工事は2000年10月に完成を目指し進められた。高知県仏教青年会でも新年度より募金を募り多くの寺院から協力がいただけた。堂宇は日本のお寺風で屋根瓦や鬼瓦もコンクリートにより彫刻するように作られた。瓦一枚一枚ではなく日本のお寺の写真を見たままの外観の通りに作る。職人は瓦を見たことないインド人だ。
酷暑や雨季もありなかなか工事は進まない。落慶法要は忙しいお寺さんの団体旅行なので、出来たらさあすぐ行きますにはならない。建設と旅行準備を並行して進めた。
10月団体旅行数日前、準備のため団体より早くインドに出発した。ジェティアン村に行くと堂宇は建ったが肝心の仏像がまだ据え付けられていなかった。これは焦った。翌日ジェティアン村の村民あげて手動ウインチと人力で数百キロはある仏像が動かされ、やっとのこと堂宇に鎮座したのを確認しデリー空港に団体を迎えに行った。

jethian 仏像を堂宇に人力であげる

jethian 仏像を堂宇に上げる作業
数日後青年会とともにジェティアン村に無事到着した。堂宇は綺麗に飾られ多くの人が集まっていた。完成した堂宇の前に村長を始め村の重鎮が一張羅のクルタを着て整列しているのをみてこみ上げて来るものがあった。お堂の前で横に並んだ姿は彼らの姿は今も忘れることができない。

jethian
集まった村人たち

jethian 落慶法要
村の娘たちが晴れ着を着て歌で迎えてくれる。頑張ってお父さんに買ってもらったであろう新品の服を着た子供が目立つ。

jethian村から歌のプレゼント

参拝団の面々。堂宇上にあるのが協力いただいた寺院のドネションプレート

村の各地から集まっている放置仏像

近年の写真。赤い色はちゃんと祀られている証拠

ブラックストーン。基本的に仏像はこの石で作られる。油で磨くと真っ黒になる。
村長たちを握手を交わし落慶法要修行。村の方々からのスピーチ、仏教青年会参拝団長からの挨拶、私の挨拶続いた。日本にこの繁栄をもたらしたのは仏教によるものであり、お釈迦様がサルナートで友人の僧侶に教えを説いたのちに、ビンビサーラ王を始め多くの一般民衆にこの場所で初めて教えを説いたジェティアン村は仏教の出発点でもある。その感謝を込めてこのお堂を作った。これからは村の皆さんでしっかり管理してほしい。そしてもし放置された仏像があったらここに持ってきて供養してほしいとお願いをした。
また心の中でこれを見たインド人がこのお堂をわざわざ日本から来て作る仏教徒ってなんだろう。仏教ってなんだろうと思う人がいてくれて、そして一人でもいいから仏教を学んでくれたらいいと願った。
わたしたちの本当の願いは仏像復興ではなく仏教復興である。
その後2000年から高知県仏教青年会は4年ごとに渡印しこの堂宇護持や仏像復興を行うことになった。
当時のことは中外日報という宗教新聞にも取り上げられて掲載された。

jethian 堂宇に集まった人たち

jethian堂宇全景

復興された仏像。赤いのはヒンズー教徒のお参りで金箔はタイ周辺の仏教徒のお参りの証拠

jethian 記念冊子