No more HIROSHIMA,No more NAGASAKI.


インドで日本のどこから来たという話題になった時「TOKYO? or OSAKA?」という質問になる。高知県といっても説明するのに大変なので大阪の近くだといってお茶を濁す。シッキムの土産物屋で世間話をしている時、この話になった。広島の友人N師と行っていたので私はいつもの大阪の近くと話したが彼はそのまんま「Hiroshima・・・」というやいなや一気に顔つきが変わった「広島!大丈夫なのか!」「いやいやもう広島はデリーくらいの大都会だ。長崎も同じだ。問題無い」「Oh・・Hiroshima,Nagasaki・・」と彼はつぶやいていた。インドでも原爆投下は学校で習う。地名は広島と長崎は東京並みに一発で通じる。

駐在中の1998年8月6日大塔の金剛座前でブッダガヤ隣山会主催で広島長崎平和祈願追悼法要を行った。ブッダガヤ中の各国住職、主幹も集まり約30分の法要があった。みんなから日本人だからなんか喋れと言われて「私たち日本人の願いはノーモア広島ノーモア長崎です」と静かに言った。新聞社も数社来ており翌日写真入りで大きく掲載されたインド人の関心の高さが感じられた。

IMG_2908

法要中、手前は金剛座

 

IMG_2907

左から日本の大乗教主幹、インド人僧侶、私、大塔管理委員会主幹