あなたの宗教は何ですか?


インドを旅した時、お坊さんの法衣ではない時よく初対面で聞かれたのは「あなたの宗教は何ですか」という質問であった。それも重い質問ではなく、仕事は何しているの?クラスのフランクな会話レベルである。

日本ではまず初対面では話すことがない会話であろう。僧侶ということをわかっている場合には私はどこどこの寺の檀家だとか、うちも浄土真宗ですとかは聞くことはあるがあまり話さない会話だと思う。むしろタブーっぽい感じがする。インドはヒンズー教、イスラム教、仏教、キリスト教などが混在し、これを聞かないと食事の制限やそれぞれの宗教の生活の規制など後でややこしくなる。男性のシーク教徒は独特なターバンを必ず巻くのでわりやすいが、ムスリム帽という帽子をかぶった男性イスラム教徒やひたいに赤いティラカやビンディー(女性)をつけたヒンズー教徒などあえてしている人は見た目でわかるが、身につけていない人も多く見た目では聞かないとわからない。

日本なら「無宗教です」と言っても普通なことであろうが、インドでは「無宗教」などというと大変で逆にややこしい人生論や宗教の質問や宗教の勧誘を受けると旅行者から聞いたことがある。こんなことを多く経験した慣れた日本人旅行者は「無宗教」でも「仏教徒」ですといって逆にスルーするそうだ。

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仏教徒の聖地インド・ブッダガヤ大塔


仏像復興計画5


インドには訪問者にまず水を差し上げるという風習がある。暑い国だし美味しい水はその家や村の誇りでもある。2008年にむけて次に堂宇に何を作ろうか考えていた時このことを思い出した。2007年久々に村を訪問し村の護持委員会と話し合い、堂宇の参拝者に「お釈迦様の水・ブッダ・パーニー」として水を差し上げるために井戸を寄進したい旨を伝えた。村人は是非とも作って欲しい、堂宇近辺には自由に飲める水場がなくそれはありがたいということになった。2008年5月に有志と渡印、建設資金を村に託して10月の堂宇建設8周年記念法要にむけて建設が始まった。10月中旬、仏教青年会と有志で参拝団を組んでジェティアン村を訪れた。法要には今回も100人を超えるたくさんの人が集まり盛大に行われた。法要では堂宇内にマンゴーの記念植樹が日本からの参加者全員により行われた。

この2008年前後より堂宇にはインド人参拝者、外国人参拝者がかなり増えてきて、時折話題になっている話を聞いた。またこのころからこのジェティアン村に新たに鉄道を引き駅を作るという話が聞こえ始めた。この村までの道はガタガタの上、人口もさほど多くない普通のインドの村にわざわざ国が鉄道を引くという夢のような話はインドでよくある大風呂敷な話と思い誰も信じなかった。

ネパール本願寺・ジャティアン村法要の旅 284 (2)

井戸の水を飲む参加者

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新しく作った井戸

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jethian 村長さんと村人

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jethian 村の重鎮達と握手

 

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マンゴー記念植樹

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現地新聞 jethian 

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jethian村の子供たち


仏像復興計画4


それから堂宇は毎日村の人々によりお参りもあり、時には日本人などもちらほらお参りするようになったとの連絡を受けた。建設後2年ほどしてもともと地盤がしっかりした所ではない上、酷暑時は50度近くまで気温が上がり冬は4度くらいまで下がる過酷な場所なのでコンクリートのひび割れなどが出はじめた。また家畜の牛やヤギがお堂に入ることもあり全体の補修と全体を覆う壁を作って欲しいとの要望が出された。また私たちからもこのジェティアンの歴史を石版に掘って案内板を合わせて作りたいと意見具申した。文字はヒンディー語、英語と日本語で記入されることになった。堂宇建設4周年の完成を目指し、その後執行部数人と渡印を重ね2004年10月中旬仏教青年会有志とその友人達15名ほどで堂宇建立4周年法要のため渡印した。修繕とコンクリート製の壁と大きな案内石版の完成。さて次は4年後の2008年の8周年法要。

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法要に集まったjethian村人

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現地新聞にも大きく取り上げられた

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完成した案内板 jethian

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私たちを迎えるjethian村長ムキヤジー

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階段のひび割れ

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柱部分のひび割れ

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建設中の壁

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建設中の壁。奥に見える黄色い壁は学校の壁

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修繕の寄付金を渡す。工事は全て村の委員会に任せている。


タクシーの値段交渉


アジアは基本的にタクシーは値段交渉だ。バンコクのようにメーターがついて便利な時もあるが雨が降ったり長距離だと今でも値段交渉になることが多い。インドもカルカッタやムンバイなどの都会はメーターはあるのはあるが物価が上がってメーター表示が追いつかず正式にメーターの3倍払いとかあり、ぼられているかいないのか、わけがわからないので値段交渉の方が圧倒的に多い。インドには何倍もふっかけたり、交渉しても降りる段にもっと出せと言ったり交渉の意味すらない輩もいる。バンコクは比較的おとなしくぼっても倍くらい。トゥクトゥクというオート三輪タクシーもあるがメーターがなく交渉となりタクシーよりも高い。観光に来たならばタイ名物なのでアトラクションとして乗るのはたのしい。

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トゥクトゥクは高いし交渉が必要。タイ情緒はあるけど。

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スワンナプーム空港

バンコクのスワンナプーム空港で普通のタクシーに乗ってしばらく高速を走っているとメーターが動いていないことに気づいた。確かスイッチを入れたのを見たのだが、いつの間にか途中でメーターの電光が消えている。さては新手のボッタクリかとヒヤヒヤしながら目的地に着いた。いつも使うルートだからいつもの値段を堂々とした態度で全部分かっているからね的な空気を出して渡した。さあ何を言い出すか・・・。ドキドキして次の手を待ったが、そのまま運転手はサンキューといい去っていった。単にメーターが壊れていていたのか。しかしこういったトラブルの場合ぼってくるドライバーもいるのでご用心。 値段交渉で非常識なボッタリ価格の提示をするドライバー、逆に格安の料金で構わないというドライバーや明らかに挙動のおかしいドライバーはスルーすることだ。代わりのタクシーはいくらでもいる。何度かこういうタクシーに乗ったことがあるが土産屋に強引につれていかれたり、ブツブツ言いながら反対車線を全開で走るドライバーだったりというオプショナルツアーが無料で付いてくる。君子危うきに近寄らず。


バンコクのインド人街


バンコクにパフラットというインド人街がある。基本的には生地屋街だがインドで売っている日用品などの商品も多い。インドに行かなくてもインド食材、スパイスなどはここで買えるのでインドに行けないときはここで購入する。この街は迷路のように入り組んだ商店街となっており、その中をウロウロするのは宝探しのようでたのしい。最近はインディア・エンポリウムというショッピングビルも出来て少しだけ再開発されている。シーク教寺院では無料で朝食が提供されていたり色々な発見が時々あるインド人街やバンコクの街歩きはたまらなく楽しい。

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インディアエンポリウム

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偶然見つけたチベットグッズショップ

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バンコクなのにトイレの案内もインド風


仏像復興計画3


工事は2000年10月に完成を目指し進められた。高知県仏教青年会でも新年度より募金を募り多くの寺院から協力がいただけた。堂宇は日本のお寺風で屋根瓦や鬼瓦もコンクリートにより彫刻するように作られた。瓦一枚一枚ではなく日本のお寺の写真を見たままの外観の通りに作る。職人は瓦を見たことないインド人だ。

酷暑や雨季もありなかなか工事は進まない。落慶法要は忙しいお寺さんの団体旅行なので、出来たらさあすぐ行きますにはならない。建設と旅行準備を並行して進めた。

10月団体旅行数日前、準備のため団体より早くインドに出発した。ジェティアン村に行くと堂宇は建ったが肝心の仏像がまだ据え付けられていなかった。これは焦った。翌日ジェティアン村の村民あげて手動ウインチと人力で数百キロはある仏像が動かされ、やっとのこと堂宇に鎮座したのを確認しデリー空港に団体を迎えに行った。

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jethian 仏像を堂宇に人力であげる

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jethian 仏像を堂宇に上げる作業

数日後青年会とともにジェティアン村に無事到着した。堂宇は綺麗に飾られ多くの人が集まっていた。完成した堂宇の前に村長を始め村の重鎮が一張羅のクルタを着て整列しているのをみてこみ上げて来るものがあった。お堂の前で横に並んだ姿は彼らの姿は今も忘れることができない。

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集まった村人たち

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jethian 落慶法要

 

村の娘たちが晴れ着を着て歌で迎えてくれる。頑張ってお父さんに買ってもらったであろう新品の服を着た子供が目立つ。

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jethian村から歌のプレゼント

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参拝団の面々。堂宇上にあるのが協力いただいた寺院のドネションプレート

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村の各地から集まっている放置仏像

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近年の写真。赤い色はちゃんと祀られている証拠

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ブラックストーン。基本的に仏像はこの石で作られる。油で磨くと真っ黒になる。

村長たちを握手を交わし落慶法要修行。村の方々からのスピーチ、仏教青年会参拝団長からの挨拶、私の挨拶続いた。日本にこの繁栄をもたらしたのは仏教によるものであり、お釈迦様がサルナートで友人の僧侶に教えを説いたのちに、ビンビサーラ王を始め多くの一般民衆にこの場所で初めて教えを説いたジェティアン村は仏教の出発点でもある。その感謝を込めてこのお堂を作った。これからは村の皆さんでしっかり管理してほしい。そしてもし放置された仏像があったらここに持ってきて供養してほしいとお願いをした。

また心の中でこれを見たインド人がこのお堂をわざわざ日本から来て作る仏教徒ってなんだろう。仏教ってなんだろうと思う人がいてくれて、そして一人でもいいから仏教を学んでくれたらいいと願った。

わたしたちの本当の願いは仏像復興ではなく仏教復興である。

その後2000年から高知県仏教青年会は4年ごとに渡印しこの堂宇護持や仏像復興を行うことになった。

当時のことは中外日報という宗教新聞にも取り上げられて掲載された。

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jethian 堂宇に集まった人たち

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jethian堂宇全景

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復興された仏像。赤いのはヒンズー教徒のお参りで金箔はタイ周辺の仏教徒のお参りの証拠

 

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jethian 記念冊子

 


もうみんな家に帰ろう!


「もうみんな家に帰ろう!」一ノ瀬泰造著『地雷を踏んだらサヨウナラ』中にある戦場での名言である。小学校の高学年の作文で将来なりたい職業というのを書いた。それは「特派員」。NHKに同姓の特派員がおり時々ニュースに出ていたので親戚でもないのに親近感と海外への憧れから特派員になりたいと思っていた。いろんな経験を重ねる中で高校生時には沢田教一やロバート・キャパなどの大御所写真記者にハマる中、特に一之瀬泰造、代表著書「地雷を踏んだらサヨウナラ」というフリーランスの写真記者にはまった。その後写真を習ったりしたが当然僧侶になる道しかなかったので諦めるなかで出会ったのが「インド日本寺駐在僧」こんなことが駐在する一因だったのかもしれない。その後彼のことは浅野忠信主演で映画化もされた。地方では見れないマイナー映画なのでわざわざ東京まで見に行ったほどだ。

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一ノ瀬泰造氏の墓

近年カンボジアのアンコールワットに行く機会があった。一之瀬氏がアンコールワットの写真をとるためここを目指しポルポトに殺され、墓がシェムリアップ郊外にあることは知っていた。若き日の思い出から何気なく行く前にネットを見ていると「一之瀬泰造の墓参りと地雷博物館ツアー」というのを見つけた。こんなのがあるんだ!早速申し込んだ。

村の畑の中に彼の墓があった。このために最高の伽羅線香を供えお参りをして改めて周りを見た。普通の田舎のアジアの平和な村。かつて戦場とは思えない。

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村の子供。人懐っこい。手前二人はうちの子

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このあたりで今も見つかる地雷、不発弾。

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虐殺された方々。

その後アキ・ラー氏の地雷博物館に行った。現在も地雷を撤去する仕事をしている有名なカンボジア人だ。島田紳助氏がTVで援助したりしたので知っている方も多い。当日も日本の学生団体や平和団体がたくさん見学に来ていた。ガイドが私の顔をみて爆笑した。兄弟か?

ツアーに行った同行の日本の方は一之瀬氏は知らないと言っていた、ツアー目的は地雷博物館。しかしながら一之瀬氏のお墓にあった旅行者メモには「やっと来れた、うれしい」的な書き込みを時々されていたのは嬉しかった。

最後に。「もうみんな家に帰ろう!」彼が戦場で戦闘中に発して兵士言った有名なこの言葉。平和はこの言葉につきる。

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地雷博物館館長、アキ・ラ氏。生き別れの兄弟ではない。

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中国製旧式戦車。自国で使わなくなった古い武器を第3国に売り戦争を起こして儲けるのが大国のいつもの商売。


仏像復興計画2


帰国して私は高知県の超宗派の「高知県仏教青年会」に入会した。インド帰りということで先輩などから可愛がられた。そんな時このジェティアンの仏像の話をしたら青年会でその仏像のために堂宇(お堂)を作ろうという話になった。ちょうど青年会発足25周年に重なることもあり話もトントン拍子に動いたが問題も起こった。仏像を起こすくらいなら村の許可でも問題ないが建物を建てるとなるとガヤ市の公的許可が必要になった。

99年12月仏教青年会有志2人と共にジェティアン村に起工式とガヤ市長への許可をもらいに渡印した。起工式は村人がたくさん集まり地元に伝わるヒンズー教の儀式により盛大に行われた。

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起工式のようす jethian

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起工式のインド新聞記事 jethian

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村人の書いた願書。村の主な方の同意サイン入り建設願い書

インド地図

ジェティアンの場所 jethian

ところがガヤ市の建設許可で起工式の数ヶ月前から願書は村長から提出されていたがまったく動きがない。いつ許可が出るのかもまったくわからないということだった。まあインドらしい。これは直談判しかない。完璧な書類を作り会うことにした。私たちはガヤ市役所に行く前に管轄する区長の許可をもらい、規約、堂宇建設のインド銀行口座まで作って出向いた。初日はあってもくれない。明日こいという。翌日何時間も待たされた。やっと通された時は疲労困憊。市長(DM)にこのたびの計画と署名などの書類を見せる。私たちは満面の笑顔で許可を待った。隣の参謀が書類を見ながら喋るとすんなり市長は幾つかの条件を出し許可を出してくれた。明日までに許可証を作らすから出直せという。ありがとうございます!完成の折には是非ともお出でくださいといい事務所を出た。 あたりはもう暗くなりかけていた。翌日建設許可証が無事発行された。さあ工事の始まりだ。

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ジェティアン仏像    jethian

 

 

 

 


No more HIROSHIMA,No more NAGASAKI.


インドで日本のどこから来たという話題になった時「TOKYO? or OSAKA?」という質問になる。高知県といっても説明するのに大変なので大阪の近くだといってお茶を濁す。シッキムの土産物屋で世間話をしている時、この話になった。広島の友人N師と行っていたので私はいつもの大阪の近くと話したが彼はそのまんま「Hiroshima・・・」というやいなや一気に顔つきが変わった「広島!大丈夫なのか!」「いやいやもう広島はデリーくらいの大都会だ。長崎も同じだ。問題無い」「Oh・・Hiroshima,Nagasaki・・」と彼はつぶやいていた。インドでも原爆投下は学校で習う。地名は広島と長崎は東京並みに一発で通じる。

駐在中の1998年8月6日大塔の金剛座前でブッダガヤ隣山会主催で広島長崎平和祈願追悼法要を行った。ブッダガヤ中の各国住職、主幹も集まり約30分の法要があった。みんなから日本人だからなんか喋れと言われて「私たち日本人の願いはノーモア広島ノーモア長崎です」と静かに言った。新聞社も数社来ており翌日写真入りで大きく掲載されたインド人の関心の高さが感じられた。

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法要中、手前は金剛座

 

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左から日本の大乗教主幹、インド人僧侶、私、大塔管理委員会主幹


散髪屋ナーイ


お坊さんなのに髪の毛がある。エッ!一般的にはびっくりするかもしれない。わが浄土真宗は有髪がまったく問題ない。お坊さんになる時(得度)は男性のみ一回だけ剃り上げる決まりはあるがその後ヘアスタイルは個人の自由である。念仏信仰のためには有髪も丸坊主も関係がないというスタンスだ。というわけで日本寺に赴任するときスポーツ刈りでインドに出向いた。浄土真宗だからいいだろうと。しかし日本寺に到着する前日いっしょに行った先輩僧侶から有無を言わさず頭剃りを命じられ、村の散髪屋で剃髪した。今思えば当たり前で髪の毛が伸びたお坊さんというのは基本インドでは考えられない。赴任終了の帰国に合わせて少し伸ばし始めた時にスリランカのお坊さんからそろそろ剃ったらどうだと言われたこともある。

日本寺には週に一回のわりで出張の散髪屋さんが来てくれた。頭を剃ってくれるナーイと呼ばれる散髪屋のおじさん。一回5RS15円で剃ってくれるがカミソリが伝統的な一枚刃のあまり剃れないカミソリなので痛い。頭を切られることも普通で、いやなので時々T字カミソリで自分でしていた時もあったが、せっかくお寺まで出張したのに何故しないのだと言われるのと自分で剃るのは結構手間がかかるので大体お世話になった。

ある時剃髪中、後頭部の首筋近くを切られて結構出血したことがあった。特に気にしていなかったが数日後腫れて熱まで出だした。首が曲がらないくらいパンパンに後頭部首筋が腫れて日本寺付属の病院で抗生物質をもらってなんとかなったが、帰国しても同じところが数年間にわたり年に数回腫れた。後から聞くと彼の使うカミソリは消毒すらせず使い、また遺体の毛を火葬する前に剃ることをヒンズー教は行うが、それも彼の仕事で同じカミソリを使っていたそうだ。

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ナーイのおじさん。おじさんの横に散髪時に首にかけてる布と手前に散髪道具入れが写る。