ブッダガヤ大菩提寺


ブッダガヤ大塔は高さ52m大菩提寺(マハボディーテンプル)通称メインテンプルと呼ばれる。釈迦成道の地であり仏教徒最高の聖地でありユネスコ世界遺産でもある。この大塔の裏には金剛座と呼ばれるまさに悟りを開いた場所を記念する一畳ほどの石盤がある。ここを中心として各菩薩の供養塔やストゥーパ(お墓)が点在する公園のようになっている。隣接地には人工池や瞑想公園などがある。多くの僧侶や信者の祈りと修行や憩いの場である。

私はほぼ毎日夜6時すぎにお寺を出て7時からの大塔のお勤めに参加した。お寺に着くとまずお堂一階本堂で正面のパーラー朝時代の釈迦像にお参りする。次に外に出てお堂の周りを3回周り、裏の金剛座敷地へ入って金剛座に額を当ててお参りをする。ちょうど時間は7時前になりお堂の2階に上がる。2階は2つの部屋に分かれており入ってすぐはチベット仏教の一切経が壁一面に奉納されている3畳ほどの部屋。その奥に6畳ほどの1階と同じように正面に仏像のある本堂になっている。パーリー語のお経は7時から始まる。(パーリー語のお経とは上座部仏教で称えられるインドの古い時代の言葉による最古のお経。日本仏教も場合によって最初の部分だけ称える)この夜のお経はマイクでムスリムのアザーンのようにブッダガヤ中にスピーカーで放送される。お経は約20分ほどで参加するのはスリランカ、タイ、インドの上座部僧侶が20人ほどで、その中に私やチベット僧侶が数人混ざる。私は始め全くパーリーのお経は称えれないので英語のお経の本をもらいアルファベットで読んだがアルファベットでは表現しきれない発音も多く、結局カセットに録音してカタカナで経本を自分で作って読んだが、耳が出来てくると以前聞こえなかった発音が分かるようになり何度も上書き校正した。そのうち軽く暗唱できるようになりうれしかった。お経が終わり本堂の外でおしゃべりタイム。お互いの共通語は英語とヒンディー語。といっても外国人僧侶はみんな上手にはしゃべれない人も多く身振り手ぶり。まあ内容が簡単なので問題はなかった。

昼間も時々訪れた。瞑想したり観光客を眺めたり菩提樹の種を集めてみたりとゆっくりした時間が流れ、この聖地でこんな時間が持てるありがたさを噛みしめていた。ある日団体参拝の多い時期、ベンガル地方から白装束を着て参拝団体する人の多い時期、その中のお爺さんが大塔を周りにある大回廊で倒れているのを見つけた。普通に参拝していて何かしら脳卒中的なもので倒れたような状況だった。そのお爺さんの子供らしいおじさんは泣き、幾人かの僧侶、大塔の警備員が周りを静かに囲んでいた。大丈夫かと声をかけたが周りの皆は首を振って、もう無理だという。お爺さんは今往生するという瞬間であった。ベナレスでのヒンドゥー教徒が死を待つことは宗教的で有名な話だが、このブッダガヤで死を待つということはない。これは単なる偶然にすぎない。日本なら即救急車で大騒ぎなのだろうが、それをみんな当たり前のように受け入れることに大変なショックを受けた。お爺さんの周りの人は本当に静かにおじさんの呼吸が止まるのを見ていた。帰り道、動悸と涙が止まらない。何日もその光景が頭から離れなかった。こんな死が出来る世界をうらやましいと思った。

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大塔本堂1階

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夜の大塔

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各国僧侶。それぞれお参りにちがいあり興味津々。

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インド人僧侶のおしゃべりタイム

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ビルマ人僧侶の瞑想

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ブッダガヤ大塔・後ろにある菩提樹

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悟りの地、金剛座はこの格子の中にある。今は触ることも出来ない。