蚊取り線香


日本の蚊取り線香は蚊の多いインド旅行には欠かせない。生まれて初めてインドに行った時もガイドブックの旅行必需品リストで最も重宝した。(同宿の日本人にも分けてほしいとのリクエストがあったほど)なぜならインドにもインド製蚊取り線香はあるが効かない。効きが弱く朝起きたら何箇所か噛まれていることが多い。(電気式の強いものもあったが停電が多くあてにならない上、人間の体にも悪そうな薬品の匂いがする)インド蚊取りは殺生を嫌うから完全に殺さないのだというのを某旅行記で読んだし、インド人からも聞いた。いやいや要は製造技術の問題・・・ものは言いようである、さすがインド!

通常の大手会社のインドツアーに組み込まれるホテルならあまり蚊は気にすることはないが、安宿に泊まるなら必ず持っていきたい必需品である。私は必ず今でも日本の蚊取り線香は持ってインドに行く。蚊に刺されるとデング熱やマラリアなどなど怖い落とし穴もある。まあかゆいのが一番いやだけど。

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駐在僧部屋。後ろの窓の網戸が貼ってあるが、窓を開ける棒を通すための大き穴が開いており、そこから蚊が普通に入ってきた。意味がない網戸だったが先輩はみんな我慢していたことになる。この写真はそれを直した直後の写真。

 


不思議な50Rs札


インドのお金の単位はルピーでその下がパイサ。円と銭の違いと同じ。コインは1パイサから50パイサまで数種類(1、2、5、10、20、25、1/4Rs、50、1/2Rs)で未だに英国時代のものも流通しているようでたまに見ることができた。ルピーはコインとお札で1、2、5Rsは両方存在し、そこからは10、20、50、100、500Rsはお札になった。当時は500Rsが最高額札で滅多に見ることのないお札だったが今は1000Rsまである。昨年2014年3月31日からインドの地下経済で動いているお金をあぶり出すとのことで額面下にある発行年の印刷されていない古いもの(2005までは発行年は印刷されていなかった)は回収交換となり7月より交換両替の手続きが面倒になるとの記事を読んだ。

えらい急な話でそんなこと12億人もいるのに数ヶ月で本当にできるのかと思うがインドのお金事情は結構適当である。下に出した50Rs札だが裏面の国会議事堂の屋根に国旗があるものと国旗がないものがある。もちろん偽札ではない。ほんの一時期発行された非常に珍しい物でインドの国旗をよく思っていない政治家や役人の遊び心だとか噂されるが通常こっちを回収・・というか発行段階で問題になると思うのだが。

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上から1Rs2Rsと問題の50Rsと通常の50Rs

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上のには旗がない。下が通常の旗のあるお札

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旗が無い・・

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通常盤

 


南インド旅行


98年バンガロールに出張した時、少し暇をもらって、その足でケラーラ州というインドの一番南の州に行った。ここにはコモリン岬というインド洋、太平洋が交わるヒンズー教の聖地がある。またバックウォーターという内陸まで海が入り込んだ独特な地形を見ることができ、南インドの美しい観光地写真によく出てくる。

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バンガロール

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コーバラムビーチ

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インド最南端コモリン岬

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コーバラムビーチ灯台

バンガロールでの仕事も終わり同期Y師とケラーラ州首都トリヴァンドラムへ飛行機で到着した。北インドと違い言葉や文字はまったく別物で服装や人の顔も違っていた。まるで違う国に来たようだ。バスで1時間ほどのコーバラムビーチという海岸で短期間滞在することとなった。ビーチといっても娯楽があるわけでなく海岸でゆっくりするか海水浴をするくらいで、あとはビーチ沿いに建つレストランや喫茶で近くの貸本屋から数少ない日本語の本を借りて読んだり、お土産屋をひやかすようなところだった。ここを起点にローカルバスでトリヴァンドラム市内観光にいったり、コモリン岬やクイロンという町へ行きバックウォーターの乗り合い大型ボート(バスに相当する)に乗った。2時間1周回で6Rs、15円くらいでバックウォーター湾内を一周した時は時間の流れやヤシの木の景色などが素晴らしく本当に美しいと思った。写真を撮るのも忘れた。クイロンのバックウォーターはもう一度ゆっくり行きたいオススメの場所。

 


サーマネーラ、ケイトゥ。


ブッダガヤに赴任して間もない頃、3人の少年僧侶と友人になった。インドとバングラディシュ国境付近にいる仏教徒チャクマ族のサーマネーラ(子供見習い僧侶)である。ブッダガヤにはこのチャクマ僧侶はぼつぼついて、ブッダガヤのアイドル的存在の老僧「チャクマ・バンテー」(チャクマのお坊さん)のお寺に彼らは住んでいた。

大塔などでよく3人で話をしていたがいつの間にかケイトゥという15歳 の子以外は還俗したり、故郷に帰った。彼は情熱的で立派な僧侶になるために頑張っていた。英語力も初めはさっぱりだったがすぐに追い抜かれて追いつけないくらいに勉強していた。いつもニコニコして話す中に時折鋭い眼光でチャクマ族の置かれた環境(国境問題で強制分離された民族でもあり、またキリスト教徒も多い地区なので宗教問題も多い)や仏教の話した。もっといいお寺にと私立のタイ寺に入門し、そのうちボンベイ郊外の仏教徒の多いタネ地区のお寺に行ってしまった。バンガロール出張のときボンベイに立ち寄った際、彼の住所を訪ねた。彼は研修のためいなかったが寺を守る人に聞くとこの周りは仏教徒が人口の25%もいるとのこと。寺は非常に質素で備品、仏具もほとんど無い状態だがみんな頑張って仏教が徐々に広まっていることに感動した。時々彼らは元気だろうかと思いだす。

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ブッダガヤの金剛坐前で。中心がケイトゥ。

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日本寺にて

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老僧がチャクマ・バンテー、横はケイテゥ

 

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ムンバイ郊外タネ地区のお寺

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寺の中。仏教徒インド人とチャクマ族の少年もいた。アンベドカル博士の遺影がインドのお寺らしい。

 


クシナガラの龍


98年アメリカから高校同期の浄土真宗開教使(海外に浄土真宗を布教する専門の僧侶。特に日系移民社会では浄土真宗はメジャー宗派である)のT師がインド聖地巡礼に尋ねてきた。一緒にお釈迦様の誕生から亡くなるまでの聖地を7日ほどかけて巡礼した。お釈迦様が亡くなった地クシナガラでツーリストホテルに宿泊した。暑い時期でエアコンルームを頼んだが深夜、大元の電源を切られてエアコンが全く使えない。エアコンルームを頼んだ意味がないがインドではよくあること。仕方なく暑さを紛らわすためベランダに出たら雲の中に稲妻が走っていた。地上に落ちる一般の稲妻ではなく雲の中を稲妻が走る。「龍だ!」この時はああ昔の人はこれを見て「龍」と思っていたのだなというよりも「あっ龍!」と本気で思うくらいの迫力があった。日本でも雲の中を走る稲妻はたまに見ることができるがインドのそれは全く迫力ちがう。

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クシナガラ深夜、雲の中を走る龍

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クシナガラの涅槃像

 


あなたの宗教は何ですか?


インドを旅した時、お坊さんの法衣ではない時よく初対面で聞かれたのは「あなたの宗教は何ですか」という質問であった。それも重い質問ではなく、仕事は何しているの?クラスのフランクな会話レベルである。

日本ではまず初対面では話すことがない会話であろう。僧侶ということをわかっている場合には私はどこどこの寺の檀家だとか、うちも浄土真宗ですとかは聞くことはあるがあまり話さない会話だと思う。むしろタブーっぽい感じがする。インドはヒンズー教、イスラム教、仏教、キリスト教などが混在し、これを聞かないと食事の制限やそれぞれの宗教の生活の規制など後でややこしくなる。男性のシーク教徒は独特なターバンを必ず巻くのでわりやすいが、ムスリム帽という帽子をかぶった男性イスラム教徒やひたいに赤いティラカやビンディー(女性)をつけたヒンズー教徒などあえてしている人は見た目でわかるが、身につけていない人も多く見た目では聞かないとわからない。

日本なら「無宗教です」と言っても普通なことであろうが、インドでは「無宗教」などというと大変で逆にややこしい人生論や宗教の質問や宗教の勧誘を受けると旅行者から聞いたことがある。こんなことを多く経験した慣れた日本人旅行者は「無宗教」でも「仏教徒」ですといって逆にスルーするそうだ。

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仏教徒の聖地インド・ブッダガヤ大塔


チャイ


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素焼きのカップ

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村のチャイ屋

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お菓子も売っている。必ず上の方をいただこう。下の方は下痢確率が高い

インドといえば「チャイ」。シナモンやマサラなどを少し入れて砂糖をたくさん入れる通常のミルクティーではないインドの紅茶である。インド人はこれを作る人をチャイワーラー(紅茶屋さん)と言い、彼らのいない場所はない。そういえば映画『スラムドック⭐︎ミリオネア』の主人公をチャイワーラーとクイズの司会役のアミダブ・バッチャンがいっていたのを思い出す。ホテルなら50Rs以上、飛行場なら20Rs、鉄道なら5Rs、村なら3Rsぐらいと値段は大きく変わるが確かなのは安いほど美味しいということだ。ホテルは綺麗な陶器のカップにいれられ砂糖は自分で入れる日本と同じミルクティー式。飛行機はかっこいいネスレなどの印刷した紙コップに機械から出るインスタントのチャイ。鉄道はヤカンに入れたものをペラペラのプラスチックコップに入れる自家製チャイ。村は土で作った素焼きコップ(日本人から見るとおちょこ)に注文を受けてから作る自家製チャイ。村のチャイはコップの素焼きの独特な土の匂いとともにいただくチャイはわたし的には世界一おいしい飲みものである。小さいグラスに入れたりするバージョンもあるが衛生的に見ても、土で作った小さい素焼きカップが一番好きで、通常は飲んだらそのまま割って捨てて自然に返す究極のエコカップだがもったいなくて形のいいものは持って帰る。

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このような鍋で作りヤカンで保管する

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できたチャイをヤカンに移す

さて本当の田舎に行くと牛乳がなかったりして紅茶茶葉だけのチャイが出ることがある。使用される最安値の茶葉から作るこのチャイはミルクはないがその甘み渋みなどは絶品でびっくりすることがある。

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シッキムの州立の紅茶屋。格安。

逆の最高級の話をするとやはりダージリンかシッキムの無農薬紅茶である。日本なら末端価格50g2000円以上するんではないだろうか。ダージリンには農薬を使う農園もあるそうで見極めは大切である。シッキム茶は州が管理し基本無農薬とのこと。個人の好みもあるがダージリン茶はあっさり都会的でシッキム茶は深い田舎的なのが私の味わい。どちらもすばらしい。


インドの飛行機、空港


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インディアンエアラインズ、ガヤ空港(ブッダガヤ近郊)

エアンディアですごいインド人を見た。音楽を聴くイヤホンを前の席の上部に引っ掛けて音の出る方を自分の方に向け、音を最大にしスピーカーのようにして音楽を聴いているターバンを巻いたインド人がいた。ターバンがあるからイヤホンを頭に付けれないのはわかるが他人の迷惑など考えていない。その上イヤホンながら結構大きい音が出ているので、となりの友人との会話も大声になり機内にそのインド人の大声と音楽が響き、インドに着く前からインドにいるようで思わず大爆笑してしまった。またインド人はゴミを飛行機でも床にそのまま捨てる。習慣だからしかたがない。また読んだ新聞もちゃんと畳まず床に置いたりするので、飛行機を降りる時そこら中ゴミがだらけでびっくりするし、ああインドにきたなあと実感する。キャビンアテンダントもかなり適当で離陸走行中に携帯で喋っている人がいても注意しない。飛行機自体も適当で着陸の勢いで上から酸素マスクが落ちてきたのも一度や二度ではない。インドにつく前からもうインド。しかしながらエアインディア機内食はしっかりしたインド料理で美味しく機内食の優秀賞も受賞している。

さてデリーなどの空港ではさすがにないがガヤ空港など地方空港では入国や税関で揉めたりすることもあるが、この地方空港のインド人係員の親切で、ある意味命拾い?をした。パトナ空港に到着し荷物待ちをしていたら係員がパスポートを高々と上げて、誰のだ誰のだと言っている。外国人らしい人で乗っていたのは私たち数人の日本人だったので誰だろうとパスポートを手に取るとなんと私のパスポート!座席と毛布の間に落ちていたという。2日ほどあまり寝てなかったのでボーとして、うっかりカバンから出して、入れ忘れていたようだ。他の係員も集まりだして、なぜ無条件で渡したのだ!みたいな面倒そうな話になりかけていので、やばいやばいサンキューサンキューで、すぐさまその場を離れたが、あの時の係員さん。あなたは極楽往生まちがいなし!もし彼が見つけてくれてなかったら想像するだけでゾッとする。日本ならこの程度の親切はよくある出来事だが、インドでは通常無くしたパスポートは99.9%出てこない・・と信じられているしかし・・・奥深しインド。なおこの日以来、命の次に大切なパスポートは移動中には必要以外絶対出さないようにしている。

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デリー空港チェックインカウンター

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ガヤ空港


菩提樹の葉っぱ


仏教徒にとって菩提樹は最も聖なる木である。なぜならこの木の下でお釈迦様が悟りを開かれたからである。お釈迦様滅後の約500年西洋文化の影響を受けたガンダーラ仏像が作られるまでお釈迦様像は形に表すことが不遜とされ偶像化されることはなかった。その代わり佛足石や菩提樹が礼拝の対象になっていた。特にブッダガヤの菩提樹はお釈迦様の正覚を開いたまさにその木である。ならばこの木は2500年以上の年輪が刻まれているかというとそうではなく仏教弾圧により長い間なくなっていた。1900年ごろブッダガヤ大塔が発掘され聖地として再機能してからスリランカにあった原木の3代目の孫の木からここに移されてきた菩提樹である。私が駐在していた頃は自由にこの木の幹に触ってお参りできたが、あんまりみんなが触るので木が弱ってしまい今は触れない。

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ブッダガヤの聖木・菩提樹

この木の葉っぱが仏教徒にとっては聖地ブッダガヤに来た記念品やお土産になる。先の数珠屋も数珠とともに「ハッパアルヨ!」「ホンモノハッパ!」とちょっとびっくりするセールストークをしてくる。噂ではかつて50年代の海外旅行が難しいころ旅慣れしていない日本人が100ドル札の価値がよくわからず菩提樹の葉っぱと交換していたという話がある。そんなこともあってか原価4Rsのブッダの絵の描いた葉っぱを100Rsで売ろうとする輩もいる。

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ブッダガヤで売られている加工された菩提樹の葉っぱ。因みにこれらは悟りの菩提樹のもではなくその辺の菩提樹の葉から加工。

さてこの菩提樹が日本で育つのか。ネットで見ると西日本や太平洋側日本各地でインド菩提樹がそこそこの大木になって育っている。私も悟りの菩提樹の種を持ち帰り育てて10年かけ育てやっと数メートルにまで育った。冬は大概大きい幹を残して枯れてまた枝が生えてくるのを繰り返す。先代住職が植木屋で見つけたインド菩提樹は20年以上かけてやっと8mほど育った。なお宗教色のない普通のインド菩提樹の苗木はネットなどで普通に販売されている。

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大きい方が植木屋で見つけた方で左側がインドの種から育てた菩提樹。

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菩提樹の葉っぱ

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インド・聖木菩提樹の種から育てた


ラジギール温泉


お念仏発祥の地ラジギール。ここには温泉が数カ所ある。温泉精舎と呼ばれるヒンズー寺院や、かつてはお釈迦様のライバル、ダイバダッタがいたという今はイスラム温泉寺院、また数キロ離れたジェティアンと呼ばれる村の入り口にもタポーバンというヒンズー教寺院の温泉がある。

基本的に異教徒は入れないが温泉精舎は地元ガイドがいればそれほどエントリーは難しくない。実際に入浴が可能なのは温泉精舎が閉まり参拝者がいなくなったあと夜9時くらいに行けば入れる。ここはカースト別に入る場所が決まっていて上の方から温泉が下に作られて上の人が使った湯を下の人が使う。日本人が入るのは上の温泉。お湯は40度くらいで無色無臭約5mの正方形で深さ1mぐらいの深さがあり立って入る。衛生的にはよくないようで私はここで顔をあたっただけで大下痢をしたし友人はヘソを膿んだ。何もおこらない人もいるので傷や口に水を付けないことを注意すれば問題ないと思う。

徒歩圏内にお釈迦様がお念仏、法華経を説いた霊鷲山や長く住まわれていた竹林精舎あるのでおそらくお釈迦様も入られたことだろう。お釈迦様の湯でもある。

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温泉精舎の最も下にある温泉

 

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無色透明で40度くらい丁度の湯。

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温泉の源泉が出ているところ。これが数カ所横に並んである。

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階段を下って温泉に入る

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ラジギールのお釈迦さまの天敵ダイバダッタの温泉。現在はイスラム寺院

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ダイバダッタの湯。多分ムスリム以外は入浴出来ない。

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ジェティアン入り口のタポーバン精舎