シッキムレポート


以下のレポートは浄土真宗の四国管内。四州教区から教区報原稿依頼のあったものに加筆したもの(文体が違うのはそのため)

今年6月インド国シッキムに入域しました。この地は本願寺22世門主・大谷光瑞猊下の命をうけチベットに入り多くの資料足跡を残した本願寺派僧侶、多田等観師がこの方面からブータンを抜け密かにチベットに入った場所です。先日京都龍谷ミュージアムにて師の特別展が行われてお目に触れた方も多いと思います。

まず私たちはカルカッタの北方、シリグリという町から通常は整備された国道でシッキムに向かうのが通常のルートですが、せっかくなので多田師がチベットに行くために超えたと思われる峠を目指しました。山道に入る手前は一面茶畑で特にシッキムに入ると政府による広大な茶畑がみれます。四国山地のような景色の山道を通りますが舗装路は奥に進むほど狭く未舗装となり最後は崖崩れして道に数メートルの巨石がいたるところに落ちている道を進みます。日本なら通行止めでしょう。対面の山道が崩れている瞬間が見えたほどです。しかしこれよりもっと狭い危険な道を徒歩で時には密入国であったため現地人になりすまし裸足でチベットに多田師は入国したそうです。求道心に頭が下がります。標高2000mのラヴァという町を超えてシッキムに入りました。シッキムは現在インド人以外は特別な入域許可が必要で州境で申請します。

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シッキムへの道。まだマシな方

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一面の茶畑

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シッキムの街

シッキムの州都ガントクは標高約1800mの山頂にへばりつくように出来た町です。インド人が避暑地として観光に来ており、非常にきれいな町です。観光地でありながらインドでよく会うしつこい土産物売りは皆無で落ち着いた印象です。チベット文化圏ですのでいたるところに仏教寺院が有ります。お寺はたくさんの僧侶が住み講堂で勉強している姿をよく見ました。勉強の仕方を聞きますと、すべて教典は暗記が基本とのこと。ちなみに浄土真宗のネパール開教区カトマンズ本願寺のソナム所長はこのシッキム出身でこういったお寺の学校の校長であったそうです。

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お経を覚える僧侶

ガントクでは一軒の亡命チベット人の家に招待されました。お仏壇を見せていただきました。お仏壇にはいろいろな仏様がまつられており、チベットから持って来たという古い写真は若い頃のダライラマ法王や中国に破壊される前のチベットの街並みお寺などが写っていました。現在の同じお寺の写真を見たことがあったのでその変わりように涙が出ました。

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ムルテク寺院

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チベット仏教徒の仏壇

 

翌日はチベット仏教の四大宗派の一つ、カギュ派の総本山ムルテク僧院に参りました。この宗派の門主というべき、カルマパ17世猊下は2000年、中国からインドに亡命しましたが、シッキムは中国に地理的に非常に近く政治的理由でいまだ入寺できずチベット亡命政府のあるダラムサラにいます。師はダライラマ法王と並ぶチベット仏教徒の心の支えです。寺院内はちょうど法要の最中で100人を超える僧侶が読経しておりその重低音のお経は意味はわからずとも心にしみるものでした。本堂内の阿弥陀仏にお参りし境内を散策。たくさんの信者さんが本尊に向かって五体投地で拝む姿は心を打たれます。その後他の同様の寺院に参るのですが、その度山道を数時間かけなくてはならず体力的に非常に苦労します。
ムルテク僧院本堂数日の滞在でしたが多田等観師の足跡、チベット仏教徒の置かれた現状、文化などを味わうことが出来ました。現地は飛行機でデリーやバンコク経由で西ベンガル州バグドグラ空港からはタクシーで4時間ほどでシッキムです。近くには紅茶で有名なダージリンもあり仏跡旅行で行くインドとはまた違った雰囲気です。

浄土真宗とチベット仏教はこのように大谷探検隊と先代ダライ・ラマ13世の時から繋がりがあり、チベット国旗を作ったのも浄土真宗の僧侶・青木文教ですし、また現14世の兄が築地本願寺にお住まいになったこともあります。ダライ・ラマ14世は2005年に本願寺に表敬訪問されました。『愚の力』 (文春新書)大谷光真著にその時の対談の様子が詳しく書かれています

追記:多田師は本願寺門主派遣の留学僧として入蔵しましたがその後門主が失脚し、西本願寺からの援助が断たれ大変苦労されてこの偉業を行いました。現在多田師の偉業を大谷探検隊の手柄のようによく言われますが少し事実とは違うようです。

 

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実際に掲載されたもの