不思議な50Rs札


インドのお金の単位はルピーでその下がパイサ。円と銭の違いと同じ。コインは1パイサから50パイサまで数種類(1、2、5、10、20、25、1/4Rs、50、1/2Rs)で未だに英国時代のものも流通しているようでたまに見ることができた。ルピーはコインとお札で1、2、5Rsは両方存在し、そこからは10、20、50、100、500Rsはお札になった。当時は500Rsが最高額札で滅多に見ることのないお札だったが今は1000Rsまである。昨年2014年3月31日からインドの地下経済で動いているお金をあぶり出すとのことで額面下にある発行年の印刷されていない古いもの(2005までは発行年は印刷されていなかった)は回収交換となり7月より交換両替の手続きが面倒になるとの記事を読んだ。

えらい急な話でそんなこと12億人もいるのに数ヶ月で本当にできるのかと思うがインドのお金事情は結構適当である。下に出した50Rs札だが裏面の国会議事堂の屋根に国旗があるものと国旗がないものがある。もちろん偽札ではない。ほんの一時期発行された非常に珍しい物でインドの国旗をよく思っていない政治家や役人の遊び心だとか噂されるが通常こっちを回収・・というか発行段階で問題になると思うのだが。

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上から1Rs2Rsと問題の50Rsと通常の50Rs

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上のには旗がない。下が通常の旗のあるお札

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旗が無い・・

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通常盤

 


南インド旅行


98年バンガロールに出張した時、少し暇をもらって、その足でケラーラ州というインドの一番南の州に行った。ここにはコモリン岬というインド洋、太平洋が交わるヒンズー教の聖地がある。またバックウォーターという内陸まで海が入り込んだ独特な地形を見ることができ、南インドの美しい観光地写真によく出てくる。

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バンガロール

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コーバラムビーチ

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インド最南端コモリン岬

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コーバラムビーチ灯台

バンガロールでの仕事も終わり同期Y師とケラーラ州首都トリヴァンドラムへ飛行機で到着した。北インドと違い言葉や文字はまったく別物で服装や人の顔も違っていた。まるで違う国に来たようだ。バスで1時間ほどのコーバラムビーチという海岸で短期間滞在することとなった。ビーチといっても娯楽があるわけでなく海岸でゆっくりするか海水浴をするくらいで、あとはビーチ沿いに建つレストランや喫茶で近くの貸本屋から数少ない日本語の本を借りて読んだり、お土産屋をひやかすようなところだった。ここを起点にローカルバスでトリヴァンドラム市内観光にいったり、コモリン岬やクイロンという町へ行きバックウォーターの乗り合い大型ボート(バスに相当する)に乗った。2時間1周回で6Rs、15円くらいでバックウォーター湾内を一周した時は時間の流れやヤシの木の景色などが素晴らしく本当に美しいと思った。写真を撮るのも忘れた。クイロンのバックウォーターはもう一度ゆっくり行きたいオススメの場所。

 


サーマネーラ、ケイトゥ。


ブッダガヤに赴任して間もない頃、3人の少年僧侶と友人になった。インドとバングラディシュ国境付近にいる仏教徒チャクマ族のサーマネーラ(子供見習い僧侶)である。ブッダガヤにはこのチャクマ僧侶はぼつぼついて、ブッダガヤのアイドル的存在の老僧「チャクマ・バンテー」(チャクマのお坊さん)のお寺に彼らは住んでいた。

大塔などでよく3人で話をしていたがいつの間にかケイトゥという15歳 の子以外は還俗したり、故郷に帰った。彼は情熱的で立派な僧侶になるために頑張っていた。英語力も初めはさっぱりだったがすぐに追い抜かれて追いつけないくらいに勉強していた。いつもニコニコして話す中に時折鋭い眼光でチャクマ族の置かれた環境(国境問題で強制分離された民族でもあり、またキリスト教徒も多い地区なので宗教問題も多い)や仏教の話した。もっといいお寺にと私立のタイ寺に入門し、そのうちボンベイ郊外の仏教徒の多いタネ地区のお寺に行ってしまった。バンガロール出張のときボンベイに立ち寄った際、彼の住所を訪ねた。彼は研修のためいなかったが寺を守る人に聞くとこの周りは仏教徒が人口の25%もいるとのこと。寺は非常に質素で備品、仏具もほとんど無い状態だがみんな頑張って仏教が徐々に広まっていることに感動した。時々彼らは元気だろうかと思いだす。

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ブッダガヤの金剛坐前で。中心がケイトゥ。

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日本寺にて

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老僧がチャクマ・バンテー、横はケイテゥ

 

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ムンバイ郊外タネ地区のお寺

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寺の中。仏教徒インド人とチャクマ族の少年もいた。アンベドカル博士の遺影がインドのお寺らしい。

 


仏像復興計画6


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ガヤ地区ヒスア周辺の踏切にて

 

2008年の訪問も終わり2009年頃本当にラジギールからガヤに抜ける鉄道の話が動き出した。しかもわざわざジェティアンに迂回するルートである。正確にはヒスアというラジギールからガヤに行くときに通る小さい町にもともとある鉄道に連結される。ここに繋がることでガヤに連結できるわけである。ラジギールとヒスアはまっすぐな道で繋がっており、道沿に作れば最も簡単で短い距離で作れるが、ジェティアンを通ることでかなり迂回することになる。ちょうどガヤ周辺の議員さんが国鉄関係大臣になったらしく、ガヤ地元へのサプライズ(ジェティアンはガヤ地区内)や利権や工事などいろんなことがあると思うが、ジェティアンに鉄道を引き駅ができることは何より嬉しかった。しかも私たちの作った堂宇の比較的近いところに駅ができるという。村の中心より堂宇の方が近いくらいだ。私たちが長年続けてきた仏像復興でこの地が注目されることがなかったらここに鉄道建設の話はなかっただろうと村人から感謝の言葉をいただいた。

工事はゆっくり進み2011年後半に完成した。実際の営業運転は2012年春から。当初駅舎を日本寺院風にしようという村人の意見もあり、簡単な図面をビハール州のインド国鉄に送ったが、いい意見だがちょっと・・的な手紙が帰ってきた。結局駅舎は出来なかった。

2012年10月。4回目の団体訪問の際には駅から力強く走る鉄道を見ることができた。

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工事中、下の完成写真がある。手前の大石は健在

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下の写真とくらべてほしい。同じ場所

 

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立っているところが元々の地面。鉄道のためこれだけ掘った。

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元々は全く何もない平地だったが堤防のような線路が数キロできた。

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ジェティアン駅

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特に駅舎というものはない。この手前数百メートルが堂宇。

 


クシナガラの龍


98年アメリカから高校同期の浄土真宗開教使(海外に浄土真宗を布教する専門の僧侶。特に日系移民社会では浄土真宗はメジャー宗派である)のT師がインド聖地巡礼に尋ねてきた。一緒にお釈迦様の誕生から亡くなるまでの聖地を7日ほどかけて巡礼した。お釈迦様が亡くなった地クシナガラでツーリストホテルに宿泊した。暑い時期でエアコンルームを頼んだが深夜、大元の電源を切られてエアコンが全く使えない。エアコンルームを頼んだ意味がないがインドではよくあること。仕方なく暑さを紛らわすためベランダに出たら雲の中に稲妻が走っていた。地上に落ちる一般の稲妻ではなく雲の中を稲妻が走る。「龍だ!」この時はああ昔の人はこれを見て「龍」と思っていたのだなというよりも「あっ龍!」と本気で思うくらいの迫力があった。日本でも雲の中を走る稲妻はたまに見ることができるがインドのそれは全く迫力ちがう。

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クシナガラ深夜、雲の中を走る龍

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クシナガラの涅槃像

 


日本寺除夜の鐘


12月31日夜日本寺は除夜会が開催される、除夜の鐘と無料の年越しそば(小麦で作ったそば)の振舞い。バックパッカーの間では有名なようで多くの人が集まる。ちょっとしたお祭りで従業員も喜び、いつも見せない顔を覗かす。特に駐在中の98年の除夜会は除夜会法要と共にインドクラシック音楽無料コンサートを開いて盛り上がった。ちなみに日本寺の鐘楼は松下幸之助の寄贈である。

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タブラのアジャイ先生とそのお兄さんビジャイ氏。お兄さんは左利きなので太鼓の位置が違う。

 

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シタールはわざわざ数時間かけてビハール州首都パトナから来てくれた

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年越しそば

 

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松下幸之助寄贈による鐘楼

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200人ほど集まった

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数日前よりチラシを作り長期滞在していそうなゲストハウスやそこいらで配ったったがなかなか受け取ってくれない。新手のぼったくりか何かと思われているのだろう。ほとんど受けとってもらえなかった。インドには無料で・・・というところに大きな落とし穴がたくさんある。旅慣れた人は当然そのようになる。ところが笑顔でどうぞ受け取ってくださいではなく、目も合わさずダラダラ配ると受け取ってくれるのが面白かった。

当日はそれでもトータル200人近い人が集まった。アーティストはボランティアで演奏に来てくれた私のタブラの先生や有志、教え子でしっかりしたインド音楽コンサートだった。2時間半ほどだったが中にはパトナのプロもいて来た人は非常にラッキー。タダでこのようなものは聞けない。ちなみに本当のインドクラシックコンサートは朝まで行う。

 


散歩


駐在中、郵便局に郵便物を取りに歩いて往復1時間ほど運動不足を解消するための散歩を兼ねて通った。ルートは一般の道路を通るか、村の道を通るかだったが、私は村の道を通った。舗装のされていないほぼあぜ道のような道。ブッダガヤも裏道にいけば、インドの田舎らしい素朴な風景に出会える。建物以外の遠景は、ほぼお釈迦様の時代とかわらないと思われる景色が好きだった。道を外れた空き地に行けば大昔の石の遺跡の遺構の一部が転がっており、綺麗な細工の石のブロックの一部なども見ることができた。このような道から大塔横の大通りに出て大塔前を横切ってブッダガヤ郵便局に行った。ブッダガヤ郵便局前はバザールになっており、野菜などの食料や日用品の簡単なものなら入手できた。私書箱を開け郵便物を持って帰る。各寺の法要出向は午前中で終わるので、午後は結構時間がありこのようなこともできた。元々散歩をしたことがないし、今もしないけれどもとても散歩は楽しかった。

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ブッダガヤバザール

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狭いバザールを強引に進むトラック

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郵便局前のバザール

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ブッダガヤ郵便局前バサール


あなたの宗教は何ですか?


インドを旅した時、お坊さんの法衣ではない時よく初対面で聞かれたのは「あなたの宗教は何ですか」という質問であった。それも重い質問ではなく、仕事は何しているの?クラスのフランクな会話レベルである。

日本ではまず初対面では話すことがない会話であろう。僧侶ということをわかっている場合には私はどこどこの寺の檀家だとか、うちも浄土真宗ですとかは聞くことはあるがあまり話さない会話だと思う。むしろタブーっぽい感じがする。インドはヒンズー教、イスラム教、仏教、キリスト教などが混在し、これを聞かないと食事の制限やそれぞれの宗教の生活の規制など後でややこしくなる。男性のシーク教徒は独特なターバンを必ず巻くのでわりやすいが、ムスリム帽という帽子をかぶった男性イスラム教徒やひたいに赤いティラカやビンディー(女性)をつけたヒンズー教徒などあえてしている人は見た目でわかるが、身につけていない人も多く見た目では聞かないとわからない。

日本なら「無宗教です」と言っても普通なことであろうが、インドでは「無宗教」などというと大変で逆にややこしい人生論や宗教の質問や宗教の勧誘を受けると旅行者から聞いたことがある。こんなことを多く経験した慣れた日本人旅行者は「無宗教」でも「仏教徒」ですといって逆にスルーするそうだ。

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仏教徒の聖地インド・ブッダガヤ大塔


仏像復興計画5


インドには訪問者にまず水を差し上げるという風習がある。暑い国だし美味しい水はその家や村の誇りでもある。2008年にむけて次に堂宇に何を作ろうか考えていた時このことを思い出した。2007年久々に村を訪問し村の護持委員会と話し合い、堂宇の参拝者に「お釈迦様の水・ブッダ・パーニー」として水を差し上げるために井戸を寄進したい旨を伝えた。村人は是非とも作って欲しい、堂宇近辺には自由に飲める水場がなくそれはありがたいということになった。2008年5月に有志と渡印、建設資金を村に託して10月の堂宇建設8周年記念法要にむけて建設が始まった。10月中旬、仏教青年会と有志で参拝団を組んでジェティアン村を訪れた。法要には今回も100人を超えるたくさんの人が集まり盛大に行われた。法要では堂宇内にマンゴーの記念植樹が日本からの参加者全員により行われた。

この2008年前後より堂宇にはインド人参拝者、外国人参拝者がかなり増えてきて、時折話題になっている話を聞いた。またこのころからこのジェティアン村に新たに鉄道を引き駅を作るという話が聞こえ始めた。この村までの道はガタガタの上、人口もさほど多くない普通のインドの村にわざわざ国が鉄道を引くという夢のような話はインドでよくある大風呂敷な話と思い誰も信じなかった。

ネパール本願寺・ジャティアン村法要の旅 284 (2)

井戸の水を飲む参加者

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新しく作った井戸

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jethian 村長さんと村人

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jethian 村の重鎮達と握手

 

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マンゴー記念植樹

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現地新聞 jethian 

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jethian村の子供たち


仏像復興計画4


それから堂宇は毎日村の人々によりお参りもあり、時には日本人などもちらほらお参りするようになったとの連絡を受けた。建設後2年ほどしてもともと地盤がしっかりした所ではない上、酷暑時は50度近くまで気温が上がり冬は4度くらいまで下がる過酷な場所なのでコンクリートのひび割れなどが出はじめた。また家畜の牛やヤギがお堂に入ることもあり全体の補修と全体を覆う壁を作って欲しいとの要望が出された。また私たちからもこのジェティアンの歴史を石版に掘って案内板を合わせて作りたいと意見具申した。文字はヒンディー語、英語と日本語で記入されることになった。堂宇建設4周年の完成を目指し、その後執行部数人と渡印を重ね2004年10月中旬仏教青年会有志とその友人達15名ほどで堂宇建立4周年法要のため渡印した。修繕とコンクリート製の壁と大きな案内石版の完成。さて次は4年後の2008年の8周年法要。

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法要に集まったjethian村人

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現地新聞にも大きく取り上げられた

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完成した案内板 jethian

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私たちを迎えるjethian村長ムキヤジー

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階段のひび割れ

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柱部分のひび割れ

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建設中の壁

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建設中の壁。奥に見える黄色い壁は学校の壁

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修繕の寄付金を渡す。工事は全て村の委員会に任せている。