場所や時間、電波などに制限がありブッダガヤでも日によってはっきり聞こえたり雑音で聞こえなかったりと問題はあったが、ネットも衛生TVもない当時はリアルタイムで日本の情報が手にいれるこのできる唯一のツールであった。

とはいってもそのうち日本の情報は自分の生活と直結しなくなるので聞かなくなったが・・。

その中で忘れないのは、たしかラジオ深夜便で浄土真宗のお経「正信偈」が流れてきた時だ。北陸地方の「報恩講」という浄土真宗では最も大切な法要を取材した時のものだ。

海外に移民した浄土真宗信者(門徒)は非常に多い。その為今でも世界各国の主な移民国には浄土真宗寺院が多い。また現在も本山から多くの海外布教使が派遣されている。そのため海外で住む日系人にとっても非常にポピュラーなお経の一つであり、法要なのだ。

国内ならきっと聞き流してる放送も、そのような人と共に日本国外のそれぞれの国で、この短波放送から聞こえてくる正信偈を聞きながら不思議な一体感を感じた。

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ブッダガヤ大菩提寺内の釈迦像

 


七葉窟


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七葉窟入り口、左下は断崖絶壁

お釈迦様が亡くなってすぐその教えをまとめようと約500人の弟子が集まり、その教えをまとめた仏教会議「第一結集」が行われ「お経」が誕生した場所がラジギールの七葉窟である。その場所へ行くためには健康的な人で往復2時間ほどの軽登山で治安もあまり良くないのでガイドなしの個人で気軽にお参りすることは少々おすすめできないが、この場所の下界に日本人が泊まる法華ホテルがあるので道中の車中からは簡単に見上げることができる。

ここはお念仏の発祥の地ラジギールにある温泉精舎と呼ばれるヒンドゥー温泉寺院の裏手の山からエントリーする。99年の1月にここに登った。往復2時間の登山。いきなりの急勾配が続きその後は平坦な山道にかわる。山といっても木もほとんどない荒地のような山。道は途中ジャイナ教寺院やヒンドゥー寺院もあるので整備されている。

七葉窟は断崖の少し下がったところにちょっとした広場がありその山側に洞窟が幾つかある天然の野外広場のような感じである。断崖を背にしたら音の反響で多くの人が会議をするには声が通りやすいうってつけの場所だと思う。仏教寺院があるわけでも、目立った仏像(誰かが置いた小さい仏像が2体あり2ヶ月ほど前に新設されたものであった)があるわけではないが、まさにこの場所でお経が出来上がったのかと思うと感無量である。

誰かがお参りで使った古いロウソクを拾ってそれを頼りに大きな洞窟に入ってみた。結構深く途中まで入ったが途中狭くなるがまだまだ奥があり興味深い。このような洞窟がこのラジギールの山には多くあるそうで、強盗団が身を隠したりするという物騒な話をラジギールの友人から聞いた。

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途中参道で薪を運ぶ人たち

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時折巨木がお目見えする

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洞窟の一つ

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広場と洞窟

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最も大きい洞窟前にて。東南アジア方面型の仏像が置かれていた。

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同期Y師とお参りをする。

 


灯火


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日本寺本堂のオイル灯明

時折出張で帰りが遅くなった時ブッダガヤ近郊で真っ暗な中、遠くに見える村の灯火を見ることがあった。基本的に安全対策で明るうちにお寺に帰るのだが渋滞やアクシデントで暗い夜道を帰ることもある。

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ブッダガヤ大塔の灯明

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大塔灯明。みんな自由にそれぞれ信仰する仏像にロウソクの光を供える。

電気がない村も当時は多かったので真っ暗な中オイルランプの灯火が遠くに見える光景は感動的であった。結構距離はあってもその小さい一つの明かりが暖かい光となって安心感を与えてくれた。煌々と明るい現代日本では考えられない。知っている村でもないし知っている人もいない村でも不思議と安心感を与えてくれた。昔話で山道で迷い、光があった時の救われたという話の感覚であろうか。闇の中だからこそ光に救われる。

南無阿弥陀仏はインドの言葉の音写だが漢字で意味としての別の称え方がある。「南無不可思議光如来」


日本寺の池


ブッダガヤ日本寺にある池の蓮は美しい。本堂裏にある畳3畳ほどの小さい池には美しい蓮の花が咲く。コンクルート製の四角形の池。本堂や幼稚園に行くときの通り道にあったのでいつもよく眺めていた。

ある日主任M師と「この池は美しいですね」という話をしながら一緒に見ていた。私は日頃からこの池で気になっていたことを訪ねてみた。「この池はなぜ斜めなんですか?」実はこの池日本寺のすべての建物とは平行になっておらず、すこし斜めに作られていた。何かインドの風水的なものか、仏教的な意味があるのか。私の中で謎であった。「あなたはこれが池に見えますか?」との問い。どういう意味だろう?「実はこれはかつて日本寺の建物を作るとき、ブロックを作る作業場プールとして作られ、建築後壊そうと思っていたのが、いつの間にか水が溜まるので池にしたものだそうです。だからこの寺院の建物がある前から存在し、方向なんか適当に作った作業場なので建物と平行ではないのです」と。もともと池じゃなかったのだ。予想すらしていなかった話であった。

人は固定観念を持つとそこから離れることができない。人はしばしば先入観にとらわれる。

作業場が残ったのはやっぱり仏様のお導きかもしれない。

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会館にくらべて池は若干ななめなのがわかる。

 


映画「インドへの道」


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バラーバル石窟

数多くの映画賞を受賞した映画「インドへの道」を見たのは高校のときだった。映画好きの友人C君と映画談義をしている中で彼はこの映画がこのところ一番面白いといっていた。私はあまり面白いとは思わず、どこが一番良かったのかと聞くと、ある古い石窟寺院の中で主人公が声の音の反響でちょっとおかしくなるミステリアルな場面が感慨深いという。その後再度見てもやはり私はパッとしなかったので逆によく覚えていた。

駐在中していたブッダガヤの近郊ガヤ市北部のバラーバル石窟という紀元前3世紀に建てられたインド最古の石窟寺院(仏教寺院ではない)を見に行った。巨石を掘って中にホールを作る気の遠くなるような作り方で作った寺院。少々治安の不安定な場所にあり外国人観光客はあまり来ない遺跡であったが、なんとここが「インドへの道」のまさにその石窟寺院のモデルとなった場所であった。

映画のシーンのように石窟の中で声を上げてみた。その声の反響は映画の劇中のような本当に不思議な反響だったが、まさか将来その場所を訪れることの方がもっと不思議であった。人生何がどう繋がるかわからない。

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バラーバル石窟

 


仏像復興計画8


2012年10月26日高知県仏教仏教青年会で4回目のジェティアン参拝旅行が行われた。今回は新たにできた堂宇の沐浴場落慶式も兼ねた参拝旅行。今回はジェティアンの村の方以外にラジギールに来ていた日本の日本山妙法寺のお坊さんもおられた。式典は新しい沐浴場のテープカット、その後法要を行いスピーチと法要は行われた。今回は12年前の堂宇落慶時のようなバタバタもなくきっちり仕事をしており記念プレートまで作ってくれていた。

この12年でジェティアン村は仏跡としても有名になっており、インド政府要人や世界各国からの参拝者、特にラジギールからジェティアンまでのお釈迦様が歩いた旧道を徒歩で参拝するというスタイルが確立しつつあった。ちょうどこの場所はラジギールからブッダガヤの途中にある場所なので参拝しやすい。

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セレモニー入り口

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完成した沐浴場

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沐浴場から堂宇入り口

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堂宇から沐浴場への階段。階段下に小さい物置も出来た。

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多くの人が集まった

 

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テープカット

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記念版オープン

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法要中

 

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記念プレート

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法要中

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スピーチ

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最終会計検査

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記念撮影

この時の前後に高知新聞の某記者さんの目に止まり1999年から現在に至る一連の流れや今回の沐浴場建設の模様が高知新聞、毎日新聞に大きく取り上げられて掲載された。(お寺の本堂掲示板に張り出し中)

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現地新聞