2018年インド、ジェティアン・ラジギール平和行進


非常に綺麗な状態で保たれているジェティアン寺


2018年12月13日インド・ジェティアン村において恒例の「世界平和行進」が行われた。数年前から行われている行事で世界中から1000人を超える僧俗が集まる。再三出向依頼を受けていたがやっとこのと参加できた。1999年私たちがここに来た時はインドの普通の村であったがこの20年、高知県仏教青年会が仏像復興を行った結果、私達の手を離れ世界に知られる聖地となった。

当日は10時くらいからジェティアン村へ托鉢に向かう。村人から辻々で果物やお菓子を鉢に入れてくれる。かつてラオスのルアンパバーンで100人程度の托鉢を見たがここでは数百人の僧侶の托鉢。いままで見た中では最も多い数である。村の奥に進むと昼食が用意され、これは僧俗(ただし信者は外国人のみ)ともにいただける。

昼食後は式典会場に集まるが、何せ世界各国の僧侶が集まるのでそれぞれの僧侶同士の法衣から顔立ちまで変わるので、コミニケーション大会が始まる。言葉は通じなくても携帯で写真の取合い。日本人は私たちと現地の日本人僧侶数人だったので、非常に珍しくどこに行っても記念写真をせがまれた。

式典が始まると各国代表と主催者側のナーランダ大学などの代表などのスピーチ。約1時間ほど行われた。式典後はジェティアンからラジギールの竹林精舎へ約12キロの平和行進が行われる。この道はかつてお釈迦様が通られた旧道で生活道路としてはあまり使われていない。舗装もされていない昔ながらの道である。

今回は時間がないのと諸事情で歩くことは叶わなかったが現在のジェティアンがこれほどもでに復興したことを確かめて帰路についた。


ルンビニ参拝


ネパールのルンビニは2500年前にお釈迦様が生まれた誕生地である。世界各国から多くの方が参拝し大変賑わっている場所である。初めて訪れた時のは20年前でその頃よりはチベットやタイなど多くの寺院が出来、公園化された。現在も大型のチベット仏教寺院が建設中である。もともとここは沼地で開発が非常にしにくく、政府が変わるたびに開発が中止されたりと時間がかかったが、日本仏教会などからの支援により現在に至っている。

とはいえ田舎には変わりなくお釈迦様がお生まれになった頃と変わらない風景も広がっている。ここは首都カトマンズからはかなり離れており、少し車で進めばインド国境に接する。

アクセスはカトマンズから1時間ほど飛行機に乗るのが最も簡単で現実的である。バスも可能だが1日かかる。

マーヤ堂(御釈迦様のお母さんの名前)この中にお釈迦様が生まれた場所があり、誕生を記念する石(印石)が埋められているのを見ることが出来る。

産湯に使われたと言われているマーヤ堂の横にある池とその横の菩提樹

沐浴場横の菩提樹には祠が置かれているが何故だか本尊は涅槃仏。

同行した各宗派のお坊さんによるお勤め。

お堂横には仏教をインド中に広めたマウリア朝のアショーカ王(紀元前3世紀)による記念塔がある。インド中の初期仏教に関わる場所にはこの「アショカピラー」がある。

ルンタ。チベット仏教ではこれをお参りするときに捧げる。

駐車場からマヤ堂に伸びる公園化された参道

ルンビニ原風景の沼地

タイ人の寄付によりできた公園にある誕生仏


ネパールの細密仏画


ネパールにある浄土真宗寺院・カトマンズ本願寺の僧侶スニタさんのお父さんシュクラ・バハドル・ラマさんはカトマンズ本願寺本堂の内陣を書かれた有名な仏画師である。ネパールのお土産屋などで見られる仏画よりも数段精密な細密画を数人のお弟子と共に描かれている。

閑静な住宅街にある工房は日本などから依頼を受けた仏画など数点が描かれており、細密画用の筆や筆の形を整える道具などがおかれ、制作途中の仏画や数年かけて製作中の大型作品の涅槃図(お釈迦様が亡くなった時の様子)が目を引いた。ネパールにはこのような工房がいくつもあり日本人留学生もいるそうである。

かつて日本も家庭の仏壇本尊の絵像などを書く多くの仏画師がいたはずだが、今や写真、印刷技術が進み家庭のお仏壇の仏さまの絵像は印刷されたものが多くなった。ちなみに浄土真宗は仏画師が一部手書きした本願寺の発行する絵像の安置を推奨している。

ホテルに仏画を持ってきていただき吟味

真言宗で使う曼荼羅

シュクラさんスニタさん家族と共に

数年かけて制作中の涅槃図

阿弥陀仏。制作に1ヶ月ほど

道具

お弟子さんが曼荼羅を仕上げていた

阿弥陀仏絵像


第四回ジェティアン・ラジギール平和行進


2017年12月13日、高知県仏教青年会が復興し今や世界的に名が知られ始めたジェティアンで第4回のジェティアンからラジギールまでの13キロほどを歩く平和行進が行われた。世界各国から2000人以上の方が参加し、世界中の各国僧侶、信者が集まった。

参加要請は毎年受けるが12月の忙しい時期ということもあり参加はできなかったが現地の事務局が参加した。主催はアメリカの仏教興隆組織でブッダガヤやタイなどでも積極的に活動しているグループである。しかしながら上座部、大乗、分けへだてなく集まることはさすが聖地インドだと思う。

ゲート

オーガナイザー入場証

高知仏青が復興したお堂の説明写真 jethian

 

ジェティアンにあるお釈迦様がおられた洞窟

三蔵法師も滞在されたジェティアン

メインステージJethian Puja

東アジアからは韓国からもたくさんのお坊さんが見えられた。

僧俗一緒に平和行進

沢山の方が参加

インド人上座部僧侶

 


高知でチベット。ぷーふぇす(チベット祭)


11月19日日曜日、日高村の日高酒蔵ホールにおいて2回目となる『ぷーふぇす』(プーはチベット語でチベットの意味)が開催された。チベットグッズ販売、チベットフード、チベット占いなど目玉は映画『BRINGING TIBET HOME・故郷を引き寄せて』ニューヨーク在住のチベット人がインドのチベット人居住地区のダラムサラへチベット本土から20トンの土を運び母国への思いをはせる実際に行ったドキュメンタリーである。非常に良くできた映画で実際に自分が主人公たちと一緒に土を輸入する現場にいるかのような描写で、実際に起こった諸問題がリアルに描かれている。最後はダラムサラのチベット人が本土の土に触れるシーンはもう自分がチベット人になったかのごとく感動してしまった。

さてこのようなイベントには当然チベット好きがたくさん集まり熱い方にいろいろ出会えるが楽しい。今回はチベット犬(メジャーなチベット犬ではなくなんと牧畜犬)を10匹!も飼っている方に出会ったりと高知はチベット関連の面白い人が多いと思う。(法王通訳のマリア・リンチェン女史や、法王やチベットに関する書籍も多い写真家・野町和嘉氏も高知県人)

高知は仏教会や寺院単位でチベット関連単発イベントは行われているが、連続して行われるのは初めてであり今後も開催されるとのこと。本気の熱意がなくてはできない行事に主催者には頭が下がる。

フライヤー

フライヤー裏

日高の空にはためくタルチョ

チベット国旗。この旗の原案は日本人(浄土真宗僧侶)といわれている。

酒蔵ホール内


プミポン国王斎場公開前のボランティア


2017年10月25日から29日にかけてタイ国プミポン国王の葬儀が行われ火葬が行われた。会場はワットプラケオ横のサナームルアン王宮前広場。この豪華絢爛な式場は約1年かけて作られた。

11月2日から1ヶ月この会場は一般公開され誰でも入ることができる。その一般公開に向けてタイ各地からボランティアが来て清掃活動などが実施された。この間は事前に登録されたボランティアや関係者以外は入場が制限された。こういった情報は実際に行ってみないとわからないことが多いので、もしかしたら入れるかと行ってみたが残念ながら入場はできず、同じような思いの一般のタイ人も外国人も相当数いて、とりあえず入れるところまでは行ってみたが会場の周りの格子までしか行けなかった。

式場の最も重要な火葬塔に一番近いところに行くと数人のタイ人が式場の中にいるボランティアに携帯を渡して、近くから塔を撮ってくれと頼んでいる。数人のボランティアのおばさんもそれに答え写真を撮っきてくれる。私も頼んで撮ってもらおうと思ったと同時に、鉄格子の壁があるので、そのまま携帯を持って行かれたら追うこともできず、とんでもないことになるという心配が生まれた。相手は全く知らない人でここは日本ではない。

でもまさかこのような神聖な場所でそんな輩はいないと信じ、おばさんに携帯を託した。心配ご無用。おばさんはいい写真が撮れたと笑顔で返してくれた。

11月2日からは30日まで一般公開され300万人以上が来場すると政府は見込んでいる。

プミポン国王火葬塔前。格子から中はいけず。

学生さんが授業なのか写生中。

清掃ポランティア中

式場全景

ボランティアさんたち

帽子の方が中に入れない人のために携帯で写真を撮るのに行ったり来たり。

撮ってもらったプミポン国王の火葬塔

街の中はいたるところに国王のお顔があった。これはビル一面に付けられたお姿

寺院本堂内には国王の為の祭壇がある

11月1日付のバンコクポスト。明日から一般人に公開されるという記事


いただきます 命をいただくということ


母校の僧侶でもある先生がある方に「いただきます」はなぜするのかとの質問に、それは「作ってくれた料理人や生産者に感謝するのだ」と答えたそうで、あるいはレストランなどで「いただきますをいうのは対価を払っているので言う必要はない」という方もいたそうである。

私の子供が2、3歳のころスーパーの魚を見て「魚の屍だね」といってそんな「シカバネ」なんてどこで覚えたのかという面白さと、大人にはない的確な発言に爆笑したことがあった。普通はスーパーの魚は食料としての視点のみで「死んだ魚」という感覚はあまりない。「死んだサンマ・200円」ではちょっと買いづらい。いやもうすこし現実を言うと「殺したサンマ」か。こうなると商売としてはアウト。

アジアの市場の鮮魚店や生肉店を歩けば、ついさっきまで生きていたその姿、血や体液の匂いまた腐敗が始まりだす死の匂い。アジアの市場は五感で命が感じられる。

スーパー鮮魚売り場に並ぶ命の対価はその魚には支払われない。本当はまだ生きることの出来たその命にできることは、その魚に対する感謝以外にはない。合掌。命をいただきます。

ルアンパバーン朝市。

 

豚などの生肉店。

竹で縛られた食用カニ

早朝、川で網にかかったエイ

昨晩から早朝にかけてメコン川で捕まえられた大ナマズ

森で人間に捕まえられた生きた食材としての小動物(ペット用ではない)

メコン川で人間に捕まり仲間と数日、生簀で飼われた後、まとまった数になったので出荷された生きたカニ(食用)

 

 


ルアン・パバーンの托鉢


ラオスの古都ルアン・パバーンは昔のままの町並みを残している。アジア内陸部のこの街はメコン川中流沿いの街ではあるが急流で海からの物資輸送がもともと困難で、フランスの植民地時代にも大きなインフラ整備もおこなわれず、しかも独立後は社会主義国家であったため開発からは縁遠かったことが要因である。

現在街自体がユネスコ登録の保護対象下にあり、街は3階建てのビルが1件だけ(ユネスコ登録前に建設)であり新しく建物を作るにはユネスコの厳しい審査が待っている。街はコンビニもなくファストフード店もない。朝は6時には街が開き夜7時には真っ暗になる本来の普通の人間の生活が保たれている。その朝一番におこなわれるのが僧侶への供養である。

ルアン・パバーンのメインストリートには毎朝各寺院から約200名ほどの僧侶と見習いの子供僧が集まり一列になって托鉢をしていく。それに会うために世界から多くの観光客が集まる。もちろん東南アジアすべての朝は各地で同じような托鉢がおこなわれているが観光化しているのはこの街だけだろう。

もちろん観光化しているのは在家側の話でお坊さんは戒律をしっかり守り托鉢修行されている。各寺院やグループごとに先頭には住職やリーダーが数名歩き、あとは出家した順に見習いの未成年僧侶が歩いていく。観光に来た人は托鉢供養のもち米など入手ができないため、托鉢専門の物売りから供養の品を買い供養していく。こうなるとビジネスの世界だから供養の品の相場を知らない外国人から多少?の上乗せをして儲けようとする人もいるわけでガイドブックやガイドからは注意喚起を耳にする。とはいえ観光客も多少高くてもせっかく来たんだから彼らから購入し供養する。そしてその数が半端ではない。観光シーズンになると何百人の観光客からの供養がある。托鉢される僧侶も托鉢の鉢なんて数十メートル歩けば鉢がいっぱいになり入らなくなる。そのため数十メートルおきにバケツを置いて鉢の中身を入れる場所が用意されている。せっかくの供養を捨てているように見えるがあとで各お寺に振り分けて持って帰る。またその一部は貧しい家庭にも施されるそうだ。

なにはともあれ、僧侶には多くの供養が施され、金持ちの観光客よりお金がラオス人にまわり、また一部は貧しい人にも施されていくシステムである。しかも仏縁のなかった西洋人には仏縁がつながる。

現在ラオスはニューヨーク・タイムズの世界で最もいきたい国ランキング1位である。しかし必ず近代化されるのでこの数年が山だと思う。

ルアン・パバーンの町並み。ビルなど一切ない

先頭の指導者の僧侶、供養するのは観光客

ルアン・パバーンの托鉢

見習い僧。サーマネーラ。バケツはいっぱいになった施しを入れるバケツ。少年僧は多少選り好みしていらないものを入れている感じ。

托鉢の様子、しっかり作法通り裸足である。

供養の品の補充。托鉢専門業者より

捨てているのではありません。あとでお寺に持っていきます。

ところどころに現地人の供養も見られる


佐々井秀嶺師来高


2017年6月21日高知県の山間部土佐町において佐々井秀嶺師の講演会が開かれた。ご縁は高知在住の写真家の方がインドで取材されたことがきっかけでこの運びとなったとのこと。

日本寺駐在以来19年ぶりにお会いするお姿はさすが82歳の高齢ではあったが、講演は非常にパワフルで当時と変わらず情熱的であった。現在インドでは一年に50万人ちかい仏教への改宗者がおりその頂点に立つのが師である。彼らはカーストの底辺で差別に苦しみカーストの根源であるヒンドゥー教から完全平等の仏教への改宗者である。師はインドに渡り彼らとともに仏教興隆活動を50年行っている。

この活動によりかつてインドの仏教徒は人口の0.8%というデータがあったが今や1億人つまり8%になったという話もある。近年実際にインドを歩いてみると彼らのグループのインド人僧侶や仏跡参拝する在家団体を頻繁に目にすることがあった。

師の信念は人の悲しみや苦しみと共に歩む菩薩道である。

高知市から1時間の山間部、土佐町の会場

200人以上の方が集まった

佐々井秀嶺師。

2017年5月の釈迦誕生聖地ルンビニで参拝する佐々井師のグループ。


カトマンズ近郊チベット村の絨毯工場


ネパール、カトマンズのパタン地区近郊にチベット人が多く住むエリアがある。主な産業の一つにチベット絨毯があり幾つかの工場がある。そのうちの一つを訪問した。

チベット亡命政府のあるダラムサラでもたくさんのこのような工場があり全て伝統的な手作りで作られている。その工程たるや例えば畳一畳分を作るのに数ヶ月を要し、また製品自体も非常にクオリティーが高い。日本にもこれを輸入して扱う業者は多い。使えば使うほど光沢が増し、新品よりも使い込まれたアンティークの値打ちが高い。

さてこのエリアもカトマンズ地震で大きく傷つき更地になってその後手をつけられない箇所も多い。工場ではチベット人のおばさんが十数人黙々と絨毯を作る。今は全く機械化されていないがそのうち一部は機械化が進むのかもと思いつつ見学。

しかしいつもチベット人は笑顔を見せれば100%笑顔が返ってくる。本当に気持ちが良い。ネパール人も比較的笑顔を見せるが、インドではあまり見られない。

絨毯の倉庫には大量の絨毯が大小様々なサイズが販売され事務所を訪ねると世界中のバイヤーの名刺がずらり。倉庫には祭壇がありダライ・ラマ法王の写真が置かれていた。事務員のおばさんはインドで法王と撮ったツーショット写真を自慢げに見せてくれた。法王はネパールには長い間お出ででないそうだ。

質素な工場にたくさんの織り機がある

絨毯工場兼販売所入り口

絨毯をつくる方々

チベット人の主な産業でもある

各種デザインの絨毯

店内には法王の祭壇。

大小サイズの絨毯

人気の虎柄、工場、職人によりデザインは変わる。