佐々井秀嶺師


佐々井秀嶺師。日本人であったがインドの「不可触民」を差別から解放するため仏教へ改宗させる運動を何十年と行いインドに帰化された非常に熱い僧侶である。仏教はカーストを否定する完全平等の教えである。

多くのヒンドゥー教徒インド人を仏教に改宗させ一大ムーブメントになる流れを作ったインド仏教徒なら知らない人はいない方だ。はるか昔、日本寺に数ヶ月間駐在僧をしたこともある大先輩である。赴任する前、佐々井師のことは本などで知っており非常に興味があった。

赴任して数ヶ月ほどした11月末ブッダガヤに佐々井師が来ているというので会いにいった。夜、大塔管理委員会という大塔の事務局にある宿舎に行くと通常のドミトリー(相部屋)のベットの上に座っておられた。「私が佐々井です」堂々とした自信に満ちた始めの言葉だった。赤茶のシャツとズボン、ぼろぼろのダウンジャケットを着て袈裟を羽織っていた。彼は私は日本の仏教のよいところだけをこの運動に活かしているという。例えば強盗を改心さすためには親鸞聖人の悪人正機の話、闘争には日蓮上人など臨機応変に日本仏教を使い伝道に活かしているのだと。また日本仏教は宗派だけにこだわりお釈迦様はおろそかにしてるなど、そのような話を1時間ほどした。常に目を見て話す方で普通の時はニコニコとお話しされるが仏教や改宗運動の話になると非常に厳しい顔をされたのが印象的だった。ガラガラのだみ声で日本語とヒンディー語が混ざり立て板に水のペースでお話になるのでなかなか聞き取れなかった。

この時期ブッダガヤ大塔の仏教徒の管理は佐々井師のグループとスリランカ(マハボディーソサエティー)のグループの2大勢力があり、この翌日は隣山会の会議がありその主権争いでもめていた。(ちなみに有名なブッダガヤ大塔管理委員会の仏教徒とヒンドゥー教徒との主権争い話とは別問題)

時々仏教聖地旅行の会社が佐々井師の住むナグプールという街へ佐々井師謁見の旅の案内が送られてくるのを見て懐かしく思う。

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佐々井秀嶺師と共に

 

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99年の始め、日本寺にわざわざ会いに来てくれた。佐々井秀嶺師はちょっとぽっちゃりされた。


サンガダーナ


駐在僧の大切な法務として時々各国寺院主催や団体参拝者主催による「サンガダーナ」が行われた。ようは法事である。お釈迦様の誕生などの記念日(各国に日にちのちがいがある)やスリランカなどの参拝団体が法事をおこなうのだ。時間は決まっていて11時から開始。約30分のお経があり始め上座部のパーリー語のお経、そして大乗仏教であるチベット僧によるお経。たまに般若心経がリクエストされることあった。その後すぐに食事が運ばれ30分以内に終了し布施を受け取り正午までには終了となる。僧侶の食事終了を確認して信者さんが食事を食べ始める。上座部仏教僧侶は食事は午前中にしか食べれないという戒律があるためこの時間となる。

日本寺は年間、お釈迦様の花祭り(誕生)、成道会(さとりを開いた日)、涅槃会(亡くなった日)の3回行った。ブッダガヤ全体でいうとスリランカ人団体主催によるものが最も多く、次にタイ人やチベット寺院によるもの。食事は各国の特徴が出ることが多かった。ベトナム寺はベトナム料理。スリランカはスリランカ料理。台湾は台湾料理。しかしチベット寺院や日本寺はインド料理を出していた。ちなみにスリランカの上座部仏教系は魚カレーがたまに出た。私たち大乗仏教系(特に中国から日本)は精進料理が多いが上座部仏教に肉食を禁じる戒律はない。布施された食事はすべていただく。

私はお布施に上座部の黄色いお袈裟がいただけるのがうれしく、毎回楽しみにしていた。この袈裟もお国柄が出ていてスリランカは綿100%のもので洗うとごわつくが使い込むといい感じになる。タイ製はナイロンが少し入るものもあり肌触りはいいが日本人にはありふれた生地なのでわたしは好きではなかった。またビルマは色が赤っぽくかっこ良かった。タイ仏教の布施から茶色の袈裟もごくたまにありこれも上品だった。浄土真宗以外の宗派は如法衣(にょほうえ)というまさに上座部僧侶のようなマントのような袈裟をつかうので、みんなもらった袈裟を改良して使っていたが私は正式には使えないので、この生地をつかって浄土真宗の輪袈裟や五条袈裟をテーラー(仕立て屋)に作ってもらった。仕立て代は300円から500円少々。日本では考えられない価格である。

お布施はお袈裟以外は主にお菓子や石けん、簡単な薬と現金であった。ちなみにタイに行けばこの布施セットが普通にスーパーマーケットなどでも売られている。タイ人からタイ製の壊れない懐中電灯などよく質の高い物品を布施してくれありがたかった。

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日本寺の法要でお布施を渡しているのは、当時のマハボディーソサエティー(スリランカ寺)の住職ビマラサーラ師。ブダガヤ隣山会の会長でもあった。

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スリランカ寺にて僧侶にお布施を渡すスリランカ人信者。

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いただいた布施。カゼ薬や紅茶、石けん、タイガーバームとお袈裟。

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日本寺成道会のサンガダーナ

 


托鉢


入山約2ヶ月後安居明けのタイ寺で托鉢セレモニーがおこなわれ招待された。安居(あんごう)とは雨期に植物や昆虫がたくさん生まれてくるのを歩くことにより踏み殺すことを防ぐため部屋に長期間籠もり勉強することをいう。実際にインドを経験するとこの時期豪雨などで移動は困難になる。気候的にも動きようがない季節なのだ。浄土真宗にもこの名残があり学者僧侶はいまでもこの期間、西本願寺にこもる。

この缶詰状態から解放されるとき、「安居明け」という大掛かりな法要がテーラワーダ仏教圏(東南アジアの黄色の袈裟をきた一般に「小乗仏教」といわれる宗派、上座部仏教)では行われる。大きい法要が行われタイやスリランカも大掛かりな国民行事となる。

この法要はタイ寺でタイからの参拝者やインドの信者さんが集まりブダガヤ在住の僧侶が托鉢が受けられるというのであった。私たちは徒歩5分ほどのタイ寺に向かった。タイの托鉢は裸足が正式で5メートルほどの距離をあける。「群れない」という仏教の大きな特徴である。ちなみにキリスト教は必ず2名で布教は行われる。

タイ寺には布施をする長い列が出来ていた。ちょうどこの時期、ブッダガヤ大塔で一人の若いタイ人僧侶と友達になった。短期間タイ寺に派遣されたらしい、いつもカメラを持った温和な方であれこれ話した。彼は主催者側で布施をする側にいた。お坊さんは列になって托鉢の鉢に布施を受けていた。カレー、ご飯、お菓子、お金(コイン)。すべて鉢の中に入れる。気の利いた方は小さいビニールに食べ物を分けて入れて他のものと混ざらないようにして入れてくれるが、なかにはそのまんまカレーを入れる人も。そして小銭を入れる人もいる。カレーのなかに小銭を入れる訳だから少々びっくりした。この小銭を布施するのが例の写真好きのお坊さんだった。これはと思い鉢を持っている手のところにそのコインを持ってくるように目で誘導した。托鉢中は絶対しゃべってはならず目もあわしてはならないしかも現金を直接触れてはいけない決まりがある。ちょっと反則だが相手もお坊さん。ことを知ってなんとか鉢には入れず鉢を持つ手にコインを挟みカレーの中に入るの防いだ。ただなにかしら不敏なことをしているような気がして反省した。古参の要領のわかったお坊さんはすべては廻らず、タイ人などお金持ちの列などいいとこだけ廻ってさっさと布施を受けていた。少々ショッキングであった。

お寺に帰って鉢の中のものはすべていただく。普通に美味しかった。

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裸足でタイ寺に向かう

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足が痛くてうわのそら

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当時主任だったM師。上座部仏教の日本人僧侶。


印度山日本寺


私が駐在僧であったインドのお寺は印度山日本寺(いんどさんにっぽんじ)というブッダガヤの超宗派の日本寺院である。本部は東京目黒にある(財)国際仏教興隆協会という団体で1968年に認可されインドのお寺は1973年に開山した。

日本寺は寺院活動は日本仏教興隆、「隣山会」というブッダガヤの主な寺院によるブッダガヤ護持活動、(社)全日本仏教婦人連盟の「光明施療院」という西洋医学施療病院、(社)日本仏教保育協会による「菩提樹学園」という無料の日本仏教系幼稚園、そして全インド仏教学者による「国際仏教徒結集」という仏教研究発表会また日本人団体参拝者への宿泊施設も運営されていた。ブッダガヤには世界各国特にアジアの各国や宗派の寺院があり当時は30以上の寺院があった。現在は世界中の新宗教、個人寺院など増えすぎて数はわからない。

当時は朝は5時から朝勤おつとめその後座禅(メディテーション)。幼稚園も朝早くから多くの子供の世話をしている。病院は開門と同時にいつも200人以上の患者がならぶ。僧侶は近隣の寺院の法要出勤、日本人参拝者への対応が主な仕事。夕方5時におつとめ。私はその後ブッダガヤ大塔にいき参拝するのが日課であった。朝に大塔に行く駐在僧もいる。

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日本寺本堂。日本瓦を葺いた1999年頃の写真

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日本寺パンフレット。


聖地の治安


インドに赴任するためカルカッタ(現コルカタ)の空港に降り立った。イミグレーションで緊張しながら入国審査に並んでいると日本人に尋ね人のチラシを渡された。聞くとインドで行方不明になった19歳の子供を捜しに来た家族だった。まだ入国もしてないのにいきなりこれか!

インドは治安はいいのか?基本的には問題ないと思うが場所や時間帯によっては非常に危ない。当時ブッダガヤ付近に限って言えばまず夜間は強盗「ダコイット」が出た。約12キロ離れた国鉄駅のあるガヤという街がブッダガヤへの玄関口になるのだが、その道中でオートリキシャ(小型タクシー)が襲われた話はよく聞いた。一人で夜間移動中に日本人の女性が暴行される事件も起きている。また昼間であってもラジギールという車で3時間ほど離れた聖地の間は観光バスが襲われることもあり、私も実際に仏教青年会の団体旅行で警察官を傭って移動したこともある。駐在中あまり人気のない準聖地的なところに行ったことをすでに帰国された大先輩に話したら、危険すぎるとこっぴどく怒られたこともあった。場所によってはほんとに危ない。

このダコイットとは別に1998年にインド毛沢東主義共産党集団のマオイストがビハール州で大暴れしておりブッダガヤのお寺が狙われた。小規模寺院の多くは襲われ足を撃たれたチベット僧もいた。日本寺の隣の国立ブータン寺が襲われた時は明日は我が身かと血の気が引いた。本当に血の気が引く時は足に血が集まったようになり、まるで鉛のように足が重くなった。最終的には警察部隊と彼らが真っ昼間に銃撃戦までしていた。結局日本寺は襲われることはなく静かになって行った。話によると日本寺は無料で幼稚園や病院をしているのでその貢献が認められていたのではないかということだった。

以前から日本寺従業員が自宅を襲われて財産を持って行かれたこともあった。当時のブッダガヤの政府の宿泊施設の館長はなんと誘拐されて1カ月解放されるまで一緒に生活していたという。強盗や誘拐は忘れた頃に聞くインドの暗い部分である。

現在はかなり治安はよくなったというが、私は今でもインドの夜間移動とバスの団体移動は怖い。

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インド団体旅行で警備をお願いした警察官。ブッダガヤ、ラジギールなどの要所を離れた場所に行く場合、ビハール州では決して大げさではない。

 


仏足石あれこれ


ブッダガヤみやげで思いつくのは菩提樹数珠、菩提樹の葉っぱ、仏足石拓本ではないかと思う。数珠と葉っぱはまた次の機会か紹介するとして今回は仏足石拓本。ブッダガヤにいけば必ずこれを売りつけられる。もともと仏教が出来て500年ほどは仏像を作ることはなく仏の象徴としてこの仏足石や菩提樹が礼拝の対象であった。お釈迦様が悟りを開かれた金剛座という場所の横に2つの紀元前に作られた仏足石がある。これを拓本したものが仏足石拓本なのである。このお土産すべて偽物。かつてはいくらでも拓本で来た時代があるが今はケースにより厳重に守られているため仏足石の実物は触ることすらできない。土産物屋は夜こっそりいって取ってきますといいとんでもない金額を吹っかけられるがそれは本当にできない。石職人にそれっぽく仏足石を作らしてそれを拓本したものを持ってくる。石の割れ方なんかもまねしているがオリジナルとはまったくちがう。いろんなお寺でこの本物と思って完全なるコピー品に高価な表装をして飾っているものを見ることがある。なにせ今はその仏足石本体の複製が売られる時代だ。

現在歴史ある仏足石拓本ができるのはブダガヤをおさめていたマハラジャのマハンタ邸にある仏足石からの拓本からだ。ただ普通には売っていないのでブッダガヤ地元の土産物屋などを通しての入手となる。

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金剛座の横にある仏足石。ケース内にあるため拓本はできない。

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同じく両足のある仏足石。なぜかこれの拓本は少ない。

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よく仏足石と間違われる大塔の入り口付近の足形。ヒンドゥー教の仏足石。

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マハンタ邸仏足石

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マハンタ邸仏足石

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拓本が出来た時代の実物。

 


日本寺での勤行


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勤行本の一部

お坊さんはみんな般若心経を称えると思う方もいると思うが浄土真宗はこれを勤めない。私のいた日本寺は超宗派のお寺だからそこで勤められるお経はだいたいすべての宗派で勤められる無難なお経によって構成されていた。勤められるお経はまず香偈などいくつかの偈文があり般若心経と観音経がメインでその後舎利礼文、回向の偈文が称えられた(お経の構成には約束事があって食事でいう前菜、メインディッシュ、デザートのような決まり事がある)が、日本仏教で絶対他力という他の宗派にはない教学の浄土真宗では称えないお経が多く苦労した。朝5時と夕方5時の毎日勤めるから入山2ヶ月くらいでなんとかついて行けるようになったが導師(平たく言うとメインボーカル)を勤めることは出来なかった。1年ほどして駐在僧が私しかいない期間がありこの時は間違えやしないかと緊張した。何事も続ければ出来るもので最後はだいたい暗唱できるようになった。ところが帰国したら超宗派の高知県仏教青年会などで般若心経を使うくらいでその他の経は全く使わないのでほぼ忘れてしまった。

先日京都清水寺で千日詣りのご縁に会った。本堂でお参りしているとお経が聞こえて来た。瞬間お経の声がコンセントのように私の脳につながった。あっ!観音経だ!日本寺のお勤めがよみがえり思わず手を合わした。例えば高知の人が東京の街度の雑踏でどこからともなく聞こえてきた土佐弁がシャープに耳に入ってくるように、日本寺の縁がなければスルーするはずの観音経がわかることがなにげにありがたかった。

念彼観音力。

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日本寺内陣

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こちらでお勤め

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インド国民車アンバサダー


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ハウラー駅の客待ちアンバサダータクシー。

かつてインドはこれしか走っていなかったアンバサダー。正確にはムンバイ方面はPAT「ピアット」というもう少し小型の車がプラスされる。今やデリーではほとんど見ることはない。カルカッタにあるヒンドゥスタンモータースの作るこの車。地元カルカッタではまだまだ現役。インド国民車なのでかつては大統領もこれに乗って公務をこなすが、その前後の護衛車がベンツだったという笑い話?もある。ほぼ半世紀まったくモデルチェンジのない化石のような車だが、逆に部品もこの車のものしか必要いのでどこに行こうが部品供給はしっかりしていた。ただインドらしく純正部品のコピーやそのまたコピーの部品まであり気をつけて買わなければならない。

実はこの車に駐在帰国後、日本で数年間乗っていた。乗っていた仕様はエンジンはいすゞの1500ccガソリンエンジンのライセンス生産。日本国内で50台近く走っていると聞いたことがある。さてこの車、サスペンションのブッシュのへたり方と各部品のねじのゆるみが尋常でなく車検毎まし締めしてお茶を濁した。今のようにコンピュータなど全くない車なので修理屋の初老のおじさんは懐かしい懐かしいと目を輝かして直してくれた。

日本の川崎にディーラーがあって現在も販売中。HPもあるのでご参照を。

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古いタイプのアンバサダーの廃車。カルカッタにて

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人力車とアンバサダー。カルカッタ

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通常のアンバサダーのお顔

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最新のアンバサダー。顔だけすこし今風。

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日本にて。部品調達が大変だった


レムジュース、レムジュース!


インドで必ず観光客が心を痛めるには、「物乞い」であろう。あげるべきかあげないべきか。本当の田舎では見ることはないが観光地や都市では何人もの彼らからの要求に胃を痛めることになる。

いろんな意見がある。あげれば癖になって働かなくなるとか、その行為自体が仕事になっており中に実入りがよいという理由ではわざと障害者にされて街角に立たされるケースは映画「スラムドック$ミリオネア」でも描かれている。

駐在したての頃かなり戸惑った。大塔にお参りに行けば「レムジュース!レムジュース!」子供たちは声を上げて手を差し伸べる。「あめ玉くれ」と言っているらしい。そのうち観光客でないことがわかってほとんど相手にされなくなったが。しかしあげる方も考えてあげないと、大人数が押し寄せてパニックになったり、もらった人がもらってない人にやっかまれたりとかあげる方も気を使わなければならないことがわかって来た。

私はこれに関して2つの感動したことがある。高知県仏教青年会で団体参拝したおりたくさんの子供の彼らが来たのを見て、いつもは全く目立たないインドは初めてで、このように集られるのも初めてのお坊さんがとっさに近くの菓子屋からたくさんのビスケットを買って来て全員に配り始めるのを見たときだ。お金でなく子供の喜ぶビスケットを整列させ一枚一枚手渡しされた。その場にいた会員はすぐさま彼の行為を賞賛しながら手伝った。子供たちは不平も言わず喜んで手を振って分かれた。

もう一つは駐在僧の先輩が彼らの中にもしかしたら菩薩の化身がいるかもしれないその供養のために時折、この人だ!というときあげるのだと。私は今でもこれを実践している。

世の中安穏なれ

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前正覚山にて

 

 


沈香を求めて


お寺といったら「焼香」。誰もが想像するキーワードである。このお香は奥が深く品もピンキリで100円ショップでも買えるけれども高いのはゴールドより高い。有名どころでは正倉院の伽羅木に代表される「伽羅」という香木の種類。非常に高価でお寺さんも滅多に使うことはない。伽羅の次のグレードは通常「沈香」と呼ばれる。(平たく言えば沈香の濃いのが伽羅)

原産地は東南アジアでインドアッサム地方からタイ、ベトナム、マレーシアにかけて取れて、それぞれのにおいの個性がある。使用するのは主に仏教徒とイスラム教徒。イスラム教徒は宗教的に使うよりは日本の香道のように、においを楽しむために使用する。インドであちこち探したが見つかったのはオールドデリーのお香ショップ。インド香水とお香を扱い沈香は主にアッサム産を扱っていた。かつて400gの固まりが数万円で売っていたが今や数十万円。異常な値上がりは物がなくなったためで入手が困難になりつつある。

バンコクの某地区にこの沈香店が何件も集まったエリアがある。世界各国の沈香が集まり世界中のバイヤーがくるだけあり丸太のような沈香を見たときはびっくりした。日本の販売価格の3分の1ほどだろうか。客はほとんどムスリム。日本のお香バイヤーも来ている。彼らはなぜか客のバイヤーの名刺を貼り出しているのでここから仕入れたかとすぐわかる。

カンボジアのシェムリアップに来ると沈香の香木は念珠型が多く売られている。香木を焚くものではなく念珠として加工販売している。客は主に中国人。念珠は高級アクセサリーとして購入され、時には投資対象となる。それほど沈香は数が減っているのだ。当然現地カンボジア産なので安い。これが日本に来たら数倍?の値段になるようだ。

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IMG_0729 オールドデリーのお香店

 

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バンコクのお香店

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シェムリアップの沈香念珠店