ザ、テレビジョン


毎日テレビを見る。主にニュース。ネットなどでは数時間置きにネットニュースアプリを開く。世界はどうなるのか!こうなければ!いやになるがやめられない。

時折テレビを一切見ないという方がいる。その中には新聞も見ない人がいる。ビール飲みで有名なアウトドア作家がこのような生活を東京でしていて全く問題ないというエッセイを最近読んだ。わかるわかるおっしゃる通り。

私はインド駐在中お寺でテレビを見なかった。従業員用のテレビが一台あったが僧坊とは離れており煩わしく見に行かなかった。当時はインターネットもお寺にはない時代で2、3週間遅れで日本の新聞がOCSで郵送されるサービスをお寺が契約していたがまともに見たのは始めのうちだけだった。短波ラジオのNHKを聞くのも電波状況が日々左右されたので面倒になり聞かなくなった。そのうち日本で何がおこっているのか関心がなくなった。ニュースが分からないことにより私の生活は問題はなく安穏であった。

日本に帰国した日。久々に日本のテレビ番組を見た。流行の音楽などは全く分からない。インドと違い言葉は100%分かるが所々流れる情報のつながりがさっぱりわからない。すごい!いつも見流すコマーシャルなんか全部違う。食いるように深夜までテレビを見た。翌日目玉が痛くてテレビが見れなかった。

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ブッダガヤ大菩提寺


ブッダガヤ大塔は高さ52m大菩提寺(マハボディーテンプル)通称メインテンプルと呼ばれる。釈迦成道の地であり仏教徒最高の聖地でありユネスコ世界遺産でもある。この大塔の裏には金剛座と呼ばれるまさに悟りを開いた場所を記念する一畳ほどの石盤がある。ここを中心として各菩薩の供養塔やストゥーパ(お墓)が点在する公園のようになっている。隣接地には人工池や瞑想公園などがある。多くの僧侶や信者の祈りと修行や憩いの場である。

私はほぼ毎日夜6時すぎにお寺を出て7時からの大塔のお勤めに参加した。お寺に着くとまずお堂一階本堂で正面のパーラー朝時代の釈迦像にお参りする。次に外に出てお堂の周りを3回周り、裏の金剛座敷地へ入って金剛座に額を当ててお参りをする。ちょうど時間は7時前になりお堂の2階に上がる。2階は2つの部屋に分かれており入ってすぐはチベット仏教の一切経が壁一面に奉納されている3畳ほどの部屋。その奥に6畳ほどの1階と同じように正面に仏像のある本堂になっている。パーリー語のお経は7時から始まる。(パーリー語のお経とは上座部仏教で称えられるインドの古い時代の言葉による最古のお経。日本仏教も場合によって最初の部分だけ称える)この夜のお経はマイクでムスリムのアザーンのようにブッダガヤ中にスピーカーで放送される。お経は約20分ほどで参加するのはスリランカ、タイ、インドの上座部僧侶が20人ほどで、その中に私やチベット僧侶が数人混ざる。私は始め全くパーリーのお経は称えれないので英語のお経の本をもらいアルファベットで読んだがアルファベットでは表現しきれない発音も多く、結局カセットに録音してカタカナで経本を自分で作って読んだが、耳が出来てくると以前聞こえなかった発音が分かるようになり何度も上書き校正した。そのうち軽く暗唱できるようになりうれしかった。お経が終わり本堂の外でおしゃべりタイム。お互いの共通語は英語とヒンディー語。といっても外国人僧侶はみんな上手にはしゃべれない人も多く身振り手ぶり。まあ内容が簡単なので問題はなかった。

昼間も時々訪れた。瞑想したり観光客を眺めたり菩提樹の種を集めてみたりとゆっくりした時間が流れ、この聖地でこんな時間が持てるありがたさを噛みしめていた。ある日団体参拝の多い時期、ベンガル地方から白装束を着て参拝団体する人の多い時期、その中のお爺さんが大塔を周りにある大回廊で倒れているのを見つけた。普通に参拝していて何かしら脳卒中的なもので倒れたような状況だった。そのお爺さんの子供らしいおじさんは泣き、幾人かの僧侶、大塔の警備員が周りを静かに囲んでいた。大丈夫かと声をかけたが周りの皆は首を振って、もう無理だという。お爺さんは今往生するという瞬間であった。ベナレスでのヒンドゥー教徒が死を待つことは宗教的で有名な話だが、このブッダガヤで死を待つということはない。これは単なる偶然にすぎない。日本なら即救急車で大騒ぎなのだろうが、それをみんな当たり前のように受け入れることに大変なショックを受けた。お爺さんの周りの人は本当に静かにおじさんの呼吸が止まるのを見ていた。帰り道、動悸と涙が止まらない。何日もその光景が頭から離れなかった。こんな死が出来る世界をうらやましいと思った。

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大塔本堂1階

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夜の大塔

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各国僧侶。それぞれお参りにちがいあり興味津々。

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インド人僧侶のおしゃべりタイム

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ビルマ人僧侶の瞑想

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ブッダガヤ大塔・後ろにある菩提樹

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悟りの地、金剛座はこの格子の中にある。今は触ることも出来ない。


サンガダーナ


駐在僧の大切な法務として時々各国寺院主催や団体参拝者主催による「サンガダーナ」が行われた。ようは法事である。お釈迦様の誕生などの記念日(各国に日にちのちがいがある)やスリランカなどの参拝団体が法事をおこなうのだ。時間は決まっていて11時から開始。約30分のお経があり始め上座部のパーリー語のお経、そして大乗仏教であるチベット僧によるお経。たまに般若心経がリクエストされることあった。その後すぐに食事が運ばれ30分以内に終了し布施を受け取り正午までには終了となる。僧侶の食事終了を確認して信者さんが食事を食べ始める。上座部仏教僧侶は食事は午前中にしか食べれないという戒律があるためこの時間となる。

日本寺は年間、お釈迦様の花祭り(誕生)、成道会(さとりを開いた日)、涅槃会(亡くなった日)の3回行った。ブッダガヤ全体でいうとスリランカ人団体主催によるものが最も多く、次にタイ人やチベット寺院によるもの。食事は各国の特徴が出ることが多かった。ベトナム寺はベトナム料理。スリランカはスリランカ料理。台湾は台湾料理。しかしチベット寺院や日本寺はインド料理を出していた。ちなみにスリランカの上座部仏教系は魚カレーがたまに出た。私たち大乗仏教系(特に中国から日本)は精進料理が多いが上座部仏教に肉食を禁じる戒律はない。布施された食事はすべていただく。

私はお布施に上座部の黄色いお袈裟がいただけるのがうれしく、毎回楽しみにしていた。この袈裟もお国柄が出ていてスリランカは綿100%のもので洗うとごわつくが使い込むといい感じになる。タイ製はナイロンが少し入るものもあり肌触りはいいが日本人にはありふれた生地なのでわたしは好きではなかった。またビルマは色が赤っぽくかっこ良かった。タイ仏教の布施から茶色の袈裟もごくたまにありこれも上品だった。浄土真宗以外の宗派は如法衣(にょほうえ)というまさに上座部僧侶のようなマントのような袈裟をつかうので、みんなもらった袈裟を改良して使っていたが私は正式には使えないので、この生地をつかって浄土真宗の輪袈裟や五条袈裟をテーラー(仕立て屋)に作ってもらった。仕立て代は300円から500円少々。日本では考えられない価格である。

お布施はお袈裟以外は主にお菓子や石けん、簡単な薬と現金であった。ちなみにタイに行けばこの布施セットが普通にスーパーマーケットなどでも売られている。タイ人からタイ製の壊れない懐中電灯などよく質の高い物品を布施してくれありがたかった。

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日本寺の法要でお布施を渡しているのは、当時のマハボディーソサエティー(スリランカ寺)の住職ビマラサーラ師。ブダガヤ隣山会の会長でもあった。

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スリランカ寺にて僧侶にお布施を渡すスリランカ人信者。

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いただいた布施。カゼ薬や紅茶、石けん、タイガーバームとお袈裟。

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日本寺成道会のサンガダーナ

 


托鉢


入山約2ヶ月後安居明けのタイ寺で托鉢セレモニーがおこなわれ招待された。安居(あんごう)とは雨期に植物や昆虫がたくさん生まれてくるのを歩くことにより踏み殺すことを防ぐため部屋に長期間籠もり勉強することをいう。実際にインドを経験するとこの時期豪雨などで移動は困難になる。気候的にも動きようがない季節なのだ。浄土真宗にもこの名残があり学者僧侶はいまでもこの期間、西本願寺にこもる。

この缶詰状態から解放されるとき、「安居明け」という大掛かりな法要がテーラワーダ仏教圏(東南アジアの黄色の袈裟をきた一般に「小乗仏教」といわれる宗派、上座部仏教)では行われる。大きい法要が行われタイやスリランカも大掛かりな国民行事となる。

この法要はタイ寺でタイからの参拝者やインドの信者さんが集まりブダガヤ在住の僧侶が托鉢が受けられるというのであった。私たちは徒歩5分ほどのタイ寺に向かった。タイの托鉢は裸足が正式で5メートルほどの距離をあける。「群れない」という仏教の大きな特徴である。ちなみにキリスト教は必ず2名で布教は行われる。

タイ寺には布施をする長い列が出来ていた。ちょうどこの時期、ブッダガヤ大塔で一人の若いタイ人僧侶と友達になった。短期間タイ寺に派遣されたらしい、いつもカメラを持った温和な方であれこれ話した。彼は主催者側で布施をする側にいた。お坊さんは列になって托鉢の鉢に布施を受けていた。カレー、ご飯、お菓子、お金(コイン)。すべて鉢の中に入れる。気の利いた方は小さいビニールに食べ物を分けて入れて他のものと混ざらないようにして入れてくれるが、なかにはそのまんまカレーを入れる人も。そして小銭を入れる人もいる。カレーのなかに小銭を入れる訳だから少々びっくりした。この小銭を布施するのが例の写真好きのお坊さんだった。これはと思い鉢を持っている手のところにそのコインを持ってくるように目で誘導した。托鉢中は絶対しゃべってはならず目もあわしてはならないしかも現金を直接触れてはいけない決まりがある。ちょっと反則だが相手もお坊さん。ことを知ってなんとか鉢には入れず鉢を持つ手にコインを挟みカレーの中に入るの防いだ。ただなにかしら不敏なことをしているような気がして反省した。古参の要領のわかったお坊さんはすべては廻らず、タイ人などお金持ちの列などいいとこだけ廻ってさっさと布施を受けていた。少々ショッキングであった。

お寺に帰って鉢の中のものはすべていただく。普通に美味しかった。

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裸足でタイ寺に向かう

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足が痛くてうわのそら

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当時主任だったM師。上座部仏教の日本人僧侶。


印度山日本寺


私が駐在僧であったインドのお寺は印度山日本寺(いんどさんにっぽんじ)というブッダガヤの超宗派の日本寺院である。本部は東京目黒にある(財)国際仏教興隆協会という団体で1968年に認可されインドのお寺は1973年に開山した。

日本寺は寺院活動は日本仏教興隆、「隣山会」というブッダガヤの主な寺院によるブッダガヤ護持活動、(社)全日本仏教婦人連盟の「光明施療院」という西洋医学施療病院、(社)日本仏教保育協会による「菩提樹学園」という無料の日本仏教系幼稚園、そして全インド仏教学者による「国際仏教徒結集」という仏教研究発表会また日本人団体参拝者への宿泊施設も運営されていた。ブッダガヤには世界各国特にアジアの各国や宗派の寺院があり当時は30以上の寺院があった。現在は世界中の新宗教、個人寺院など増えすぎて数はわからない。

当時は朝は5時から朝勤おつとめその後座禅(メディテーション)。幼稚園も朝早くから多くの子供の世話をしている。病院は開門と同時にいつも200人以上の患者がならぶ。僧侶は近隣の寺院の法要出勤、日本人参拝者への対応が主な仕事。夕方5時におつとめ。私はその後ブッダガヤ大塔にいき参拝するのが日課であった。朝に大塔に行く駐在僧もいる。

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日本寺本堂。日本瓦を葺いた1999年頃の写真

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日本寺パンフレット。


聖地の治安


インドに赴任するためカルカッタ(現コルカタ)の空港に降り立った。イミグレーションで緊張しながら入国審査に並んでいると日本人に尋ね人のチラシを渡された。聞くとインドで行方不明になった19歳の子供を捜しに来た家族だった。まだ入国もしてないのにいきなりこれか!

インドは治安はいいのか?基本的には問題ないと思うが場所や時間帯によっては非常に危ない。当時ブッダガヤ付近に限って言えばまず夜間は強盗「ダコイット」が出た。約12キロ離れた国鉄駅のあるガヤという街がブッダガヤへの玄関口になるのだが、その道中でオートリキシャ(小型タクシー)が襲われた話はよく聞いた。一人で夜間移動中に日本人の女性が暴行される事件も起きている。また昼間であってもラジギールという車で3時間ほど離れた聖地の間は観光バスが襲われることもあり、私も実際に仏教青年会の団体旅行で警察官を傭って移動したこともある。駐在中あまり人気のない準聖地的なところに行ったことをすでに帰国された大先輩に話したら、危険すぎるとこっぴどく怒られたこともあった。場所によってはほんとに危ない。

このダコイットとは別に1998年にインド毛沢東主義共産党集団のマオイストがビハール州で大暴れしておりブッダガヤのお寺が狙われた。小規模寺院の多くは襲われ足を撃たれたチベット僧もいた。日本寺の隣の国立ブータン寺が襲われた時は明日は我が身かと血の気が引いた。本当に血の気が引く時は足に血が集まったようになり、まるで鉛のように足が重くなった。最終的には警察部隊と彼らが真っ昼間に銃撃戦までしていた。結局日本寺は襲われることはなく静かになって行った。話によると日本寺は無料で幼稚園や病院をしているのでその貢献が認められていたのではないかということだった。

以前から日本寺従業員が自宅を襲われて財産を持って行かれたこともあった。当時のブッダガヤの政府の宿泊施設の館長はなんと誘拐されて1カ月解放されるまで一緒に生活していたという。強盗や誘拐は忘れた頃に聞くインドの暗い部分である。

現在はかなり治安はよくなったというが、私は今でもインドの夜間移動とバスの団体移動は怖い。

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インド団体旅行で警備をお願いした警察官。ブッダガヤ、ラジギールなどの要所を離れた場所に行く場合、ビハール州では決して大げさではない。

 


仏足石あれこれ


ブッダガヤみやげで思いつくのは菩提樹数珠、菩提樹の葉っぱ、仏足石拓本ではないかと思う。数珠と葉っぱはまた次の機会か紹介するとして今回は仏足石拓本。ブッダガヤにいけば必ずこれを売りつけられる。もともと仏教が出来て500年ほどは仏像を作ることはなく仏の象徴としてこの仏足石や菩提樹が礼拝の対象であった。お釈迦様が悟りを開かれた金剛座という場所の横に2つの紀元前に作られた仏足石がある。これを拓本したものが仏足石拓本なのである。このお土産すべて偽物。かつてはいくらでも拓本で来た時代があるが今はケースにより厳重に守られているため仏足石の実物は触ることすらできない。土産物屋は夜こっそりいって取ってきますといいとんでもない金額を吹っかけられるがそれは本当にできない。石職人にそれっぽく仏足石を作らしてそれを拓本したものを持ってくる。石の割れ方なんかもまねしているがオリジナルとはまったくちがう。いろんなお寺でこの本物と思って完全なるコピー品に高価な表装をして飾っているものを見ることがある。なにせ今はその仏足石本体の複製が売られる時代だ。

現在歴史ある仏足石拓本ができるのはブダガヤをおさめていたマハラジャのマハンタ邸にある仏足石からの拓本からだ。ただ普通には売っていないのでブッダガヤ地元の土産物屋などを通しての入手となる。

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金剛座の横にある仏足石。ケース内にあるため拓本はできない。

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同じく両足のある仏足石。なぜかこれの拓本は少ない。

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よく仏足石と間違われる大塔の入り口付近の足形。ヒンドゥー教の仏足石。

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マハンタ邸仏足石

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マハンタ邸仏足石

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拓本が出来た時代の実物。

 


日本寺での勤行


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勤行本の一部

お坊さんはみんな般若心経を称えると思う方もいると思うが浄土真宗はこれを勤めない。私のいた日本寺は超宗派のお寺だからそこで勤められるお経はだいたいすべての宗派で勤められる無難なお経によって構成されていた。勤められるお経はまず香偈などいくつかの偈文があり般若心経と観音経がメインでその後舎利礼文、回向の偈文が称えられた(お経の構成には約束事があって食事でいう前菜、メインディッシュ、デザートのような決まり事がある)が、日本仏教で絶対他力という他の宗派にはない教学の浄土真宗では称えないお経が多く苦労した。朝5時と夕方5時の毎日勤めるから入山2ヶ月くらいでなんとかついて行けるようになったが導師(平たく言うとメインボーカル)を勤めることは出来なかった。1年ほどして駐在僧が私しかいない期間がありこの時は間違えやしないかと緊張した。何事も続ければ出来るもので最後はだいたい暗唱できるようになった。ところが帰国したら超宗派の高知県仏教青年会などで般若心経を使うくらいでその他の経は全く使わないのでほぼ忘れてしまった。

先日京都清水寺で千日詣りのご縁に会った。本堂でお参りしているとお経が聞こえて来た。瞬間お経の声がコンセントのように私の脳につながった。あっ!観音経だ!日本寺のお勤めがよみがえり思わず手を合わした。例えば高知の人が東京の街度の雑踏でどこからともなく聞こえてきた土佐弁がシャープに耳に入ってくるように、日本寺の縁がなければスルーするはずの観音経がわかることがなにげにありがたかった。

念彼観音力。

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日本寺内陣

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こちらでお勤め

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ぼったくりしないインド人


 

インド人はすぐぼったくって信用ならん。インドを旅行する人に取って100%立ち向かう難題である。特に交通機関、タクシー系交渉は確実に旅行者のストレスとなる。日本のような料金メーターはない。インドの田舎の主流はサイクルリキシャ。自転車を改造した人力車。聖地ブダガヤも数多くのサイクルリキシャが走っている。

ブダガヤは観光地。必ずぼってくる。駐在したての頃これに悩まされた。駐在していた日本寺からブッダガヤ大塔まで、人によってはこの約2キロを100rs、300円(当時レート)という。インド人の平均月給を考えても高すぎる。1ヶ月ほどしてブッダガヤの人にも顔を覚えてもらい結局基本は5RSつまり15円。あるとき自信に満ちた顔をしているおじさんのリキシャに乗った。3RSと言った。地元価格である。本人から言った値段で交渉はしていなかった。それから帰国するまで。彼は私の専属になった。大塔のリキシャ乗り場には通常20台以上のリキシャが客待ちをしており、客が来るとそれはそれは入り乱れての客争奪戦となる。私たちは目をあわすやいなやその混乱を無視し颯爽と乗り込でいた。周りのリキシャマン(リキシャ運転手)からは閃光のまなざしである。仲間から「どうしてお前のにだけ乗るのだ!」彼は「いつもだよ」か「専属だよ」みたいなことを言っていた。これがほぼ毎日続いた。

帰国しすでに十数年以上。今も私は彼のリキシャがいれば颯爽と乗り込む。会話はない。お互いニヤリと笑うくらい。心でわかる。ほんと最近インドに行ったとき始めて名前を聞いた。日本語で「美しい人」という意味であった。なぜ今まで聞かなかったか。お互いそのような会話はなかった。不思議だ。出入りの激しいリキシャマンの中では超古株である。彼はまじめにぼりもせずきっちり自分の仕事を行っている。顧客も地元では実に多い。

今も阿吽の呼吸で日本から数年に一度の私をのせてくれる。ジャリジャリという警告音の鈴の中、野焼きや排気ガスのにおいを嗅ぎながらリキシャはゆっくりゆっくり進む。もちろん今は3RSなんて野暮な金額は払いません。

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