托鉢


入山約2ヶ月後安居明けのタイ寺で托鉢セレモニーがおこなわれ招待された。安居(あんごう)とは雨期に植物や昆虫がたくさん生まれてくるのを歩くことにより踏み殺すことを防ぐため部屋に長期間籠もり勉強することをいう。実際にインドを経験するとこの時期豪雨などで移動は困難になる。気候的にも動きようがない季節なのだ。浄土真宗にもこの名残があり学者僧侶はいまでもこの期間、西本願寺にこもる。

この缶詰状態から解放されるとき、「安居明け」という大掛かりな法要がテーラワーダ仏教圏(東南アジアの黄色の袈裟をきた一般に「小乗仏教」といわれる宗派、上座部仏教)では行われる。大きい法要が行われタイやスリランカも大掛かりな国民行事となる。

この法要はタイ寺でタイからの参拝者やインドの信者さんが集まりブダガヤ在住の僧侶が托鉢が受けられるというのであった。私たちは徒歩5分ほどのタイ寺に向かった。タイの托鉢は裸足が正式で5メートルほどの距離をあける。「群れない」という仏教の大きな特徴である。ちなみにキリスト教は必ず2名で布教は行われる。

タイ寺には布施をする長い列が出来ていた。ちょうどこの時期、ブッダガヤ大塔で一人の若いタイ人僧侶と友達になった。短期間タイ寺に派遣されたらしい、いつもカメラを持った温和な方であれこれ話した。彼は主催者側で布施をする側にいた。お坊さんは列になって托鉢の鉢に布施を受けていた。カレー、ご飯、お菓子、お金(コイン)。すべて鉢の中に入れる。気の利いた方は小さいビニールに食べ物を分けて入れて他のものと混ざらないようにして入れてくれるが、なかにはそのまんまカレーを入れる人も。そして小銭を入れる人もいる。カレーのなかに小銭を入れる訳だから少々びっくりした。この小銭を布施するのが例の写真好きのお坊さんだった。これはと思い鉢を持っている手のところにそのコインを持ってくるように目で誘導した。托鉢中は絶対しゃべってはならず目もあわしてはならないしかも現金を直接触れてはいけない決まりがある。ちょっと反則だが相手もお坊さん。ことを知ってなんとか鉢には入れず鉢を持つ手にコインを挟みカレーの中に入るの防いだ。ただなにかしら不敏なことをしているような気がして反省した。古参の要領のわかったお坊さんはすべては廻らず、タイ人などお金持ちの列などいいとこだけ廻ってさっさと布施を受けていた。少々ショッキングであった。

お寺に帰って鉢の中のものはすべていただく。普通に美味しかった。

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裸足でタイ寺に向かう

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足が痛くてうわのそら

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当時主任だったM師。上座部仏教の日本人僧侶。