誕生仏あれこれ


お釈迦様のお誕生を祝う「お花まつり」は日本は4月8日か旧暦同日であるが国によって年によって旧暦同日のみであったり4月から5月の満月の日など国や文化によって違いがある。

さて仏様のお姿(仏像)は同じ浄土真宗であっても西と東では少し違っていて厳格にそのお姿は決められている。阿弥陀仏像ならなんでもOKではない。ところが誕生仏像については右手を上に左手を下に人差し指で指している「天上天下唯我独尊」の姿であれば特に問題ない。例えば真言宗で使われる誕生仏が浄土真宗で使われている誕生仏と同じであっても問題ない。もっといえばネパール・ルンビニで買ってきた誕生仏像であっても特に問題はない。

誕生仏は国が違っても誕生仏はほとんど同じお姿で、太めであったり金箔が使われている、あるいは製造する工房によって技術的な問題で指の形が鮮明でないことがある程度であり、仏教徒であれば誕生仏とすぐさまわかるお姿である。

 

 

チベットの誕生仏。より赤ちゃんっぽい。

日本の誕生仏。スマートお姿

インドの誕生仏 基本的には日本などの仏跡参拝者用土産。日本の仏像を模したものと思われる。

ベトナムの誕生仏

誕生仏をフィーチャーしたと思われる仏像。手の姿が逆で形も少し違うので誕生仏なのかちょっと微妙。ベトナム製

日本式誕生仏

ネパール・ルンビニのお土産屋

聖地ルンビニのお土産。プラスチック製のものと銅製。

タイの誕生仏(真ん中の仏像)


ベトナム沈香


お香の中で最も希少で高級なものを「沙羅」(きゃら)という。特にベトナム産は昔から最高級であり、その希少性から近年価格が急騰し最近は金より高価で取引されることもあるとのこと。あまりにも高いのでそれより一段クラスの下がる「沈香」(じんこう)が通常、仏事や香道で使われる。これも産出される東南アジアの中でベトナム産が最も人気がある。

伽羅や沈香はある種の木の傷などから出る脂が木の中で長時間かけて変化して出来るのもであり、脂の多さが価値を決める。普通は自然にしかできないが、人工的にこれを作る技術が出来ておりベトナムでは大量に作られている。

沈香の天然物と人工物は出来のいい物は素人目には区別は難しく、また香りも普通に沈香のいい香りがする。また人工といっても特定の木を大量に植樹し人工的に傷をつけて、あとは自然に長年成長するのを待つという作業で、一応傷つける以外は自然の力で作られるので「天然物」とし販売する業者もいるそうである。

さて最近日本のお香屋などでよく聞く話に「沈香はもうない」「入手しずらい」とよく聞くことが多い。確かにワシントン条約の規制にかかっている天然物は取り尽くされかけているので、今後も入手は困難になるだろうが、大量に作られている人工沈香は植樹沈香木も大きく育ち、新たな植樹も増えているので入手は今後は容易(安価)になっていくのではないかと思う。

いいお香が安く手に入れるようになることはありがたいことで、お経の中にもいいお香をたくとより修行が高まるといった事柄が書かれている。

 

こんな大きな沈香がゴロゴロしている

沈香木

人工の沈香。これが最高級レベルとのこと。非常にいい香りがする。

ホーチミン某所のお香屋。こういった規模のお香屋が何件も連なっているエリアがある。

 


ブッダガヤ大塔世界平和祈念法要


2016年10月2日ブッダガヤ大塔のお釈迦様が悟りをひらかれた金剛座前でブッダガヤ大塔管理委員会協力のもと高知県仏教青年会主催による世界平和祈念法要が行われた。

日本からは真言宗、西山浄土宗そして浄土真宗の有志が参加した。特に日本仏教界では高野山開山1200年や法然上人800大回遠忌、親鸞聖人750回大遠忌も重なる期間であり、それをご縁としてブッダガヤで修行を重ねるインド人上座部僧侶を招き、合同平和祈念法要を修行した。

半年前より大塔管理委員会代表に会い今回の法要開催を快諾いただき上座部代表として前日のジェティアン村法要と同じく導師と招いていたが、緊急に市長との会議が入り欠席されたのは残念であったが、お手替わり僧侶による丁寧なパーリー経典の読経を頂くことができた。

多くの参拝者が見守る中、最初このパーリー語による読経が行われ、その後日本僧による読経。高知県仏教青年会会長より世界平和祈念表白を仏前に奉告の後、般若心経、重誓偈が読経された。法要中菩提樹の葉が頭上より降り注ぎ、このうえない無上の荘厳となった。

法要前に仏教青年会の仏旗バッジを記念に配る

大塔管理委員会のよびかけにより20名のインド人僧侶に来ていただいた。

参加の日本人僧侶。

法要説明中

法要の流れが説明される

法要準備終了

パーリー法要 赤い袈裟の方がご導師。


ベトナム仏教のチベット


ベトナムは人口の8割ほどが仏教徒であり、その多くは日本と同じ大乗仏教である。禅と浄土教を合わせたような仏教である。お隣のカンボジアやラオスは上座部(小乗)仏教なのでちょうどこの国が大乗と小乗の分岐点となっている。

2017年ホーチミン市の寺院巡りを行った。市内の永嚴寺は日本の福島県の寺院から奉納された日本の鐘楼にある非常に有名な寺院である。ご本尊は阿弥陀仏。念仏(マントラ的な信仰)や観音菩薩のマントラを唱えつつ禅もするといった形で、よくよく見るとチベット仏教も信仰に取り入れられていた。他の寺院にもお寺のカラーか多少違いがあるが、寺出版の施本経典内の一部にもチベット文字を使っていたり、売店にはダライ・ラマ法王の書籍が山済みだったりとなんらかの形でチベット仏教が絡んでいる。

また見学したベトナム歴史博物館の19世紀のグエン王朝の王の服の袖にもチベットでは非常に人気のあるタシ・タゲと言われる八吉祥のチベットのデザインが施されていたし、裾はチベット絨毯を彷彿とさせるデザインであった。思えばメコン川の源流はチベットであり、川を使えば文化交流は十分可能である。事実メコン川を遡りゴールデントライアングルにはチベットを起源とするアカ族という少数民族もいる。

大乗仏教と上座部仏教の境までチベット文化が根付いていることは意外であった。

 

永嚴寺

永嚴寺本堂

施本、施VCD 観音さまの本や阿弥陀仏のマントラVCDがある

ベトナム語の南無阿弥陀仏と書かれたプレート、施VCD 阿弥陀仏のマントラ映像 阿弥陀仏バッジ 仏旗と寺院ロゴバッジ

永嚴寺の施VCDを再生するとチベット文字が阿弥陀様の周りをぐるぐる回る。中心の仏像もチベット式。音楽もチベット式のマントラ音楽に合わせて阿弥陀仏のマントラがエンドレスに流れる。

各寺院でもらった本やカード、タイ式、中華式、チベット式それぞれ個性がある。

舎利寺の売店。ダライ・ラマ法王の書籍が山済み。当然ベトナム語。置いていないお寺もあった。お寺のカラーか。

数珠の仕様もそっくり。赤いのはチベット数珠。白っぽいのはベトナム数珠。どちらも108玉で親玉から2方向に3個づつ玉がつく。


タイ国プミポン国王弔問


昨年末タイ国プミポン国王が逝去された。日本の皇室とも縁が深くまた現在のタイ国が戦後混乱するアジアで早い時期から近代化に成功し、幾多のクーデターでも内戦状態にならなかったのは国王の存在なくして考えられない。

逝去後5ヶ月ほど経つが現在も毎日弔問者が後を絶たない。日本の天皇陛下が弔問された翌日機会があって弔問に訪れた。観光地で有名なワットプラケオ(エメラルド寺院)の宮殿に安置されている。ワットプラケオは最も有名な観光地の一つなので、タイ人弔問者と観光客は完全に分けられていて、現在は一部立ち入りできない所があるが、観光客は通常どおりエメラルド寺院は観光できるようになっている。

弔問者は一旦、火葬場建設地の横にある大型テントに集合し、ある程度集まったらワットプラケオに移動する。その間水や軽食はボランティアにより施される。エメラルド寺院の外側壁の回廊をぐるりと回りご遺体のある宮殿に進み参拝する。服装は完全に黒一色。子供や女性に白シャツをたまに見るぐらい。一時期黒の売る服が街からなくなったとの話もうなずける。この日も平日にかかわらず数時間で数千人は目視できたので全体の総数はどれくらいになるのだろうか。ちなみに2月初めで400万人以上の弔問があったとのこと。外国人弔問枠があるらしいと聞いてさがしていたが結局発見できず宮殿までしか進めず宮殿前で称名念仏。後から聞くとタイ人と同じ列に並んだらいいだけであった。再度初めから並び直したら3時間以上かかることが予想できたため断念。

街も他の寺院でも国王の遺影が置かれていたるところに記帳所があったがさすが5ヶ月になると街中は黒一色ではなく通常感がでていた。

ファラポーン駅からの会場までのシャトルバス

会場寺院近くで乗り換えする。ここから一般車は通行止め。

2階建バスなども移動に利用

会場まで進む人

集合場所入口

ここで国王のDVDなどを見ながら待つ

トイレバスも完備

最近始まった火葬場建設

ワットプラケオ回廊で待つ人々

宮殿への暑い道

宮殿にすすむ。

他の街のお寺でも王の遺影が置かれる

駅前にも記帳所


ブッダガヤでの正信偈


浄土真宗のお勤め(お経)の定番は「正信偈」である。普通に読んで30分ちかくかかる。インドは広く聖地参拝旅行では時間が制限され、どうしても滞在時間は短く駆け足のような参拝となる。したがってインド聖地巡礼では偈文と呼ばれる「重誓偈」という5分くらいのお経を勤めることが多い。他の宗派で言えば「般若心経」的なものだ。

さてブッダガヤの大塔はお釈迦様が悟りを開かれた極めて重要な聖地であり、誰もが自分の信仰する教えのお経を読みあげたいと願う。かつて駐在していた時は浄土真宗の僧侶は私だけだったので一人でこの「正信偈」を勤め上げたことはあったが、複数でのお勤めは一度もしたことがなかった。

2016年10月有志の浄土真宗のお坊さんと共に大塔の金剛法座前のダライ・ラマ法王などが大きい法要を務められる場所で「正信偈」を勤めることができた。しかも五条袈裟という略式ではない和装法衣をまとってのお勤め。通常海外旅行では貨物重量が制限されるため基本的に通常の服や作務衣の上に輪袈裟と略衣を着ての参拝をすることが多い。

前々から一度行いたいと思っていたが、なかなかご縁に会えず今回初めてのご縁となった。滞在時間、人数、法衣を用意することなどいろんなご縁が揃わないとこういった法要は行えない。本当にありがたいご縁であった。

5名でのお勤め。大塔の菩提樹は目の前。

準備をして今からお勤め。

正信偈のお勤め中

お勤めしたお坊さん方々


インドで托鉢


2016年10月1日高知県仏教青年会が放置されていた仏像を復興しその仏像のために堂宇(お堂)を建てたインド、ジェティアン村で、堂宇建設16周年法要の一環として初の日本人僧侶による托鉢が行われた。

ジェティアン村は小さい村で托鉢をしたメインロードも道幅は4mほどで、昔からのインドの村らしいお釈迦様の時代と変わらないような道を十数人の僧侶が一列になり歩いた。準備の段階で浄土系などは托鉢自体あまりしないため鉢の所有者が少なくタイなどでよく見る大きい托鉢鉢を入手しようとしたが、仏教徒の少ないインドでは入手できず、インド人ガイド氏の発案により、なんと同じ大きさの料理用ステンレスボールを使用した。

静々と村の中に進んでいくと所々の家の玄関先から托鉢鉢に喜捨を入れていただく。喜捨をいただいた時お坊さんからありがとうを言うことはない。頭を下げることすらしない。逆にお坊さんに布施ができてありがたいと喜捨をする方が思うのが本当の姿である。これがなかなか日本人僧侶はできずどうしても頭を下げてしまう。鉢には干しぶどうや果物やビスケットなどを入れていただく。村の道を約400Mほど歩き最終地点になる村の公民館的な会合広場でこれらをいただいた。

インドで仏教僧が托鉢をするというのは一般イメージとしてよく行われそうだが、東南アジア仏教国とちがって仏教徒のほとんどいないインドではあまり見ることができない。仏教徒のいないジェティアン村では非常に珍しい行事なのでたくさんの人が集まって見学していた。これが縁で一人でもいいから仏教に関心を持ってくれたらと切に願う。

なお日本人による托鉢はインドでは珍しい行事だったのでインド現地記者のレポートがある。詳しくはここをクリック。

托鉢の様子

食事前に般若心経のお勤め

村の会合所でいただく

実物の托鉢の鉢が入手できないため、大きさ形が似た一般家庭で使われるインド製タッパ型のステンレスボールを使用。デリーでやっと入手したもの。

托鉢で喜捨されたもの

珍しがるジェティアンの村民。村人は100%ヒンドゥー教徒。仏教徒ではない。

村の会合所。

村のメインロード


インドの石仏購入


ブッダガヤやラジギールのお土産屋さんには多くの石製仏像が売られている。よくよく見るといい加減な物が大半だが非常に精巧に作られたものや大きさもいろいろで見ていて飽きない。

ブッダガヤの場合これを作っているのは近郊のガヤという町で作られる。ラジギールにも工房はあるがガヤの方が規模が大きい。工房は多くの職人を抱え発注者(土産屋)のオーダーに応じてなんでも作ってくれる。当然職人のセンスや技術には違いがあり、本当に素晴らしいデザインの仏様を作る職人がたまにいて、山のようにある仏像からそれを探し出すのが楽しい。いいものがあってもお土産屋はあまり気づいていないので基本は大きさで値段をつけてくる。言い値で買うもよし、値切るもよし。本人次第だが、もし少しでも安く買いたいなら店側に「これは非常に綺麗ですばらしい!是非ともほしい」という感想はお金を払ってから言うこと。

工房の在庫ボックス

工房の主人と歓談、20年以上の付き合い。

仏像ほかヒンドゥー神も多い。大きのは祠用

今回これを購入。チベット型仏像。非常に美しかった。


知らぬが仏・ブッダガヤのサソリ


先日、東京で日本寺元駐在僧の集まりがあり顔を出した。先輩や後輩など元駐在僧が集まりいろいろと懐かしい話の中で「サソリ」の話で盛り上がった。ところがなんと私は「サソリ」になんの警戒もせずインドで生活していたことに帰国して17年経って知らされた。

話によると先輩後輩問わずサソリは頻繁に出没し靴の中、寝具の中、あるいは書類の裏などいたるところに気を配り常に警戒すべき事項であったというのだ。当時同期のY師から「庭にサソリがいたよ」とか「近隣の村にもサソリは出ますよ」とインド人職員から聞かされたりしたが、私的には「カブトムシがいたよ」レベルで気にも留めていなかった。もしかしたらあの生活の中でサソリは実は私の周りに頻繁に出ており、ギリギリのところで知らず知らずのうちに躱せていたのかもしれない。

毒虫は全く平気ではない私はもしこの事実を知って駐在をしていたならかなり違った駐在生活になっていたはずである。知らぬが仏。くわばら、くわばら。

日本寺本堂。2016年訪問時。友人と。

 


霊鷲山の西方浄土


インドのラジギールにある霊鷲山(りょうじゅせん)は法華経と無量寿経がとかれた極めて重要な聖地である。平たく言うと「南無妙法蓮華経」と「南無阿弥陀仏」をお釈迦様が説いた場所である。

さてこの山に登ると50名ほどが参拝できるレンガ造りの簡単な参拝施設がある。この施設のお参りする向きがちょうど西向きで西方浄土に向かってお参りできるようになっている。

お釈迦様はこの場所で法華経を説いている最中にわざわざ中断して説いたのが無量寿経であることなどから、浄土系は無量寿経こそが出世本懐つまりお釈迦様はこの教えを説くために生まれてきたと考えている。当然法華経系はその反対と考える。考えはいろいろある。

ただ浄土真宗僧侶としてはこの施設が西方を向いてお参りできる施設になってる事実はありがたく感じる。この聖地はちょっとした山頂ににあり、かつては虎や強盗が出没する場所であったため、比較的安全な早朝にお参りするように多くの団体参拝旅行ではプログラムされているが、浄土系僧侶はあえて添乗員さんにお願いして西方浄土に夕日が沈む光景を拝むことができる夕方にお参りしたらどうだろう。

霊鷲山参拝。西方に沈む夕日

霊鷲山の頂上を下から望む

 

霊鷲山参拝中

霊鷲山にて。日没後は一気に暗くなるので夕方参拝の帰りは機敏な行動を。