日本寺の池


ブッダガヤ日本寺にある池の蓮は美しい。本堂裏にある畳3畳ほどの小さい池には美しい蓮の花が咲く。コンクルート製の四角形の池。本堂や幼稚園に行くときの通り道にあったのでいつもよく眺めていた。

ある日主任M師と「この池は美しいですね」という話をしながら一緒に見ていた。私は日頃からこの池で気になっていたことを訪ねてみた。「この池はなぜ斜めなんですか?」実はこの池日本寺のすべての建物とは平行になっておらず、すこし斜めに作られていた。何かインドの風水的なものか、仏教的な意味があるのか。私の中で謎であった。「あなたはこれが池に見えますか?」との問い。どういう意味だろう?「実はこれはかつて日本寺の建物を作るとき、ブロックを作る作業場プールとして作られ、建築後壊そうと思っていたのが、いつの間にか水が溜まるので池にしたものだそうです。だからこの寺院の建物がある前から存在し、方向なんか適当に作った作業場なので建物と平行ではないのです」と。もともと池じゃなかったのだ。予想すらしていなかった話であった。

人は固定観念を持つとそこから離れることができない。人はしばしば先入観にとらわれる。

作業場が残ったのはやっぱり仏様のお導きかもしれない。

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会館にくらべて池は若干ななめなのがわかる。

 


ガヤでのお買い物


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崩れそうな建物も常用

駐在中、時々ブッダガヤ近郊の町ガヤ市に買い出しについて行った。非常に古い町で数千年経つお釈迦様の時代以前からある古い町である。綺麗な街ではなく常にゴミは舞っており、いつ建てられたのかわからない古い建物や崩れかけの建物なども多く、インドの正しい?街である。インドのハリウッドと呼ばれるボンベイのボリウッド・インド映画会社がこの町を専用ロケ地にしようという話もあったほどのある意味、インド的な個性魅力ある町である。ガヤ駅周辺を除けば完全にローカルな町で外国人が観光するような町ではないし夜間は治安がいいとは言えない。日本人が巻き込まれる事件やその他多くの事件が起きている。

買い物は食品、日用品、電化製品など庶民レベルのインド製品なら大体買うことができた。いつも行く商店は雑貨屋、米屋、文具屋、建材屋、自動車部品店など。雑貨屋はいろんなんものがあり楽しかった。カレー味に飽きた頃ほこりをかぶった賞味期限の切れたインド製マヨネーズを見つけた時は即買いした。私たち以外には買わないようでわざわざ仕入れてくれたが大概なぜか賞味期限切れだった。期限切れでもインドの感覚では問題無い。文具屋であやしい商品を買ったり建材屋で思わぬ掘り出し物を見つけては楽しかった。インド製の何世代も遅れた商品がむしろ新鮮だった。こんなもの輸入販売したらウケるだろうと思っていたが、同じように思う人もいるようで今はネットでもたくさん簡単に入手出来る。

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ガヤで買った雑貨のほんの一部。右から車用カーリー神電気式お守り。犬の陶器おもちゃ。タタ自動車純正エンブレム。ブッダのタイル。アンバサダーエンブレム。ちっちゃい灯油ランプ。こんなものが未だに大好き。

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ガヤ駅 ブダガヤの玄関口

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子供服売り場

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牛も当然いる


日本寺除夜の鐘


12月31日夜日本寺は除夜会が開催される、除夜の鐘と無料の年越しそば(小麦で作ったそば)の振舞い。バックパッカーの間では有名なようで多くの人が集まる。ちょっとしたお祭りで従業員も喜び、いつも見せない顔を覗かす。特に駐在中の98年の除夜会は除夜会法要と共にインドクラシック音楽無料コンサートを開いて盛り上がった。ちなみに日本寺の鐘楼は松下幸之助の寄贈である。

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タブラのアジャイ先生とそのお兄さんビジャイ氏。お兄さんは左利きなので太鼓の位置が違う。

 

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シタールはわざわざ数時間かけてビハール州首都パトナから来てくれた

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年越しそば

 

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松下幸之助寄贈による鐘楼

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200人ほど集まった

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数日前よりチラシを作り長期滞在していそうなゲストハウスやそこいらで配ったったがなかなか受け取ってくれない。新手のぼったくりか何かと思われているのだろう。ほとんど受けとってもらえなかった。インドには無料で・・・というところに大きな落とし穴がたくさんある。旅慣れた人は当然そのようになる。ところが笑顔でどうぞ受け取ってくださいではなく、目も合わさずダラダラ配ると受け取ってくれるのが面白かった。

当日はそれでもトータル200人近い人が集まった。アーティストはボランティアで演奏に来てくれた私のタブラの先生や有志、教え子でしっかりしたインド音楽コンサートだった。2時間半ほどだったが中にはパトナのプロもいて来た人は非常にラッキー。タダでこのようなものは聞けない。ちなみに本当のインドクラシックコンサートは朝まで行う。

 


散歩


駐在中、郵便局に郵便物を取りに歩いて往復1時間ほど運動不足を解消するための散歩を兼ねて通った。ルートは一般の道路を通るか、村の道を通るかだったが、私は村の道を通った。舗装のされていないほぼあぜ道のような道。ブッダガヤも裏道にいけば、インドの田舎らしい素朴な風景に出会える。建物以外の遠景は、ほぼお釈迦様の時代とかわらないと思われる景色が好きだった。道を外れた空き地に行けば大昔の石の遺跡の遺構の一部が転がっており、綺麗な細工の石のブロックの一部なども見ることができた。このような道から大塔横の大通りに出て大塔前を横切ってブッダガヤ郵便局に行った。ブッダガヤ郵便局前はバザールになっており、野菜などの食料や日用品の簡単なものなら入手できた。私書箱を開け郵便物を持って帰る。各寺の法要出向は午前中で終わるので、午後は結構時間がありこのようなこともできた。元々散歩をしたことがないし、今もしないけれどもとても散歩は楽しかった。

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ブッダガヤバザール

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狭いバザールを強引に進むトラック

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郵便局前のバザール

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ブッダガヤ郵便局前バサール


No more HIROSHIMA,No more NAGASAKI.


インドで日本のどこから来たという話題になった時「TOKYO? or OSAKA?」という質問になる。高知県といっても説明するのに大変なので大阪の近くだといってお茶を濁す。シッキムの土産物屋で世間話をしている時、この話になった。広島の友人N師と行っていたので私はいつもの大阪の近くと話したが彼はそのまんま「Hiroshima・・・」というやいなや一気に顔つきが変わった「広島!大丈夫なのか!」「いやいやもう広島はデリーくらいの大都会だ。長崎も同じだ。問題無い」「Oh・・Hiroshima,Nagasaki・・」と彼はつぶやいていた。インドでも原爆投下は学校で習う。地名は広島と長崎は東京並みに一発で通じる。

駐在中の1998年8月6日大塔の金剛座前でブッダガヤ隣山会主催で広島長崎平和祈願追悼法要を行った。ブッダガヤ中の各国住職、主幹も集まり約30分の法要があった。みんなから日本人だからなんか喋れと言われて「私たち日本人の願いはノーモア広島ノーモア長崎です」と静かに言った。新聞社も数社来ており翌日写真入りで大きく掲載されたインド人の関心の高さが感じられた。

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法要中、手前は金剛座

 

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左から日本の大乗教主幹、インド人僧侶、私、大塔管理委員会主幹


散髪屋ナーイ


お坊さんなのに髪の毛がある。エッ!一般的にはびっくりするかもしれない。わが浄土真宗は有髪がまったく問題ない。お坊さんになる時(得度)は男性のみ一回だけ剃り上げる決まりはあるがその後ヘアスタイルは個人の自由である。念仏信仰のためには有髪も丸坊主も関係がないというスタンスだ。というわけで日本寺に赴任するときスポーツ刈りでインドに出向いた。浄土真宗だからいいだろうと。しかし日本寺に到着する前日いっしょに行った先輩僧侶から有無を言わさず頭剃りを命じられ、村の散髪屋で剃髪した。今思えば当たり前で髪の毛が伸びたお坊さんというのは基本インドでは考えられない。赴任終了の帰国に合わせて少し伸ばし始めた時にスリランカのお坊さんからそろそろ剃ったらどうだと言われたこともある。

日本寺には週に一回のわりで出張の散髪屋さんが来てくれた。頭を剃ってくれるナーイと呼ばれる散髪屋のおじさん。一回5RS15円で剃ってくれるがカミソリが伝統的な一枚刃のあまり剃れないカミソリなので痛い。頭を切られることも普通で、いやなので時々T字カミソリで自分でしていた時もあったが、せっかくお寺まで出張したのに何故しないのだと言われるのと自分で剃るのは結構手間がかかるので大体お世話になった。

ある時剃髪中、後頭部の首筋近くを切られて結構出血したことがあった。特に気にしていなかったが数日後腫れて熱まで出だした。首が曲がらないくらいパンパンに後頭部首筋が腫れて日本寺付属の病院で抗生物質をもらってなんとかなったが、帰国しても同じところが数年間にわたり年に数回腫れた。後から聞くと彼の使うカミソリは消毒すらせず使い、また遺体の毛を火葬する前に剃ることをヒンズー教は行うが、それも彼の仕事で同じカミソリを使っていたそうだ。

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ナーイのおじさん。おじさんの横に散髪時に首にかけてる布と手前に散髪道具入れが写る。


ベジタリアン


日本寺の駐在僧の食事は菜食であった。朝はインド米おかゆとチャパティーと野菜スープたまにインド味噌汁。このインド味噌はカルカッタ中華街で入手出来る中国料理用の味噌で日本の味噌ではない。日本寺に巡礼団体宿泊があった時には余ったものや在庫に余裕があるとき頂けた。昼はインド焼きそばや野菜カレーなど夜はインド焼き飯やインド庶民料理など。歴代駐在僧が伝えた日本料理のようなインド料理も出た。私も図書室にあった料理本レシピから乳製品が豊富なのとマカロニが入手できたのでグラタンなどをコックのMに教えたが日本並みにはできなかった。またレシピ本をヒントにキムチも作ってみたが野菜だけでは美味しくは作れなかった。

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カルカッタの中華食材屋。醤油、味噌、ごま油、タケノコなどを仏跡ツアー団体用に買った。

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チャパティーとジャガイモカレー。日本寺の幼稚園「菩提樹学園」の昼食

さてこの菜食が私は体に合っているようで体の調子が良かった。体重も駐在前は不摂生で85キロほどあったが帰国時65キロ。たまにおみやげでもらうインスタントラーメンを食べたりしたが調味料に肉エキスが入っているのが原因なのか便秘になり2日くらいお腹の調子が悪く、だるさが残った。しかしながらこの菜食は万人の体にいいと思うかもしれないがそうではないようだ。例えばダライ・ラマ法王は多少の肉を食べないといけない体質である。医者からそのように指導されているとのこと。もともと野菜の少ないチベット高地の方は肉をよく食べる歴史からそのような体質になったのだろうか。ちなみに戒律が厳しい上座部仏教は布施されたものは肉でも魚でも食べれる。もちろん基本は菜食だが。精進は中国より東の大乗仏教系である。なんでもありと思われる我が浄土真宗も親鸞聖人の命日や報恩講中は精進料理が基本であり、浄土真宗の熱心な地区は魚屋や肉屋がその期間は店を閉めるほどである。


ブッダガヤの数珠屋


ブッダガヤにいった人、誰もが思い出すのは数珠屋の押し売りであろう。その他いろんなインドの聖地でも同じ輩に会うが数と勢いはブッダガヤは群を抜いていると思う。観光バスを降りれば何十人の数珠屋が腕に山ほどの数珠をぶら下げて売りにくる。「コレボダイジュ、ホンモノ!ヤスイ!」少しでも関心を持てば「コレ1000ルピー!ノータカイ。ホンモノ!」とふっかけてくる。いらない、いらないとなると「500ルピー!」とか「3コデ1000ルピー」になりそれが「100ルピー!ラストプライス」とか20束くらいを「ゼンブデ1000ルピー」になる。円やドルの場合もある。最後は「イクラナラカウ!」と逆切れし買うこと前提で話しがすすむ。このような数珠屋以外にも日本語を教えてくれと近づいたり、ブッダガヤを案内するといって近づいて最後に数珠を売るというパターンがある。これで成功した数珠屋はホテルを建て実業家。ブッダガヤドリームである。

ちなみにインド菩提樹の数珠というものは存在しない(出来ない)。国内の仏具店でもインド菩提樹の数珠と売っていたりするが他の木の実を菩提樹といっているだけである。しかしながらそれらの実を「○○菩提樹」とそれぞれすでに名詞がついているのでこの流れは変えようが無い。

まあこの数珠屋もお客さんになれば親切にいろんなところに連れて行ってくれたり、通常は入れない場所やおいしい食事など便宜を図ってくれるので、望むならばつきあうのも悪くはない。まあ「お釈迦様の悟りの聖地で買った数珠」には付加価値があるのだから便宜へのチップと思って思い切り値切り倒して買ってほしい。

 

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数珠屋さん

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ブッダガヤ大塔前を歩くとワサワサ近づいてくる。

 

 


日本寺の屋上で


駐在し始めのころ、大塔にお参りに行かない夜は同時に赴任したY師と日本寺国際仏教会館(宿泊施設)の屋上にのぼり空を見て衛星や月をみながらたわいもない話をした。ブッダガヤの夜空は星が奇麗で衛星が普通に見える。時々停電があったのでブッダガヤ中が停電すると満天の星空であった。

赴任したての頃はまだコンビニとか自動販売機とかの禁断症状中だったので自動販売機で缶コーラを買って飲む空想とかし合った。まったくバカらしいが当時は真剣に面白かった。缶コーラぐらい・・。と思うかもしれないが当時、コーラ系はブッダガヤでは瓶のサムズ・アップというスパイスのきいた感じのインドコーラやペプシしか入手できず(缶コーラをブッダガヤで見たのはほんの数回)、日本でもあまり飲まない缶コーラがなぜか懐かしかった。州都のパトナまで車で3時間半以上かけて行かないと缶コーラは入手できないものだった。

また空を見上げ日本で見る月もここの月も同じなんだなあとよくある話を本当に思ったりした。大塔からムスリムのアザーンやパーリー語のお経が流れてくるのを聞きながら夜空を見ていた何でも無い時間だったが今思えば最高の贅沢だった。

なぜ屋上なのか?部屋は暑いし地上なら虫が這ってくるからここしかない。

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国際仏教会館のキッチンにある駐在僧用食堂で同期Y師と。


芸は身を助ける


パトナへ車で出張中、ドライバーのBが急にゆっくり止まって「先生。ハンドルが動かないです」という。ハンドルを調べるとハンドルは動くがタイヤが動かない。要はハンドルとタイヤをつなぐ何かが壊れているという状態であった。JAFなんか無い。ガソリンスタンドも近くには無い。いや真ん前がガソリンスタンドでもインドのガソリンスタンドはガソリンを売るだけで修理の出来る人はいない。これは困った。あたりは霧が出ておりここがどこか分からない。いやむしろ霧が晴れて野次馬が集まったら治安はあまりいいところでないので危ない。さてどうする。

私は自動車が好きで例えばミッションの積み替えレベルなら一人で出来る知識と経験があった。何せインドに赴任する時、この技術を日本寺に活かそうかと簡単な自動車工具をインドに持って来たぐらいである。

すぐさま車の下に潜る。ハンドルとタイヤをつなぐポイントのナットが無いことを見つけた。簡単な問題である。Bにどこからハンドルが聞かなくなったかを聞きその辺りにナットが落ちていないか探す。発見!車載の工具でナットを閉める。これでとりあえず問題ない。仏教とは全く関係ないけれどあの技術が無かったら間違いなく大変なことになっていた。

人生何が繋がるか分からない。

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ナットを閉める。今見るとタイヤ交換ジャッキだけで車の下に入っている。思い出してちょっとぞっとした。