蚊取り線香


日本の蚊取り線香は蚊の多いインド旅行には欠かせない。生まれて初めてインドに行った時もガイドブックの旅行必需品リストで最も重宝した。(同宿の日本人にも分けてほしいとのリクエストがあったほど)なぜならインドにもインド製蚊取り線香はあるが効かない。効きが弱く朝起きたら何箇所か噛まれていることが多い。(電気式の強いものもあったが停電が多くあてにならない上、人間の体にも悪そうな薬品の匂いがする)インド蚊取りは殺生を嫌うから完全に殺さないのだというのを某旅行記で読んだし、インド人からも聞いた。いやいや要は製造技術の問題・・・ものは言いようである、さすがインド!

通常の大手会社のインドツアーに組み込まれるホテルならあまり蚊は気にすることはないが、安宿に泊まるなら必ず持っていきたい必需品である。私は必ず今でも日本の蚊取り線香は持ってインドに行く。蚊に刺されるとデング熱やマラリアなどなど怖い落とし穴もある。まあかゆいのが一番いやだけど。

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駐在僧部屋。後ろの窓の網戸が貼ってあるが、窓を開ける棒を通すための大き穴が開いており、そこから蚊が普通に入ってきた。意味がない網戸だったが先輩はみんな我慢していたことになる。この写真はそれを直した直後の写真。

 


変な日本語


東南アジアを行くと、時折変な日本語に出会う。Tシャツやステッカー、お菓子などなどにデザインされている。日本でも英語のデザインで意味もわからずTシャツにデザイン化されていると同じことであろう。特に親日のタイなら不思議な日本語の看板、商品デザインで日本語をよく見かける。タイ人の言うには特にひらがなはその形が可愛いらしい。タイのガイドブックにもこのようなデザインのお菓子などお土産にと紹介されている。

インドでは駐在中一度ガヤの服屋で「RE雨宮」というMAZDAのロータリーエンジン車の専門自動車店のロゴをそのままフルコピーすればいいものを、わざわざおそらく手書きで真似てデザインした帽子を見かけた。このロゴは日本人でもかなり自動車好きな人でないとわからない極めてマニアックなものだが、よりによってRE雨宮のロゴかと絶句したことがある。12億人のインド人でこのロゴの意味のわかる人はおそらく皆無。どうしてそれをデザインしたのか追跡調査したらおもしろいだろう。・・・・買えばよかった。

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バンコク・スワンナプーム空港のメニュー。「うなぎドン」昔話に出てきそうで食べるのに躊躇する。「カレライス牛肉で」逆におしゃれ。

 

 

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もはやカタカナですらない。タイのカンボジア近く。

 

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旭日旗が普通に使える親日

 


ガヤでのお買い物


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崩れそうな建物も常用

駐在中、時々ブッダガヤ近郊の町ガヤ市に買い出しについて行った。非常に古い町で数千年経つお釈迦様の時代以前からある古い町である。綺麗な街ではなく常にゴミは舞っており、いつ建てられたのかわからない古い建物や崩れかけの建物なども多く、インドの正しい?街である。インドのハリウッドと呼ばれるボンベイのボリウッド・インド映画会社がこの町を専用ロケ地にしようという話もあったほどのある意味、インド的な個性魅力ある町である。ガヤ駅周辺を除けば完全にローカルな町で外国人が観光するような町ではないし夜間は治安がいいとは言えない。日本人が巻き込まれる事件やその他多くの事件が起きている。

買い物は食品、日用品、電化製品など庶民レベルのインド製品なら大体買うことができた。いつも行く商店は雑貨屋、米屋、文具屋、建材屋、自動車部品店など。雑貨屋はいろんなんものがあり楽しかった。カレー味に飽きた頃ほこりをかぶった賞味期限の切れたインド製マヨネーズを見つけた時は即買いした。私たち以外には買わないようでわざわざ仕入れてくれたが大概なぜか賞味期限切れだった。期限切れでもインドの感覚では問題無い。文具屋であやしい商品を買ったり建材屋で思わぬ掘り出し物を見つけては楽しかった。インド製の何世代も遅れた商品がむしろ新鮮だった。こんなもの輸入販売したらウケるだろうと思っていたが、同じように思う人もいるようで今はネットでもたくさん簡単に入手出来る。

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ガヤで買った雑貨のほんの一部。右から車用カーリー神電気式お守り。犬の陶器おもちゃ。タタ自動車純正エンブレム。ブッダのタイル。アンバサダーエンブレム。ちっちゃい灯油ランプ。こんなものが未だに大好き。

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ガヤ駅 ブダガヤの玄関口

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子供服売り場

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牛も当然いる


仏像復興計画7


2012年5月高知県仏教青年会によりジェティアン堂宇の裏にある池に堂宇の沐浴場を作ることになった。事前打ち合わせと建設資金寄贈のため会員有志と共に摂氏43度を超える酷暑のインドに向かった。村長と護持委員会とともに話し合い、10月の高知県仏教青年会の参拝旅行に落慶法要を行えるように建設をお願いした。

今回非常に驚いたのがラジギールからジェティアン村までの道路が完全に舗装されていることだった。今まではダートも多く道幅も狭かったが、安全に早くジェティアンを訪れることが可能になった。また実際にお釈迦様が通られたラジギールとジェティアンを結ぶ紀元前の旧道が整備され、ダートではあるが自動車でも通れるようにまでなっていた。聞くとラジギールからジェティアンのこの旧道を歩いて参拝する参拝団もいるとのこと。また何より鉄道が近くにできたことで格段に参拝しやすくなった。高知県仏教青年会が初めて99年に訪れた時よりかなりインフラが整い格段に良くなった。それに合わせて気軽にお参りできるようになったことは何より有難い。実は2000年の落慶法要時の団体参拝には地元警察が数人警備についてくれたほどだったが、今やそのような雰囲気はない。

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綺麗になった道

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村長のお出迎え

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ジェティアン堂宇

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参拝記念に署名

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ここから池にかけて階段状の沐浴場を作る

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計画案

 

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参拝中

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建設資金の寄贈

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現地新聞にも掲載

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堂宇から池を見る

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その後送られてきた建設中の沐浴場

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村の子供達

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整備された旧道。かつて車は通れなかった

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タイからジェティアン堂宇へ参拝に来られたという新聞記事2012年2月16日付新聞

 


不思議な50Rs札


インドのお金の単位はルピーでその下がパイサ。円と銭の違いと同じ。コインは1パイサから50パイサまで数種類(1、2、5、10、20、25、1/4Rs、50、1/2Rs)で未だに英国時代のものも流通しているようでたまに見ることができた。ルピーはコインとお札で1、2、5Rsは両方存在し、そこからは10、20、50、100、500Rsはお札になった。当時は500Rsが最高額札で滅多に見ることのないお札だったが今は1000Rsまである。昨年2014年3月31日からインドの地下経済で動いているお金をあぶり出すとのことで額面下にある発行年の印刷されていない古いもの(2005までは発行年は印刷されていなかった)は回収交換となり7月より交換両替の手続きが面倒になるとの記事を読んだ。

えらい急な話でそんなこと12億人もいるのに数ヶ月で本当にできるのかと思うがインドのお金事情は結構適当である。下に出した50Rs札だが裏面の国会議事堂の屋根に国旗があるものと国旗がないものがある。もちろん偽札ではない。ほんの一時期発行された非常に珍しい物でインドの国旗をよく思っていない政治家や役人の遊び心だとか噂されるが通常こっちを回収・・というか発行段階で問題になると思うのだが。

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上から1Rs2Rsと問題の50Rsと通常の50Rs

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上のには旗がない。下が通常の旗のあるお札

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旗が無い・・

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通常盤

 


南インド旅行


98年バンガロールに出張した時、少し暇をもらって、その足でケラーラ州というインドの一番南の州に行った。ここにはコモリン岬というインド洋、太平洋が交わるヒンズー教の聖地がある。またバックウォーターという内陸まで海が入り込んだ独特な地形を見ることができ、南インドの美しい観光地写真によく出てくる。

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バンガロール

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コーバラムビーチ

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インド最南端コモリン岬

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コーバラムビーチ灯台

バンガロールでの仕事も終わり同期Y師とケラーラ州首都トリヴァンドラムへ飛行機で到着した。北インドと違い言葉や文字はまったく別物で服装や人の顔も違っていた。まるで違う国に来たようだ。バスで1時間ほどのコーバラムビーチという海岸で短期間滞在することとなった。ビーチといっても娯楽があるわけでなく海岸でゆっくりするか海水浴をするくらいで、あとはビーチ沿いに建つレストランや喫茶で近くの貸本屋から数少ない日本語の本を借りて読んだり、お土産屋をひやかすようなところだった。ここを起点にローカルバスでトリヴァンドラム市内観光にいったり、コモリン岬やクイロンという町へ行きバックウォーターの乗り合い大型ボート(バスに相当する)に乗った。2時間1周回で6Rs、15円くらいでバックウォーター湾内を一周した時は時間の流れやヤシの木の景色などが素晴らしく本当に美しいと思った。写真を撮るのも忘れた。クイロンのバックウォーターはもう一度ゆっくり行きたいオススメの場所。

 


サーマネーラ、ケイトゥ。


ブッダガヤに赴任して間もない頃、3人の少年僧侶と友人になった。インドとバングラディシュ国境付近にいる仏教徒チャクマ族のサーマネーラ(子供見習い僧侶)である。ブッダガヤにはこのチャクマ僧侶はぼつぼついて、ブッダガヤのアイドル的存在の老僧「チャクマ・バンテー」(チャクマのお坊さん)のお寺に彼らは住んでいた。

大塔などでよく3人で話をしていたがいつの間にかケイトゥという15歳 の子以外は還俗したり、故郷に帰った。彼は情熱的で立派な僧侶になるために頑張っていた。英語力も初めはさっぱりだったがすぐに追い抜かれて追いつけないくらいに勉強していた。いつもニコニコして話す中に時折鋭い眼光でチャクマ族の置かれた環境(国境問題で強制分離された民族でもあり、またキリスト教徒も多い地区なので宗教問題も多い)や仏教の話した。もっといいお寺にと私立のタイ寺に入門し、そのうちボンベイ郊外の仏教徒の多いタネ地区のお寺に行ってしまった。バンガロール出張のときボンベイに立ち寄った際、彼の住所を訪ねた。彼は研修のためいなかったが寺を守る人に聞くとこの周りは仏教徒が人口の25%もいるとのこと。寺は非常に質素で備品、仏具もほとんど無い状態だがみんな頑張って仏教が徐々に広まっていることに感動した。時々彼らは元気だろうかと思いだす。

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ブッダガヤの金剛坐前で。中心がケイトゥ。

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日本寺にて

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老僧がチャクマ・バンテー、横はケイテゥ

 

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ムンバイ郊外タネ地区のお寺

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寺の中。仏教徒インド人とチャクマ族の少年もいた。アンベドカル博士の遺影がインドのお寺らしい。

 


仏像復興計画6


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ガヤ地区ヒスア周辺の踏切にて

 

2008年の訪問も終わり2009年頃本当にラジギールからガヤに抜ける鉄道の話が動き出した。しかもわざわざジェティアンに迂回するルートである。正確にはヒスアというラジギールからガヤに行くときに通る小さい町にもともとある鉄道に連結される。ここに繋がることでガヤに連結できるわけである。ラジギールとヒスアはまっすぐな道で繋がっており、道沿に作れば最も簡単で短い距離で作れるが、ジェティアンを通ることでかなり迂回することになる。ちょうどガヤ周辺の議員さんが国鉄関係大臣になったらしく、ガヤ地元へのサプライズ(ジェティアンはガヤ地区内)や利権や工事などいろんなことがあると思うが、ジェティアンに鉄道を引き駅ができることは何より嬉しかった。しかも私たちの作った堂宇の比較的近いところに駅ができるという。村の中心より堂宇の方が近いくらいだ。私たちが長年続けてきた仏像復興でこの地が注目されることがなかったらここに鉄道建設の話はなかっただろうと村人から感謝の言葉をいただいた。

工事はゆっくり進み2011年後半に完成した。実際の営業運転は2012年春から。当初駅舎を日本寺院風にしようという村人の意見もあり、簡単な図面をビハール州のインド国鉄に送ったが、いい意見だがちょっと・・的な手紙が帰ってきた。結局駅舎は出来なかった。

2012年10月。4回目の団体訪問の際には駅から力強く走る鉄道を見ることができた。

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工事中、下の完成写真がある。手前の大石は健在

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下の写真とくらべてほしい。同じ場所

 

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立っているところが元々の地面。鉄道のためこれだけ掘った。

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元々は全く何もない平地だったが堤防のような線路が数キロできた。

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ジェティアン駅

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特に駅舎というものはない。この手前数百メートルが堂宇。

 


クシナガラの龍


98年アメリカから高校同期の浄土真宗開教使(海外に浄土真宗を布教する専門の僧侶。特に日系移民社会では浄土真宗はメジャー宗派である)のT師がインド聖地巡礼に尋ねてきた。一緒にお釈迦様の誕生から亡くなるまでの聖地を7日ほどかけて巡礼した。お釈迦様が亡くなった地クシナガラでツーリストホテルに宿泊した。暑い時期でエアコンルームを頼んだが深夜、大元の電源を切られてエアコンが全く使えない。エアコンルームを頼んだ意味がないがインドではよくあること。仕方なく暑さを紛らわすためベランダに出たら雲の中に稲妻が走っていた。地上に落ちる一般の稲妻ではなく雲の中を稲妻が走る。「龍だ!」この時はああ昔の人はこれを見て「龍」と思っていたのだなというよりも「あっ龍!」と本気で思うくらいの迫力があった。日本でも雲の中を走る稲妻はたまに見ることができるがインドのそれは全く迫力ちがう。

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クシナガラ深夜、雲の中を走る龍

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クシナガラの涅槃像