ブッダガヤのセブンイレブン@


ブッダガヤで買い物をしていると友人がちょっとセブンイレブンにいってくるという。まさかコンビニがあるような世界ではないのでまさかと聞き返すと、先ほど車で横を通ったという。何かの見間違いだろうといってみると・・本当にあった。セブンイレブン。それなりに歴史があるかのごとく看板も日焼けして数年前からあったようだ。中に入るとエアコンが効きそれなりのものは売られている。日本並みとはいかないが冷えた飲み物、菓子、雑貨、土産など充実の品揃え。

しかしよくよく見ると本物のセブンイレブンではなくモドキ。「ブッダガヤ・セブンイレブン@」が店の名前。やっぱりインドだった。

知る限りインドの大都市を除き日本のようなコンビニはない。あってもそれなりの都市にスーパーの小店舗といった感じでボツボツあるような感じ。

追加・2018年再度現地で確認すると、流石に看板は外され普通の店として営業中であった。

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パッと見るとまさにそのまま

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看板も日焼けして、数年前からあった様子

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よくよく見るとセブンイレブンのロゴに「@」 しかし極めて危ないグレーゾン店名。似たような話は中国などでも聞く。

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ショップの袋、なかなか凝っている


ブッダガヤ大塔のセキュリティー


2013年7月7日ブッダガヤ大塔での爆弾テロがあり3年ほどがたったが未だ警備は厳しい。まず携帯電話の持ち込みは厳禁。寺院周りには預ける場所もないのでホテルなどに置くなど対応が必要。カメラやビデオは問題ないが料金がいるのは今まで通り。セキュリティーチェックは2箇所ありかなり厳しくチェックされる。大塔内も武装警官が数名巡回しているが、警官を女性にするなどできるだけ印象をソフトな感じにしている。

以前は大塔門前町はお土産屋やチャイ屋が並ぶ街であったが全て強制撤去され壁が作られた。これは世界遺産になった頃から土産物屋の立ち退きは立案されていたものだが、この事件をきっかけに実行された感じがする。

今回のブッダガヤのテロはビルマの少数イスラム教徒ロヒンギャ族を仏教徒が弾圧していることへの報復との話であるが、お寺に入るのにセキュリティーチェックとは仕方がないが悲しいかぎりである。

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大塔正面前入口

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第一ゲート男女に分かれてチェックする

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第2ゲート、大塔入口

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武装警官が見回る

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堂内入口にもセキュリティーチェック

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ブッダガヤ市場方面を見る。かつては一切壁はなかった

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かつての数珠屋街 今は壁のみ

 


マハーボディー寺院の仏足石


今までもこのブログで仏足石については多く触れてきたが、最近初めて仏足石の中で最も尊いといわれるブッダガヤ大塔にある仏足石に直に触り参拝できた。ことの始まりは2013年7月のブッダガヤテロ事件。このとき大塔の仏足石付近に爆弾が仕掛けられて仏足石を囲っていたカバーが壊された。その後新たにカバーは作られることなくそのままの状態で安置されている。もともとお土産業者がこの仏足石から拓本をとるのを防止する意味もありカバーされていたのだろうが、拓本ができた大昔ののんびりした環境ではない現在拓本を取ろうものなら一発で逮捕である。あえてカバーする必要もなくなったに違いない。そのほうが参拝者、当然運営に関わっているお坊さん自体もカバー無しのほうがいいに決まっている。

今回初めて触る仏足石はなんだが柔らかく感じ、大げさかもしれないが触った手から何かしらの力が入ってくるようなありがたさであった。このままカバーは付けずにいてほしい。

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そのまま触り参拝できる

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花を添えなんともうつくしい仏足石

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配置は昔と変わらず

 

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4年前のカバーのある状態

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私の知る限り1997年にはこのカバーのある状態であった。


6月の菩提樹


ブッダガヤの大塔うらにある菩提樹の下でお釈迦様は悟りを開かれた。そういったことから当然礼拝の対象になり、その落ち葉は聖なるものとして扱われる。大塔をお参りしていると多くの方がその落ち葉を拾って大切に持って帰る姿を見ることができる。

また6月はインド菩提樹が実をつける季節である。ブッダガヤの菩提樹の大木もこの時期たくさんの実をつける。参拝者の中にはこの実が落ちていたら拾って家で育ててみよう思う人もいて持って帰る。日本は暖かい地域でないと育たないが、アジアの暖かい仏教国にはこの種から大切に育てられている菩提樹がたくさんあるのだろうなあ。

 

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インド人サーマネーラ(小僧)が拾った菩提樹の葉を外国人参拝者に渡す。思わぬプレゼントに参拝者もびっくり。

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もらった葉。数日で乾燥する。さてどう加工しようか。


前正覚山


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洞窟前の広場

 

 

 

 

 

 

 

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前正覚山上空。ガヤ空港着時

お釈迦様はブッダガヤ近郊スジャータ村の奥にある苦行林で苦行をし、その後苦行では悟れないことがわかり現ブッダガヤの菩提樹の木下で悟りを開かれたわけだが、その悟る前にこの「前正覚山」の洞窟で瞑想されたことがある。「悟る(正覚)」の前にいた山だからこの名前がついた。インド名「ドンガシュリ」。

ブッダガヤからだとオートリキシャやバイクで30分ほどで着く。岩山の中間地点にあり徒歩で20分くらいの山道を登るか駕籠屋がいるのでそれを利用することもできる。参拝者の多い冬場にはこの山道に無数の物乞いが座り喜捨を求めてくる。ブッダガヤ駐在の始めの頃、初めてそのような光景を見た時はその数に圧倒された。さてブッダの瞑想された小さい石室が現在はチベット仏教ゲルグ派の寺院内にある。仏教寺院内ではあるがヒンドゥー教僧侶も常駐している。石室内は狭くせいぜい畳4畳半ほどで仏像などが祀られている。ろうそくとオイルランプの明かりのみで独特な圧迫感がある。

通常の団体仏跡旅行ではあえてスケジュールとして時間を取らないと参拝は難しいが少人数だとエントリーは難しくはない。

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尼連禅河前からの前正覚山

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登山口

 

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なぜかアウンサンスーチ氏のポスターが寺院に

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洞窟内仏像

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堂守チベット僧と

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前正覚山からブッダガヤを見る

 

 



インド旅行にいけば水道水の使用はご法度で、中には歯磨きもミネラルウォーターを進めるガイドもいる。大げさかと思う方もいると思うが本当に歯磨きで腹を壊すこともある。なにせ生野菜についた水で腹の調子が悪くなることもある。

ブッダガヤの日本寺の蛇口から出る水は井戸水(井戸によって飲めないのもある)だったので普通に使って問題なかった。とは言っても入寺始めはお腹も壊す。大先輩からは体がインドに慣れる上で3つの大きくお腹を壊す段階があり3週間、3ヶ月、3年で3つの段階(寝込むほどの高熱や下痢)があり3年後はインド人化すると教えられた。実際私も3週間と3ヶ月の段階は味わった。

数ヶ月もするとだんだん慣れてお寺以外でも他国の寺院法要でお斎(法事の食事)に呼ばれたときはそのお寺の水を普通に飲めるようになり、そのうちインド人と同じように普通に飲めるようになった。ただその地区の水に慣れただけで、町を離れると水は変わる。ちなみにインド人でも旅行に行ったり他の地方に行く時は気を使いミネラルウォーターを飲むことが多い。安全かわからない水の感覚は私たちと同じ。

ちなみに駐在を終えて日本に帰って水道水を飲んだら下痢をした。

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一般的なインドの井戸 これは仏教青年会が寄贈した井戸


発掘当時のブッダガヤ大塔


ブッダガヤ大塔の入り口にあるホールにはブッダガヤ大塔発掘(多少なりお参りがあってここが何か知っている現地人はいたので「発掘」には抵抗感あり)当時の1900年代初めの写真がある。イスラムの破壊を防ぐために2階付近までは土に埋められている様子やここを掘り返して悟りを開かれた場所にある当時の金剛座の写真など興味深い。

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金剛座 お釈迦様が悟りを開いた場所にある。

それにしても発見当時は本当にぼろぼろで1900年まで数百年は修復もされず廃寺の感すらある。その間隣国ビルマ、タイやスリランカは通常に仏教は信仰されていたのに来ることができなかったのか。当時の国際事情は厳しかったのか、仏教徒の最高の聖地なのにここまで廃れるとは。現在の自由に行き来できることの有り難さが身にしみてわかる。

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ここまでぼろぼろになるとは

 

 

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金剛座。いまは触ることもできない。掃除のため管理の僧が入り口を開けた瞬間激写。私の駐在時はいつでも中に入れた。

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現在の金剛座前で法要をするビルマ人。入ることも触ることもできない


ガヤの石材店


ガヤのヒンズー教寺院でお釈迦様が剃髪したといわれているビシュヌパドマンデル(ビシュヌの足寺院)の門前町には多くの石材店がある。

その中にシタラム石材店という老舗の石材店があり、インド駐在中からお世話になっている。

親鸞聖人750回大遠忌記念に日本寺大先輩の曹洞宗のH師にお世話をいただいて高知県内の幾つかの寺院とともに仏足石を輸入した。(その仏足石は弘願寺ホームページ内の境内紹介に記載あり)これを作ったのがこの石材店である。最近この仏足石はいくつかの業者により国内で輸入販売されているが日本にこの仏足石を輸入したのはこのH師とこのブログによく出る友人ビジャイさんがパイオニアである。

さて数年前このシタラム石材店に用事があり久しぶりに訪れた。すると店先に作りかけの仏足石が捨ててある。どうしたのかと聞くと途中で割れたので使えないという。この仏足石の石材は聖地ブッダガヤのあるビハール州の多くの仏像や神像はブッダガヤとラジギールの間で取れるブラックストーンという黒い石を使う。これが固くて扱いが難しいらしい。オリジナルの仏足石もこの石から作られ、水や油を塗ると上品な黒光りをする。石を取りすぎて枯渇の危機にあるらしい。

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捨てられた仏足石どこが問題なのか?

仏足石を作っている時のスナップ写真を見せてもらうと石切場から持ってきて重すぎて工房に入れずトラックから降ろした店先の道路で掘っている。なんともインドらしい光景だ。運送以外ほぼ人力で行われる工程は昔と変わらない。油圧機やコンプレッサーなど機械類は皆無。インドの底力を感じる。

仏足石製作中。重いからトラックでおろした店先で掘る。

仏足石製作中。重いからトラックでおろした店先で掘る。

シタラム石材店社長、ミニチュア仏足石と

シタラム石材店社長、ミニチュア仏足石と

かなり形になってきた

かなり形になってきた

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シタラム石材店

ブッダガヤ大塔の実物仏足石

ブッダガヤ大塔の実物仏足石

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片足のものもある。約2200年前のもの。


仕立て屋 テイラー


インドで服を買うときは生地から買ってそれを仕立て屋に持っていくのが本来の形のインドの服の買い方である。既製品もあるが仕立てても値段はさほど変わらない。

村の相場ならシャツで当時日本円で300円くらいで1日で仕立ててくれた。とは言ってもクルタパジャマやYシャツなどは駐在中は使うことがなく、日本製作務衣を持って行きこれと同じものを作ってくれと言って作ってもらった。インドのお坊さんは黄色系の法衣なので作務衣もよく黄色い生地から作ってもらった。生地は値段通りのクオリティーで安ければすぐ破れたり色が落ちた。化学繊維が強くて色落ちも少ないが酷暑時期は風を通しにくく汗も吸いにくいので使うことはなかった。インド綿でしっかりしたものは仕立て屋のテイラーの技術がしっかりしていれば最高の出来になる。また腕のあるテイラーはタグをつけることがあり「ブッダガヤ・⚪️⚪️製造」などと書かれておりブッダガヤ製作務衣という付加価値がついてかっこよかった。

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イスラム教徒が多いテイラー

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ミシン一つで何でも作る

 


笑顔の子供


インドの子供は元気だ。いつも笑顔で笑ってくれる。日本寺には付属幼稚園があったので、そこに通う子供やその兄弟がいつもお寺の境内で遊んでいた。遊具で遊ぶ子、外国人参拝者にちょっかいを出す子供。わざわざ私たち外国人に近ずいてコミニケーションを取るのだから特に明るい子たちなんだろう。最近の日本ではあまり見れない笑顔である。もちろん笑うこともできない状況の子供もたくさんいることを忘れてはならない。

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