インドの飛行機、空港


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インディアンエアラインズ、ガヤ空港(ブッダガヤ近郊)

エアンディアですごいインド人を見た。音楽を聴くイヤホンを前の席の上部に引っ掛けて音の出る方を自分の方に向け、音を最大にしスピーカーのようにして音楽を聴いているターバンを巻いたインド人がいた。ターバンがあるからイヤホンを頭に付けれないのはわかるが他人の迷惑など考えていない。その上イヤホンながら結構大きい音が出ているので、となりの友人との会話も大声になり機内にそのインド人の大声と音楽が響き、インドに着く前からインドにいるようで思わず大爆笑してしまった。またインド人はゴミを飛行機でも床にそのまま捨てる。習慣だからしかたがない。また読んだ新聞もちゃんと畳まず床に置いたりするので、飛行機を降りる時そこら中ゴミがだらけでびっくりするし、ああインドにきたなあと実感する。キャビンアテンダントもかなり適当で離陸走行中に携帯で喋っている人がいても注意しない。飛行機自体も適当で着陸の勢いで上から酸素マスクが落ちてきたのも一度や二度ではない。インドにつく前からもうインド。しかしながらエアインディア機内食はしっかりしたインド料理で美味しく機内食の優秀賞も受賞している。

さてデリーなどの空港ではさすがにないがガヤ空港など地方空港では入国や税関で揉めたりすることもあるが、この地方空港のインド人係員の親切で、ある意味命拾い?をした。パトナ空港に到着し荷物待ちをしていたら係員がパスポートを高々と上げて、誰のだ誰のだと言っている。外国人らしい人で乗っていたのは私たち数人の日本人だったので誰だろうとパスポートを手に取るとなんと私のパスポート!座席と毛布の間に落ちていたという。2日ほどあまり寝てなかったのでボーとして、うっかりカバンから出して、入れ忘れていたようだ。他の係員も集まりだして、なぜ無条件で渡したのだ!みたいな面倒そうな話になりかけていので、やばいやばいサンキューサンキューで、すぐさまその場を離れたが、あの時の係員さん。あなたは極楽往生まちがいなし!もし彼が見つけてくれてなかったら想像するだけでゾッとする。日本ならこの程度の親切はよくある出来事だが、インドでは通常無くしたパスポートは99.9%出てこない・・と信じられているしかし・・・奥深しインド。なおこの日以来、命の次に大切なパスポートは移動中には必要以外絶対出さないようにしている。

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デリー空港チェックインカウンター

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ガヤ空港


菩提樹の葉っぱ


仏教徒にとって菩提樹は最も聖なる木である。なぜならこの木の下でお釈迦様が悟りを開かれたからである。お釈迦様滅後の約500年西洋文化の影響を受けたガンダーラ仏像が作られるまでお釈迦様像は形に表すことが不遜とされ偶像化されることはなかった。その代わり佛足石や菩提樹が礼拝の対象になっていた。特にブッダガヤの菩提樹はお釈迦様の正覚を開いたまさにその木である。ならばこの木は2500年以上の年輪が刻まれているかというとそうではなく仏教弾圧により長い間なくなっていた。1900年ごろブッダガヤ大塔が発掘され聖地として再機能してからスリランカにあった原木の3代目の孫の木からここに移されてきた菩提樹である。私が駐在していた頃は自由にこの木の幹に触ってお参りできたが、あんまりみんなが触るので木が弱ってしまい今は触れない。

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ブッダガヤの聖木・菩提樹

この木の葉っぱが仏教徒にとっては聖地ブッダガヤに来た記念品やお土産になる。先の数珠屋も数珠とともに「ハッパアルヨ!」「ホンモノハッパ!」とちょっとびっくりするセールストークをしてくる。噂ではかつて50年代の海外旅行が難しいころ旅慣れしていない日本人が100ドル札の価値がよくわからず菩提樹の葉っぱと交換していたという話がある。そんなこともあってか原価4Rsのブッダの絵の描いた葉っぱを100Rsで売ろうとする輩もいる。

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ブッダガヤで売られている加工された菩提樹の葉っぱ。因みにこれらは悟りの菩提樹のもではなくその辺の菩提樹の葉から加工。

さてこの菩提樹が日本で育つのか。ネットで見ると西日本や太平洋側日本各地でインド菩提樹がそこそこの大木になって育っている。私も悟りの菩提樹の種を持ち帰り育てて10年かけ育てやっと数メートルにまで育った。冬は大概大きい幹を残して枯れてまた枝が生えてくるのを繰り返す。先代住職が植木屋で見つけたインド菩提樹は20年以上かけてやっと8mほど育った。なお宗教色のない普通のインド菩提樹の苗木はネットなどで普通に販売されている。

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大きい方が植木屋で見つけた方で左側がインドの種から育てた菩提樹。

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菩提樹の葉っぱ

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インド・聖木菩提樹の種から育てた


ブッダガヤの数珠屋


ブッダガヤにいった人、誰もが思い出すのは数珠屋の押し売りであろう。その他いろんなインドの聖地でも同じ輩に会うが数と勢いはブッダガヤは群を抜いていると思う。観光バスを降りれば何十人の数珠屋が腕に山ほどの数珠をぶら下げて売りにくる。「コレボダイジュ、ホンモノ!ヤスイ!」少しでも関心を持てば「コレ1000ルピー!ノータカイ。ホンモノ!」とふっかけてくる。いらない、いらないとなると「500ルピー!」とか「3コデ1000ルピー」になりそれが「100ルピー!ラストプライス」とか20束くらいを「ゼンブデ1000ルピー」になる。円やドルの場合もある。最後は「イクラナラカウ!」と逆切れし買うこと前提で話しがすすむ。このような数珠屋以外にも日本語を教えてくれと近づいたり、ブッダガヤを案内するといって近づいて最後に数珠を売るというパターンがある。これで成功した数珠屋はホテルを建て実業家。ブッダガヤドリームである。

ちなみにインド菩提樹の数珠というものは存在しない(出来ない)。国内の仏具店でもインド菩提樹の数珠と売っていたりするが他の木の実を菩提樹といっているだけである。しかしながらそれらの実を「○○菩提樹」とそれぞれすでに名詞がついているのでこの流れは変えようが無い。

まあこの数珠屋もお客さんになれば親切にいろんなところに連れて行ってくれたり、通常は入れない場所やおいしい食事など便宜を図ってくれるので、望むならばつきあうのも悪くはない。まあ「お釈迦様の悟りの聖地で買った数珠」には付加価値があるのだから便宜へのチップと思って思い切り値切り倒して買ってほしい。

 

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数珠屋さん

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ブッダガヤ大塔前を歩くとワサワサ近づいてくる。

 

 


ラジギール温泉


お念仏発祥の地ラジギール。ここには温泉が数カ所ある。温泉精舎と呼ばれるヒンズー寺院や、かつてはお釈迦様のライバル、ダイバダッタがいたという今はイスラム温泉寺院、また数キロ離れたジェティアンと呼ばれる村の入り口にもタポーバンというヒンズー教寺院の温泉がある。

基本的に異教徒は入れないが温泉精舎は地元ガイドがいればそれほどエントリーは難しくない。実際に入浴が可能なのは温泉精舎が閉まり参拝者がいなくなったあと夜9時くらいに行けば入れる。ここはカースト別に入る場所が決まっていて上の方から温泉が下に作られて上の人が使った湯を下の人が使う。日本人が入るのは上の温泉。お湯は40度くらいで無色無臭約5mの正方形で深さ1mぐらいの深さがあり立って入る。衛生的にはよくないようで私はここで顔をあたっただけで大下痢をしたし友人はヘソを膿んだ。何もおこらない人もいるので傷や口に水を付けないことを注意すれば問題ないと思う。

徒歩圏内にお釈迦様がお念仏、法華経を説いた霊鷲山や長く住まわれていた竹林精舎あるのでおそらくお釈迦様も入られたことだろう。お釈迦様の湯でもある。

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温泉精舎の最も下にある温泉

 

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無色透明で40度くらい丁度の湯。

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温泉の源泉が出ているところ。これが数カ所横に並んである。

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階段を下って温泉に入る

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ラジギールのお釈迦さまの天敵ダイバダッタの温泉。現在はイスラム寺院

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ダイバダッタの湯。多分ムスリム以外は入浴出来ない。

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ジェティアン入り口のタポーバン精舎

 


聖地でのマナー


仏教は大乗、上座部(小乗)から国や文化、信じる仏や教典によって様々なグループが存在する。つまり日本仏教では浄土真宗があったり日蓮宗があったり真言宗と違いがあるが、インドの聖地は共通する。したがってそこでのお参りのやり方はそれぞれ違いが出てくる。ナンマンダーと称えるクループがあったりオンマニペメフーン(チベット)というグループもあったり、本当にいろいろある。そこが面白いところなのだが、やっていいことと悪いことがある。かつてオウム真理教の教祖は絶対に上ってはいけない(通常発想できない)お釈迦様の悟りの場所に鎮座する仏教徒最高の石盤、金剛座に座ったことがあった。信心は大切だがマナーも大切。

数年前仏教青年会で早朝ラジギール霊鷲山に参拝にいった。念仏や法華経をお釈迦様が解いた大聖地である。このとき他の50人くらいの日本人の先客がおり自分たちの信じるお経を大声で称えていた。私たちはそれが終わるのを静かに待った。お経が終わり私たちの番。お経を始めるが先ほどお経を称えていた人たちは大爆笑や大声で写真をとったり話をしている。私たちは静かに自分たちそれぞれの想いをこめてお経を称える。私たちは笑顔で山を下りた。      マナーは大切に。

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天然石の鷲が口を開いて手前が羽のように見えるから「霊鷲山」

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霊鷲山から朝日を拝む。


シッキムレポート


以下のレポートは浄土真宗の四国管内。四州教区から教区報原稿依頼のあったものに加筆したもの(文体が違うのはそのため)

今年6月インド国シッキムに入域しました。この地は本願寺22世門主・大谷光瑞猊下の命をうけチベットに入り多くの資料足跡を残した本願寺派僧侶、多田等観師がこの方面からブータンを抜け密かにチベットに入った場所です。先日京都龍谷ミュージアムにて師の特別展が行われてお目に触れた方も多いと思います。

まず私たちはカルカッタの北方、シリグリという町から通常は整備された国道でシッキムに向かうのが通常のルートですが、せっかくなので多田師がチベットに行くために超えたと思われる峠を目指しました。山道に入る手前は一面茶畑で特にシッキムに入ると政府による広大な茶畑がみれます。四国山地のような景色の山道を通りますが舗装路は奥に進むほど狭く未舗装となり最後は崖崩れして道に数メートルの巨石がいたるところに落ちている道を進みます。日本なら通行止めでしょう。対面の山道が崩れている瞬間が見えたほどです。しかしこれよりもっと狭い危険な道を徒歩で時には密入国であったため現地人になりすまし裸足でチベットに多田師は入国したそうです。求道心に頭が下がります。標高2000mのラヴァという町を超えてシッキムに入りました。シッキムは現在インド人以外は特別な入域許可が必要で州境で申請します。

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シッキムへの道。まだマシな方

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一面の茶畑

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シッキムの街

シッキムの州都ガントクは標高約1800mの山頂にへばりつくように出来た町です。インド人が避暑地として観光に来ており、非常にきれいな町です。観光地でありながらインドでよく会うしつこい土産物売りは皆無で落ち着いた印象です。チベット文化圏ですのでいたるところに仏教寺院が有ります。お寺はたくさんの僧侶が住み講堂で勉強している姿をよく見ました。勉強の仕方を聞きますと、すべて教典は暗記が基本とのこと。ちなみに浄土真宗のネパール開教区カトマンズ本願寺のソナム所長はこのシッキム出身でこういったお寺の学校の校長であったそうです。

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お経を覚える僧侶

ガントクでは一軒の亡命チベット人の家に招待されました。お仏壇を見せていただきました。お仏壇にはいろいろな仏様がまつられており、チベットから持って来たという古い写真は若い頃のダライラマ法王や中国に破壊される前のチベットの街並みお寺などが写っていました。現在の同じお寺の写真を見たことがあったのでその変わりように涙が出ました。

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ムルテク寺院

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チベット仏教徒の仏壇

 

翌日はチベット仏教の四大宗派の一つ、カギュ派の総本山ムルテク僧院に参りました。この宗派の門主というべき、カルマパ17世猊下は2000年、中国からインドに亡命しましたが、シッキムは中国に地理的に非常に近く政治的理由でいまだ入寺できずチベット亡命政府のあるダラムサラにいます。師はダライラマ法王と並ぶチベット仏教徒の心の支えです。寺院内はちょうど法要の最中で100人を超える僧侶が読経しておりその重低音のお経は意味はわからずとも心にしみるものでした。本堂内の阿弥陀仏にお参りし境内を散策。たくさんの信者さんが本尊に向かって五体投地で拝む姿は心を打たれます。その後他の同様の寺院に参るのですが、その度山道を数時間かけなくてはならず体力的に非常に苦労します。
ムルテク僧院本堂数日の滞在でしたが多田等観師の足跡、チベット仏教徒の置かれた現状、文化などを味わうことが出来ました。現地は飛行機でデリーやバンコク経由で西ベンガル州バグドグラ空港からはタクシーで4時間ほどでシッキムです。近くには紅茶で有名なダージリンもあり仏跡旅行で行くインドとはまた違った雰囲気です。

浄土真宗とチベット仏教はこのように大谷探検隊と先代ダライ・ラマ13世の時から繋がりがあり、チベット国旗を作ったのも浄土真宗の僧侶・青木文教ですし、また現14世の兄が築地本願寺にお住まいになったこともあります。ダライ・ラマ14世は2005年に本願寺に表敬訪問されました。『愚の力』 (文春新書)大谷光真著にその時の対談の様子が詳しく書かれています

追記:多田師は本願寺門主派遣の留学僧として入蔵しましたがその後門主が失脚し、西本願寺からの援助が断たれ大変苦労されてこの偉業を行いました。現在多田師の偉業を大谷探検隊の手柄のようによく言われますが少し事実とは違うようです。

 

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実際に掲載されたもの


日本寺の屋上で


駐在し始めのころ、大塔にお参りに行かない夜は同時に赴任したY師と日本寺国際仏教会館(宿泊施設)の屋上にのぼり空を見て衛星や月をみながらたわいもない話をした。ブッダガヤの夜空は星が奇麗で衛星が普通に見える。時々停電があったのでブッダガヤ中が停電すると満天の星空であった。

赴任したての頃はまだコンビニとか自動販売機とかの禁断症状中だったので自動販売機で缶コーラを買って飲む空想とかし合った。まったくバカらしいが当時は真剣に面白かった。缶コーラぐらい・・。と思うかもしれないが当時、コーラ系はブッダガヤでは瓶のサムズ・アップというスパイスのきいた感じのインドコーラやペプシしか入手できず(缶コーラをブッダガヤで見たのはほんの数回)、日本でもあまり飲まない缶コーラがなぜか懐かしかった。州都のパトナまで車で3時間半以上かけて行かないと缶コーラは入手できないものだった。

また空を見上げ日本で見る月もここの月も同じなんだなあとよくある話を本当に思ったりした。大塔からムスリムのアザーンやパーリー語のお経が流れてくるのを聞きながら夜空を見ていた何でも無い時間だったが今思えば最高の贅沢だった。

なぜ屋上なのか?部屋は暑いし地上なら虫が這ってくるからここしかない。

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国際仏教会館のキッチンにある駐在僧用食堂で同期Y師と。


芸は身を助ける


パトナへ車で出張中、ドライバーのBが急にゆっくり止まって「先生。ハンドルが動かないです」という。ハンドルを調べるとハンドルは動くがタイヤが動かない。要はハンドルとタイヤをつなぐ何かが壊れているという状態であった。JAFなんか無い。ガソリンスタンドも近くには無い。いや真ん前がガソリンスタンドでもインドのガソリンスタンドはガソリンを売るだけで修理の出来る人はいない。これは困った。あたりは霧が出ておりここがどこか分からない。いやむしろ霧が晴れて野次馬が集まったら治安はあまりいいところでないので危ない。さてどうする。

私は自動車が好きで例えばミッションの積み替えレベルなら一人で出来る知識と経験があった。何せインドに赴任する時、この技術を日本寺に活かそうかと簡単な自動車工具をインドに持って来たぐらいである。

すぐさま車の下に潜る。ハンドルとタイヤをつなぐポイントのナットが無いことを見つけた。簡単な問題である。Bにどこからハンドルが聞かなくなったかを聞きその辺りにナットが落ちていないか探す。発見!車載の工具でナットを閉める。これでとりあえず問題ない。仏教とは全く関係ないけれどあの技術が無かったら間違いなく大変なことになっていた。

人生何が繋がるか分からない。

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ナットを閉める。今見るとタイヤ交換ジャッキだけで車の下に入っている。思い出してちょっとぞっとした。


B.R.アンベードカル


インドで一般の仏教寺院や門前土産物屋で大橋巨泉のようなおじさんの写真や像を見ることがある。B.R.アンベードカル氏。

仏教徒は1%くらいといわれている。そしてここには2つの大きな流れがある。一つは少数ではあるがベンガル地方からビルマ国境付近を中心とした伝統的な上座部仏教。そしてインド独立の際、法務大臣としてインド法律草案作成者である政治家B.R.アンベードカル氏が行ったカースト制度の不可触民解放運動として仏教に改宗したことに始まる「新仏教運動」※1と呼ばれる2つの流れである。「新仏教運動」は先に紹介した佐々井秀嶺師に引き継がれ非常に大きな流れとなっている。このアンベードカル氏は独立を支えた方でもあるので宗教を問わずして人気があるが、特にインド仏教徒には菩薩として偶像崇拝されるほど人気がある。(チベット仏教は除く)

98年2月末インドのシリコンバレー・バンガロールに日本寺にパソコン導入のため視察出張の命を受けた。休暇もかねており約3週間旅行。ムンバイ・バンガロール・ケラーラを周る予定を組んだ。アンベードカル氏はムンバイに住まいをおいていた、出発前ブッダガヤで知り合ったムンバイのお坊さんをたよりにアンベードカル氏旧跡巡りをお願いしていた。指定されたアンベードカル・ガンジという場所の大学に行くとお坊さんは留守だったがTV関係者と大学の先生がお世話してくれた。

いきなり連れて行ってくれたのはアンベードカルの家。しかもいきなりの直接訪問。ノックして若い女性が出てお孫さんかお手伝いさんか分からないが「急に来られても無理!」と門前払い。当然。その後有名なアンベードカル著作「ブッダとそのダンマ」の印刷工場へ。歴史を感じる印刷所でいまは普通のノートとかを印刷しているとか。そこら中にあの本を作ったアルファベットの印刷用活字が転がる。

山際素男著「ブッダとそのダンマ」で彼のことを知ることが出来る。

※1「新仏教運動」一般にこの表現をしているが仏教徒に新しいも古いも無い。特に「新仏教徒」と彼らをくくることは適切な言葉では無い。「仏教復興運動」ともいう。

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アンベードカル宅

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インドの街角にあるアンベードカル像。ちょっとした町なら見つけることができる。

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印刷工場。作業場にも彼の写真が掲げられている。

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陶器市で見つけたアンベードカル像。 インド仏教徒は仏像の横に置くことが多い。

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アンベードカルグッズ

 


インドの交通事故


数年前ニューデリー郊外を団体バスで移動中、急ブレーキと共に一緒に旅行している女性の悲鳴が聞こえた。私は左側席であったが右側席の様子が尋常じゃない。なんだなんだと見に行くと事故で人が倒れてたという。バスはそのまま進んだので私はその現場は見れなかったが、お父さんらしい人の下あごを残し頭部が飛ばされて無い遺体を中心に子供を含む家族らしい数人が身動きせず倒れていたという。インドは横断歩道なんてないも同然だから道を渡ろうとした家族がトラックかなにかにはねられたのだろう。加害車らしいは止まっていなかったそうだ。かわいそうに。

インドは交通事故が多い。駐在中何度も事故現場や事故の話もよく聞いた。インドで死亡人身事故が起こると警察が来る前にその現場でドライバーはリンチにあうという。だからドライバーは事故後すぐにその場を逃げるそうだ。現場で車が動かなくなても走って逃げるという。車から犯人は割れ後々捕まるだろうが、その場にいたら殺されかもしれない。

カルカッタでタクシーで移動中、10歳くらいの子供の自転車がふらふらと私たちのタクシーにぶつかって倒れた。けがはなかったが日本なら確実に人身事故である。ちょうど交差点で警官がそばで見ていた。警官が近づいて来てドライバーに注意すると思いきや、なんと長い警棒で子供をたたき怒り始めた。どいうことかガイド確認すると子供の自転車の運転が下手なことを警官が注意したという。

またカルカッタで信号待ちで後ろの車がトンと軽くぶつかって来た。一応、追突されたわけであるが、ドライバーはバックミラーで後ろのドライバーをチラッとにらむだけであとはお互い全く問題なし・・。逆にこちらが信号待ちで前の車に当たって止まったこともあった。もちろん問題なし。まあそのために前後にバンパーがあるのだが。

車社会もこれほどインドは違う。

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事故にあったトラック。長距離を移動すると結構な確率で見れる。