お香の掘り出し物


バンコクの店は大体花屋なら花屋、仏具屋なら仏具屋街と同じ店が集まっている。小さいショップが集まるショッピングモールも大体同じ感じであるが時々全くジャンルの違う店がポツンとあったりしてびっくりする。

2年ほど前バンコク北部にあるとある大型ショッピングモール内で偶然ポツンとある小さいお香屋を見つけた。バンコクで販売されるお香は加工された線香かオリジナルのままの香木だがこの店には珍しく日本で焼香に使う香木を小さく刻んだ香を売っていた。はじめ種類がわからなかったが「沈香」と漢字で書かれたメモがあちこちに貼られており、試しに炊いてもらうと間違いなく沈香。早速店主と値段交渉を始める。「沈香」とはお香の中でも最高級の部類に入る素晴らしい香りのお香。この香の最高級品「伽羅」は現在日本では「金」の価格の数倍するものもある。

さてこの店のお香はどうもこの刻香を線香などに加工する原料として売っているようで、試しに2袋だけ購入し帰国後本堂で使用したがこれがいい。香りの濃さは少ないが、ちょうど法事でたくさんの方が本堂で焼香すると非常にいい香りになる。

その後、訪泰のたびにこの店をこのショッピングモールで何回もこの店を探したが見つからない。このショッピングモールは本当に大きく碁盤の目になっており、気をぬくとすぐさま迷うスケールである。結局見つけられず潰れたと諦めていたが先日、2年ぶりに自分が探していたエリアとは全く違うフロアで再会した。やはり同じ上品を売っていた。店主とやっと再会できたなどと話し込みながら香を入手した。

今、本堂で皆さんが使う弘願寺の焼香はこの沈香。いい香を常用すると焼香の香りが染みつき素晴らしい香りの室内になっていく。

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刻香状の沈香。横にあるのはカンボジア沈香の香木

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上に「沈香」のメモ。

 


エラワン廟テロ事件


バンコクのエラワン廟がテロの標的にされた。たくさんの人が亡くなり多くの方が怪我をされた。

バンコクでは幹線道路沿いにあるのでよく前を通ったり訪れたことも何度もあった。現世利益の神様で非常によく効くということでアジアを中心にたくさんのお参りがある。

先日バンコクに立ち寄る用事があったので追悼のお参りに行った。ニュースの通りTNT爆弾にベアリングの玉が仕込まれたとの報道があったが、数十メートル向かいのルイヴィトン・バンコク支店のガラスにもその弾痕あとや廟内のいたるところにその弾痕があった。本尊のブラフマー神のお顔にも当たり当日は白い布で覆い補修されてた。生身の人間ならひとたまりもない。

南無阿弥陀仏。

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エラワン廟本尊は修復中

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爆心地付近も修復中

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願いが叶ったらタイ舞踊を奉納する

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お参り中

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ベアリングボールの被弾痕

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被弾痕


ウィークエンドマーケット


バンコクの名所で土日しか空いていない場所がある。東南アジア最大規模の市場「ウィークエンドマーケット」。店舗数1万5千以上、簡単に作られたトタン葺の倉庫のような建物に、似たような路地が碁盤の目のようになっている。外と内の壁はないオープンなのでエアコンはない。5月や6月の酷暑時期に水分補給も暑さ対策もしないで行くと一発で熱中症になる。またそこに何万人の買い物客が集う。あまりの人ごみも圧倒される。ほんとうに想像を超える広大なマーケットなので初めて行った時は本当に迷った。今でもしっかり地図を見ないとたちまちに迷ってしまう。

初めて行った時は20年ほど前でいろんな掘り出し物があった。実際ここで買った物をネットオークションで売り、旅行代の数倍を稼いだツワモノを知っている。今でも日本のアジアン雑貨店が仕入れをしているのを見たことがあるが、残念ながら今はインターネットが普及し、何がどれだけの価値があるのか誰でもわかる時代が来たので、もう本当の掘り出し物を見つけるのは難しいが、判別の難しい骨董系は目力さえあればまだ入る余地がある。

初めて行くとその規模と人ごみに本当に圧倒されるが、その物量と独特の雰囲気はバンコク市内では是非とも訪れたい名所である。ただし土日のみ。ちなみに平日しか滞在できないという方には隣接するJJモールという大型ショッピングセンターがあり、ウィークエンドマーケットほどディープではないが同じような小綺麗な店がかなりの量が入っているのでそれっぽい感じが味わえる。

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ひとつの路地

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人でごった返す市場

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行き違いが困難な場合も


ガンジス河の向う側


ヒンドゥー教最大の聖地ベナレスは最もインドらしい観光地であり説明の必要もないだろう。ここの街はガンジス川を中心として西側と東側の両対岸に土地があるが西側にしか建物はなく東側には何も建っていない。藤原新也氏のベナレスの写真集『メメントモリ』で有名になったようにこの東側は不浄の地であるから建物が建てられないのだという。この対岸に渡れば川岸には何かの遺体が打ち上げられていて少々どっきりすることがある。時に人の遺体も上がる(事故ではなく火葬されず流された遺体)インド人は屍体は広い意味で不浄なものとして考えているので、それがある場所はあらかじめ決めた不浄の地ではなく自ずと不浄の地になってしまったというか・・さて持論をここから始める。

ヒンドゥー教徒のベナレスの1日の最大のイベントは日の出にある。日の出が礼拝の対象でありベナレスらしい時間だ。異教徒から見てもありがたい時間でもある。この太陽が昇るのが当然東側であるので東側川岸には建物がない。いやもっと言うと建物を作ってはこの地平線から昇る太陽は拝めない。不浄の地だから建物を建てないのではなく、この日の出が拝めないから街を作らないのではないか。まあ一応この辺は不浄の地ということにして、本当のところは日の出のために大きい建物建てない。それが証拠にベナレスの東側の上流の川岸に日の出の邪魔にならない場所にはマハラジャの非常に立派な城がある。当然マハラジャは決して不浄の地には城は作らない。下流も鉄道の橋を過ぎ日の出の鑑賞に邪魔にならない場所までいけば川岸に街はある。

ともかくベナレスの日の出は美しい。全くの宗教的な日の出。日の出と共に山ほどあるお寺の鐘とヒンドゥー僧侶の読経が重なりそれはそれは素晴らしい雰囲気になる。仏教僧侶であるが心を打たれる時間である。この数キロ内陸に入ったところにお釈迦様が初めて法を説いた初転法輪の聖地「サールナート」がある。

 

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早朝まだ暗いうちからたくさんの人

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日の出を待つ

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日の出を前に沐浴する人

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ベナレスのあさぼらけ

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ベナレスの日の出

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ベナレスの西側。最も有名なマニカルニカーガート。日の出にはたくさんの参拝者がいる。

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東側の川岸。動物や火葬にされなかった人の遺体が上がることもある。

 

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ベナレスではこんな船をチャーターする。


ドゥルーガ プージャ


インドで年回数回大掛かりなお祭りがある。最も大きいのがホーリー祭でその他いくつかあるが、私のいつもの渡印時期が10月中旬が多い為ヒンドゥー教の「ドゥルーガ祭(プージャ)」に出会うことが多い。

数年前ブッダガヤからラジギールに向かう途中、大渋滞にあった。全く動かない。通常2時間で行ける距離だが、街を出たすぐのところですでに2時間くらいたっている。何かと思ったらこの祭りにぶち当たってしまっていた。

この祭りは毎年各村などのグループが粘土でドゥルーガ神を作り、何日か村の辻でおまつりして最終日に山車に乗せて川に流すということが行われるが、その山車を出す日に当たってしまった。

トラックやトラクターで神様を乗せた山車を引き、高知のよさこい踊りのDJ付きトラックのように大音響ディスコ音楽が流れて、そこに若者が踊り狂って歩いている。いつ暴動に発展するかわからないような勢い。いちおう警官もいるが横を通る私たちのバスを勢いでバンバン叩いてくる。運転手もビビって文句ひとつ言わない。私もできるだけ目を合わせないようにするが、同行の方がまさに怖いもの知らずで日本の感覚でちょっかいを出すとガラスを割られるような勢いになる。焦ったインド人ガイドが彼らを相手にすることは危ないと注意する。向こうの人もまあまあとなだめる人いてなんとか彼らを通過するがどんどん違う山車がすれ違う。バスは最徐行。そのうちモスクの前を通ると武装警官がうようよし始めた。あの勢いならモスクの焼き討ちにも発展しかねない。そのうち何とかバスは動き出し数時間遅れでラジギールに着いた。

インドのまつりは基本無礼講的なところがあり、彼らの日頃の鬱積したストレス発散の行事でもある為、日本のまつりの感覚で参加するのは非常に危ない。

以前にも書いたがホーリー祭という大きなものになると基本外国人は外出禁止とインド人に本気で勧められる。

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先頭は村長など

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トラクターで神様を引く。日本のハコ乗り状態の若者

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山車の後ろで踊る若者。すごい音量。

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音楽担当者は山車に安全な鉄格子付きのDJルームで。

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大人しめな別の山車

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ドゥルーガ神


発掘当時のブッダガヤ大塔


ブッダガヤ大塔の入り口にあるホールにはブッダガヤ大塔発掘(多少なりお参りがあってここが何か知っている現地人はいたので「発掘」には抵抗感あり)当時の1900年代初めの写真がある。イスラムの破壊を防ぐために2階付近までは土に埋められている様子やここを掘り返して悟りを開かれた場所にある当時の金剛座の写真など興味深い。

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金剛座 お釈迦様が悟りを開いた場所にある。

それにしても発見当時は本当にぼろぼろで1900年まで数百年は修復もされず廃寺の感すらある。その間隣国ビルマ、タイやスリランカは通常に仏教は信仰されていたのに来ることができなかったのか。当時の国際事情は厳しかったのか、仏教徒の最高の聖地なのにここまで廃れるとは。現在の自由に行き来できることの有り難さが身にしみてわかる。

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ここまでぼろぼろになるとは

 

 

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金剛座。いまは触ることもできない。掃除のため管理の僧が入り口を開けた瞬間激写。私の駐在時はいつでも中に入れた。

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現在の金剛座前で法要をするビルマ人。入ることも触ることもできない


屋台ごはん


私のタイでの食事は屋台が基本だが、当然当たり外れがある。といってもタイのいいところは美味しいか、普通かどちらかで、かつて東北地方イーサンでツアーに組まれた屋台料理に鳥の唐揚げのようなものが出たが、あからさまに残り物を揚げ直して、しかも時間が経って腐敗臭がしたので食べれなかったのが一度だけ。

先日中華街を散策中、朝からなにも食べていなかったので偶然見つけた屋台に入った。ここの客はたいていタイ風焼き飯カオパットを食べており、ここの名物ぽかったので頼んでみた。出前もしておりひっきりなしに注文が入る。ほんの数分で出来上がってきた。中皿に盛られた日本の焼き飯と同じ量くらいで、スライスしたきゅうりと味付け用ライムが付いてくる。一口食べると米はほどよいパラパラで香ばしい香りが口いっぱいに広がる。試しにとライムをしぼると酸っぱさが味を引き立てて極上の味になる。日本語で思わず「うまっ!」スプーンでがっついた。

タイ人の主人はうれしそうな顔で日本人に「アロイ?」おいしいかと聞く。サムズアップのポーズで「アロイ!アロイ!」と答える。主人も作っている奥さんもうれしそうだ。魚のフライをおまけにもらってまたこれもおいしい。これで200円ほどか。「サンキューサンキューNo1No1」とお礼を言って道に出た。掘り出し物にあった気分。やっぱりタイは面白い。

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田舎の屋台テント(参考)

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屋台の汁麺(参考) まあだいたい屋台はこんな感じ

あまりの美味しさに写真を撮り損ねたので、似たような風景。


お香屋さん


以前からよくいくタイのお香屋街に顔を出して最近入ったお香を見せてもらった。タイ産を中心にマレーシア、カンボジア、インド。最近はラオスやミヤンマー産も多く見られる。主なお客は中東の人たち。もちろん仏教徒ではない。中東の方は沈香を多用しその煙を香道のように楽しみ、沈香から絞り出したオイルを香水にしたりその煙を体に染み付けたりする。

今回日本人だというと奥から日本に送るための最近出てきたというラオス産沈香木を見せてもらった。これがすごい。本当に重く沈香のオイルが場所によってはしみ出している。水に沈む木だから沈香というが確実に沈むと実感できる重さ。オイルで黒くなっているこの部分は削り出され最高級の伽羅になるのだろう。少し試しに炊いてもうとオイルがグツグツ染み出して素晴らしい匂いがした。ラオスの奥地から中国にかけてのエリアはまだまだ出てきそうである。

 

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気のいいムスリムの店員

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ラオス産沈香原木


泥棒市場に屋台なし


バンコクに行くと必ず立ち寄る中華街のクロントムと言われる主に機械製品を売る地区に、昔から路上屋台市場の泥棒市場と言われてなんでも売っている一角がある。昔は泥棒をしたものを本当に売っていたというなかなかディープな市場である。いつも車が一台通れるスペース以外道路にはいろんなものを売る屋台テントがひしめき、見て歩くだけでも面白い。

先日この場所に行ったのだが、この屋台市場がない。いつも来る方向と違う道から来たのでまちがったのかと思い、あたりを歩き回るが一向に見つからない。ヤワラート道りに出て、何年も乗り捨てられていてどいういわけか処分されない古いランドローバーがこの通りの入り口の目印なのだが、これを見つけた時は今いるのは目的の場所に間違いないことを確認。これはタイで時々ある街の浄化のための屋台の強制撤去なのか?あるいは偶然何かの休みの日なのか?再びその道を歩くと通りの入り口にいつも見ない警察官が数人待機している。ああこれは屋台テントが強制撤去されたのだ。さらに道を進むと友人の屋台時計屋が本来彼の屋台のある場所で椅子に座っていた。どうしたのかと聞くと、やはり警察が強制撤去したので屋台は出せないので椅子でこじんまり営業しているという。

そういえば最近でバンコクの昼間の屋台を禁止にする場所ができたという記事を読み、そこはオフィス街でいつも立ち寄る場所ではなかったので特に気にしていなかったが、中華街のこのような場末の場所でも実行されるのかと少々驚いた。でもおそらくあと数ヶ月もすれば警官はいなくなり元に戻っていつもの屋台街になることだろう。それがタイの面白いところである。だから時計屋の彼は場所取りのためにも椅子に座って規制の解除を狙っている。

2023年追記。屋台は戻った・・・やはり。

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ヤワラート通り

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規制前のクロントム屋台市場。あまり本気で写真を撮るともめるのでこっそり。


高知でチベット2


高知、大豊の定福寺で行われた「チベットフェスティバル」期間中、阿弥陀仏の砂曼荼羅製作が行われた。北海道から行われた同様の他の4会場は時間がつまっていたためお坊さんも時間におされて大変だったそうだが高知は時間的にも余裕がありリラックスしてできると笑顔。また初日と最終日のみ開催予定だったチベット舞踊チャムも毎日行われ、管長の法話、瞑想指導には全国各地、海外からも聴講にこられ平日でもほぼ満堂の入り。ちなみにこの会場は高知市から車で1時間ほどの四国山地の真ん中にある。この地は交通の便は良くなく、ちょっと時間が空いたから見に行ってみようかという場所ではない。

ある日夕食に呼ばれた。お坊さんの中に食事担当の方がいてインドのタシルンポ寺院と同じクオリティーものが出される。この時はチキンカレー(タイのカレーのような感じ)とテンテゥという水団。これはベジタリアン。お坊さんは出身地などでベジタリアンとノンベジタリアンがいるそうである。味は辛くなく非常に食べやすい。

最終日に砂曼荼羅が完成し阿弥陀仏の灌頂、砂曼荼羅破壇など素晴らしい行事があったが残念なことに自坊の法務で行くことができないのが悲しいがこれもご縁。後日すばらしい法会であったと話を受けた。本来砂曼荼羅は破壇して砂を川に流して完結する。ここは作法通り川に流した。

 

 

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数日後の曼荼羅4人で作る

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すごい集中力

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最終前日

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完成日前日の夕方

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管長による法話

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瞑想指導

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チベット料理の夕食

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鶏肉カレーっぽいものと餃子の皮のようなものと野菜の入ったスープ

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夕食後の団欒

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チベット舞踊チャムを教えてもらう

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日本各宗派とチベット僧による開式法要