タポーバンの遺跡


仏像復興を手がけているラジギール近郊のジェティアン村近郊にタポーバンという温泉精舎がある。ラジギールの温泉精舎ほどの規模でなく湯量も少ない。

そのすぐ前にかつてブッダを祀っていた寺院跡がありブッダの足跡が岩に残っている。もちろん本当にブッダの足跡ではなくそのように見える石がブッダの足跡と信じられている。近くにはムスリム侵攻によると思われる破壊されたヒンズー教の神様の像もあったので「仏教寺院」とは言えないと思うが、地元の人はこれは間違いなくブッダの足跡でブッダのお寺だと言われる。この寺院跡は村からも離れてさびさびとしているがこの近郊には発掘されてない仏教寺院も実際にあるので、どこか気になる遺跡である。

インド(特にヒンズー教徒)はこのように足跡が岩に残っている(ように見える)石を神の足跡として崇拝することが多い。おそらく仏教の佛足石信仰もこういったインドの文化的経緯があると思われる。

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タポーバン温泉精舎

 

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ブッダの足跡寺院跡

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寺院跡中心にあるブッダの足跡。持ってきたものではなくもともとある岩盤にある。

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奥の方まで寺院跡はある

 


ネパール カトマンズ本願寺


数年前、団体旅行でインド聖地旅行の折、ネパール国カトマンズにある浄土真宗寺院を参拝した。

浄土真宗は日本人移民国のハワイを始め北米南米以外にも外国にお寺がある。欧州とこのカトマンズなど、かつてアフリカにもお寺を作る話もあった。このカトマンズ本願寺のソナム所長はもともとはシッキム出身のチベット仏教の僧侶であるが、彼が98年にブッダガヤ滞在中に日本人のNGOグリーンライフ研究所を開所された福岡県北九州市の故向坊弘道氏に出会いお念仏の道に目覚められて浄土真宗の僧侶となり、縁あってネパールの念仏道場の所長となった。

故向坊弘道氏は事故によって全身不随となりそれがきっかけでお念仏の信仰を深められた方だが、その98年に彼が電動車椅子でブッダガヤ日本寺に来られたときお話をしたことがある。日本寺のことやブッダガヤの浄土真宗の布教の実情を聞いて行かれた。その時のブッダガヤ参拝時にソナム師との出会いがあった。

訪問時ちょうどソナム師は御家族の大変急なお見舞いでシッキムに帰られていてお会いできなかった。現在このお寺は学校が併設され、多くのネパール人が勉学を学びつつ浄土真宗も学び多くのネパール人が帰依し少しづつだが僧侶も生まれている。浄土真宗の本尊である阿弥陀仏はチベット仏教でも非常に馴染み深く、パンチェン・ラマという阿弥陀仏の化身もいる。この化身はダライ・ラマ法王(観音菩薩化身)と並ぶが最も信仰されている化身である。

 

 

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カトマンズ本願寺を正面から。右側にチベット仏教の仏塔チョルテンが見える。

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本尊阿弥陀如来

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カトマンズ本願寺の僧侶

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本堂正面にて

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参考にハワイ ホノルル別院。西洋風で中も教会のよう。ハワイ浄土真宗は100年以上の歴史がある

 


乗車定員20名ジープ


インドの車に乗車定員はない。いやある・・・それは乗れるだけ。

さすがに都市では屋根に乗ることはないがブッダガヤなどの田舎は屋根にまで普通に乗る。バスやジープ系の乗り合い営業自動車に限るが今でも簡単に見ることができる。

ジープは聞いた話では20人は乗れるという話。屋根だけではなくボンネットに乗っている車を見たことがある。事故が起こったらとんでもないことになることは火を見るよりも明らかだし、死亡事故の話はしょっちゅう聞いた。一番びっくりしたのは夜間ボンネットに乗った客に懐中電灯を持して、それを前方を照らしながらヘッドライトにして走るジープを見た。自動車のヘッドライトが壊れていたのだろうがあまりに無謀。極貧のビハール州では現実にある世界。ボンネット上の客が数個の懐中電灯を使い対向車にアピールするように照らし回しながら対向斜線から迫ってくるので、はじめ何が来たのだろうとびっくりしてたが、ジープに乗った人と気付いた時はもっとびっくりした。

ところでこのインドジープは4WDではない後輪駆動。ジープファンもびっくりの仕様である。オリジナルの本家米国ジープのウイリスやMBの形ではなく日本製三菱のジープ派生系の形というのがおもしろい。

この小さい車に20人も乗るなんて・・お釈迦様の聖地の多いビハール州だけでも人口は1億人を超える。それだけ人が多いのにインドの田舎は移動手段の車が少ない。バスもローカル列車も屋根に乗る。

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車内より屋根の方が人が多いような・・

 

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何人乗っているのか・・

 


仕立て屋 テイラー


インドで服を買うときは生地から買ってそれを仕立て屋に持っていくのが本来の形のインドの服の買い方である。既製品もあるが仕立てても値段はさほど変わらない。

村の相場ならシャツで当時日本円で300円くらいで1日で仕立ててくれた。とは言ってもクルタパジャマやYシャツなどは駐在中は使うことがなく、日本製作務衣を持って行きこれと同じものを作ってくれと言って作ってもらった。インドのお坊さんは黄色系の法衣なので作務衣もよく黄色い生地から作ってもらった。生地は値段通りのクオリティーで安ければすぐ破れたり色が落ちた。化学繊維が強くて色落ちも少ないが酷暑時期は風を通しにくく汗も吸いにくいので使うことはなかった。インド綿でしっかりしたものは仕立て屋のテイラーの技術がしっかりしていれば最高の出来になる。また腕のあるテイラーはタグをつけることがあり「ブッダガヤ・⚪️⚪️製造」などと書かれておりブッダガヤ製作務衣という付加価値がついてかっこよかった。

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イスラム教徒が多いテイラー

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ミシン一つで何でも作る

 


笑顔の子供


インドの子供は元気だ。いつも笑顔で笑ってくれる。日本寺には付属幼稚園があったので、そこに通う子供やその兄弟がいつもお寺の境内で遊んでいた。遊具で遊ぶ子、外国人参拝者にちょっかいを出す子供。わざわざ私たち外国人に近ずいてコミニケーションを取るのだから特に明るい子たちなんだろう。最近の日本ではあまり見れない笑顔である。もちろん笑うこともできない状況の子供もたくさんいることを忘れてはならない。

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インドの花


インドの花は力強い。インドの花の強力な個性には圧倒した。どうだ!と言わんばかりに咲く。もちろんダラダラ咲く花も多いが、力強い花が多く印象的であった。

インドの花で最も関わった花はマリーゴールド。インドではマリーゴールドは神仏に捧げる神聖な花である。時に神様や仏様に捧げる花輪になり、お客を迎える花輪にもなった。またインドの伝統的な最高のお招きをする行為としてレッドカーペットのごとく花びらを道路に敷いて花びらのカーペットを作る。その花もマリーゴールドのガクを外し花びらを散華して花の絨毯を作った。ちなみにタイもこの花が同様に使われる。

その後日本に帰ってもマリーゴールドは我が寺ではお釈迦様の佛事では無くてはならない花になった。

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日本寺のマリーゴールド畑

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真っ赤な花

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日本寺にある藤のような花

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仏様にマリーゴールドを大量にお供えする。(黄色のみタイ式花輪)念仏が生まれた霊鷲山にて

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インドはウェルカムの意味でマリーゴールドの首飾りをもらうことも多い。

 


昼寝


先日、日本人の睡眠時間は世界で一、二を争うほど少ないというニュースを見た。そんな日本人だからあまり昼寝をする習慣がないが、インド人や東南アジアの人は昼寝をよくする。タイでも商店などで店番が寝ているのを起こして商品を買ったのは一度や二度ではない。インドでは客のないリキシャマン(人力車や自転車の力車がインドにはあり彼らをリキシャマンという)が自転車の椅子に曲芸のようにうまく乗って寝ていて、よく落ちないものだと感心した。また村にいけば涼しい場所を見つけて寝ている姿をよく見たし、都市では車が通る大きい幹線道路の中央分離帯で寝ているホームレスもいる寝返ったら最後だが、こんな場所わざわざ邪魔に入る人はいないので、いい場所なのかもしれない。

インドの酷暑時期は暑すぎて夜まともに寝れないので基本的に睡眠不足になる。したがっていくら暑くても昼間ウトウトして寝てしまうことも多かった。酷暑時期あの暑さの中で来る睡魔ほど気持ちのいいものはない。起きた時の汗もまたよろし。

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日本寺、施療院前で昼寝をする村人

 


ブッダガヤのある師


ブッダガヤで友人になったお坊さんが何人かいるが帰国後彼らは何をしているのだろうと思うことがある。その中の一人にインド人僧侶A師がいる。私よりひとまわり以上年上の感じのいいインド人のお坊さんであった。あまり仏教徒のいない某州出身というめずらしい方で、ブッダガヤで無料の学校を運営されていた。日本語はできなかったがインド近隣の数カ国語を自由に操り、人柄が非常に良い方で台湾や各国の支援を受けている方だった。インド人僧侶は結構クセがあったのでクセのない彼は誰からも慕われ一目置かれる存在であった。また立ち振る舞いが非常綺麗で流れるような動作は、たぶんお釈迦様もこんな感じだったのかなあと思うくらい動作自体に安定感があり尊敬できる方であった。駐在の初期からブッダガヤ大塔のお参りや各国寺院で行われる法要でもしばしば出会いおはなしをした。

ある日ブッダガヤの大行事の第一回ブッダマハットソウ(仏教大祭)でブッダガヤの各国寺院の僧侶がビハール州の首都パトナの博物館にあるお釈迦様のお骨「仏舎利」をブッダガヤに運んで、この大祭をすることになった。日本寺からは私が行くことになり、パトナのバンガローで師と同室となった。

夜、上座部僧侶は夕食を取らないので、私は気を使って同じように今夜の夕食は抜きにしようと思っていたら、大乗仏教のあなたはどうぞ気にすることなくお食べなさいという。注文を取ろうとしたら私はスープをいただくといって野菜スープを注文された。上座部仏教僧は正午以降、固形の食事は戒律により食べれないが果汁や牛乳などの固形物以外は可能である。しかし非常に真面目な方だったのでおそらく何も口にしないと思っていたのに、また野菜スープという微妙な選択をした師のそのおおらかさに逆に感動した。(もちろんインドの野菜スープは固形物は溶けている)夕食後は瞑想のことや仏教の話を遅くまで話をした。

その後ブッダガヤに行くたびに道端でお会いして久しぶりですねなどと挨拶をするが何せ時間がなくゆっくり話ができないのが残念である。

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師の学校

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台湾の援助グループと学生たち

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授業風景

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数年前にあった時のスナップ

 


変わった挨拶


ブッダガヤのチベッタンバザールでの出来事。ここは畳2畳くらいのスペースに個人商店が主に衣料を売る40店舗くらいが集まったテント村。10月くらいから2月くらいまでブッダガヤの広場で開かれる。商品は主に衣料。中国製の防寒着、ナイロン毛布が主な商品だがたまにチベットの衣料やブータン衣料も売っておりそれが珍しくてよく見に行った。ある日買い物をしているおばさんが私を見てベロをだして日本でいう「べー」をする。??以前ある地方のチベット人は挨拶に舌を出す「ベー」をするということを聞いていたので本当にするんだとびっくりした。その日はそういった地方からの参拝者が多いのか多くの人から「べー」された。予備知識がない人なら揉めるだろうなあ。

これはお経に仏様が長い舌を出して誠実の言葉をお話しするという表現があるが、これと同じで私は二枚舌ではありません全く誠実でありますという挨拶である。チベット人はこういったところまで仏教的である。

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一心に経を称えるラマ僧

 


ブッダガヤのチベット


11月から2月くらいにかけてブッダガヤはチベット化する。まずチベッタンバザールというチベット文化圏から来た商人のバザールがたち、チベッタンレストランという食堂もたち、チベット人で溢れる。ダラムサラ、レーやシッキムなどのチベット文化圏や南インドの難民居住区やブータン、ネパールあちこちからお参り来くる。参道や周辺道路にたつバザールはそれぞれの特色溢れる文化圏の商品をチベット商人や参拝者が旅行費用の足しにしようと小物を売っていて、毎日のように見に行った。時折高僧が来ると一気にチベット人のお参りが増える。もう本当にチベット状態。

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大塔で高僧による大法要

 

お坊さんも当然すごい人数がおいでになる。ブッダガヤ大塔も真剣に五体投地に励んだり経を称えるチベット僧の袈裟の赤い色で染まる。1880年ブッダガヤの大塔を世に知らしめた英国探検家カニンガムはわざわざチベットからチベット人がおまいりに来ることをヒントに発掘調査したとも聞く。ブッダガヤはチベット四大宗派寺院、その他ブータン寺院など半径1キロ以内にほぼすべてのチベット各仏教寺院があり英語に堪能な僧もいるので容易にすべてのチベット仏教に会える場所だと思う。

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法要中

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法要中にチベット茶をいただく

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お坊さんもお経を販売

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お数珠販売屋台

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五体投地の祈り

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冬場はチベット語が多くなる

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もうチベット。