マザーハウス


1997年8月末にブッダガヤ日本寺に赴任したすぐ後の9月5日マザーテレサが亡くなった。ブッダガヤでも話題となりその1週間後ブッダガヤにあるもう一つの日本のお寺、大乗教が中心となって追悼法要を各国僧侶が集まり仏式により行われた。

おそらく大乗教のインド人スタッフがカルカッタ出身だったのでことのほかマザーテレサへの思いが深かったのだと思う。

その後何度かカルカッタに行ったらマザーハウスにお参りに行くことがある。このマザーハウスのホール内に、マザーテレサが安置されたお墓がある。

ある時、現場での奉仕中辛いことがあったのか辛そうな顔したシスターの一人が小走りにマザーテレサのお墓に来て額をお墓につけてお参りをしていた。彼女は1分ほど静かにお参りをしてすっきりした顔で現場に復帰していった。

その姿に感動し私はそばの椅子から数分立てなかった。今もマザーテレサはみんなを助けている。

そういえばお参りをすると帰りに小さいマリア様のメダイというお守りをいただける。多分もれなく。

私は仏教徒なのでマリア様のお守りを使用することはないが、たぶん多くの方の宝物になるのだろうなあ。いいことだと思う。

マザーテレサのお墓。マザーハウス内にある。

マザーテレサのお墓。マザーハウス内にある。


偶然の再会


住職になってなかなか忙しく渡印は毎年というわけにいかず、長い間渡印できないこともある。

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駐在当時スリランカ寺にいたお坊さんと偶然の出会い。 彼もインド参拝旅行にきていたという。お互い偶然にびっくり。

ところが不思議なもので、インドに行くと当時お世話になった外国のお坊さんや日本寺の先輩僧侶、関係者と偶然出会うことがそこそこの頻度である。もちろん会う相手もインドには住んでおらず、偶然の再会にはびっくりさせられる。数年前日本寺の先輩I師にもちょうど偶然、渡印時期が重なりブッダガヤでお会いした。特に待ち合わせもしていないのにブッダガヤに到着しホテルの前にいたら師が前から歩いてきて、仏様が引き合わしてくれたのかと思った。師も頻繁にインドに行っているのではない。こうした同じような再会がブッダガヤ大塔で駐在中お世話になったスリランカのお坊さんに会ったり、その他インドや乗換中のタイの飛行場や機内でも不思議な再会がインドに関わるとなぜか多い。

 


タポーバンの遺跡


仏像復興を手がけているラジギール近郊のジェティアン村近郊にタポーバンという温泉精舎がある。ラジギールの温泉精舎ほどの規模でなく湯量も少ない。

そのすぐ前にかつてブッダを祀っていた寺院跡がありブッダの足跡が岩に残っている。もちろん本当にブッダの足跡ではなくそのように見える石がブッダの足跡と信じられている。近くにはムスリム侵攻によると思われる破壊されたヒンズー教の神様の像もあったので「仏教寺院」とは言えないと思うが、地元の人はこれは間違いなくブッダの足跡でブッダのお寺だと言われる。この寺院跡は村からも離れてさびさびとしているがこの近郊には発掘されてない仏教寺院も実際にあるので、どこか気になる遺跡である。

インド(特にヒンズー教徒)はこのように足跡が岩に残っている(ように見える)石を神の足跡として崇拝することが多い。おそらく仏教の佛足石信仰もこういったインドの文化的経緯があると思われる。

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タポーバン温泉精舎

 

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ブッダの足跡寺院跡

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寺院跡中心にあるブッダの足跡。持ってきたものではなくもともとある岩盤にある。

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奥の方まで寺院跡はある

 


ネパール カトマンズ本願寺


数年前、団体旅行でインド聖地旅行の折、ネパール国カトマンズにある浄土真宗寺院を参拝した。

浄土真宗は日本人移民国のハワイを始め北米南米以外にも外国にお寺がある。欧州とこのカトマンズなど、かつてアフリカにもお寺を作る話もあった。このカトマンズ本願寺のソナム所長はもともとはシッキム出身のチベット仏教の僧侶であるが、彼が98年にブッダガヤ滞在中に日本人のNGOグリーンライフ研究所を開所された福岡県北九州市の故向坊弘道氏に出会いお念仏の道に目覚められて浄土真宗の僧侶となり、縁あってネパールの念仏道場の所長となった。

故向坊弘道氏は事故によって全身不随となりそれがきっかけでお念仏の信仰を深められた方だが、その98年に彼が電動車椅子でブッダガヤ日本寺に来られたときお話をしたことがある。日本寺のことやブッダガヤの浄土真宗の布教の実情を聞いて行かれた。その時のブッダガヤ参拝時にソナム師との出会いがあった。

訪問時ちょうどソナム師は御家族の大変急なお見舞いでシッキムに帰られていてお会いできなかった。現在このお寺は学校が併設され、多くのネパール人が勉学を学びつつ浄土真宗も学び多くのネパール人が帰依し少しづつだが僧侶も生まれている。浄土真宗の本尊である阿弥陀仏はチベット仏教でも非常に馴染み深く、パンチェン・ラマという阿弥陀仏の化身もいる。この化身はダライ・ラマ法王(観音菩薩化身)と並ぶが最も信仰されている化身である。

 

 

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カトマンズ本願寺を正面から。右側にチベット仏教の仏塔チョルテンが見える。

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本尊阿弥陀如来

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カトマンズ本願寺の僧侶

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本堂正面にて

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参考にハワイ ホノルル別院。西洋風で中も教会のよう。ハワイ浄土真宗は100年以上の歴史がある

 


乗車定員20名ジープ


インドの車に乗車定員はない。いやある・・・それは乗れるだけ。

さすがに都市では屋根に乗ることはないがブッダガヤなどの田舎は屋根にまで普通に乗る。バスやジープ系の乗り合い営業自動車に限るが今でも簡単に見ることができる。

ジープは聞いた話では20人は乗れるという話。屋根だけではなくボンネットに乗っている車を見たことがある。事故が起こったらとんでもないことになることは火を見るよりも明らかだし、死亡事故の話はしょっちゅう聞いた。一番びっくりしたのは夜間ボンネットに乗った客に懐中電灯を持して、それを前方を照らしながらヘッドライトにして走るジープを見た。自動車のヘッドライトが壊れていたのだろうがあまりに無謀。極貧のビハール州では現実にある世界。ボンネット上の客が数個の懐中電灯を使い対向車にアピールするように照らし回しながら対向斜線から迫ってくるので、はじめ何が来たのだろうとびっくりしてたが、ジープに乗った人と気付いた時はもっとびっくりした。

ところでこのインドジープは4WDではない後輪駆動。ジープファンもびっくりの仕様である。オリジナルの本家米国ジープのウイリスやMBの形ではなく日本製三菱のジープ派生系の形というのがおもしろい。

この小さい車に20人も乗るなんて・・お釈迦様の聖地の多いビハール州だけでも人口は1億人を超える。それだけ人が多いのにインドの田舎は移動手段の車が少ない。バスもローカル列車も屋根に乗る。

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車内より屋根の方が人が多いような・・

 

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何人乗っているのか・・

 


インドの花


インドの花は力強い。インドの花の強力な個性には圧倒した。どうだ!と言わんばかりに咲く。もちろんダラダラ咲く花も多いが、力強い花が多く印象的であった。

インドの花で最も関わった花はマリーゴールド。インドではマリーゴールドは神仏に捧げる神聖な花である。時に神様や仏様に捧げる花輪になり、お客を迎える花輪にもなった。またインドの伝統的な最高のお招きをする行為としてレッドカーペットのごとく花びらを道路に敷いて花びらのカーペットを作る。その花もマリーゴールドのガクを外し花びらを散華して花の絨毯を作った。ちなみにタイもこの花が同様に使われる。

その後日本に帰ってもマリーゴールドは我が寺ではお釈迦様の佛事では無くてはならない花になった。

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日本寺のマリーゴールド畑

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真っ赤な花

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日本寺にある藤のような花

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仏様にマリーゴールドを大量にお供えする。(黄色のみタイ式花輪)念仏が生まれた霊鷲山にて

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インドはウェルカムの意味でマリーゴールドの首飾りをもらうことも多い。

 


昼寝


先日、日本人の睡眠時間は世界で一、二を争うほど少ないというニュースを見た。そんな日本人だからあまり昼寝をする習慣がないが、インド人や東南アジアの人は昼寝をよくする。タイでも商店などで店番が寝ているのを起こして商品を買ったのは一度や二度ではない。インドでは客のないリキシャマン(人力車や自転車の力車がインドにはあり彼らをリキシャマンという)が自転車の椅子に曲芸のようにうまく乗って寝ていて、よく落ちないものだと感心した。また村にいけば涼しい場所を見つけて寝ている姿をよく見たし、都市では車が通る大きい幹線道路の中央分離帯で寝ているホームレスもいる寝返ったら最後だが、こんな場所わざわざ邪魔に入る人はいないので、いい場所なのかもしれない。

インドの酷暑時期は暑すぎて夜まともに寝れないので基本的に睡眠不足になる。したがっていくら暑くても昼間ウトウトして寝てしまうことも多かった。酷暑時期あの暑さの中で来る睡魔ほど気持ちのいいものはない。起きた時の汗もまたよろし。

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日本寺、施療院前で昼寝をする村人

 


サドゥー


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インドにはヒンドゥー教の修行をする僧侶サドゥーが沢山いる。いでたちが個性的なのでインドの宗教者の代名詞のような存在になっている。これ以外にも通常のヒンドゥー教のお坊さんもいるが、その人たちはクルタを着た普通のいでたちでサドゥーのように目立った格好ではない。ブッダガヤ大塔は仏教の聖地であるがヒンドゥー教の聖地でもあるのでヒンドゥーの僧侶もいるが普通の姿で特に目立つことはない。

ある時、村で一人のサドゥーにあった。「喋らない」修行をされていた。ベナレスなどにいる観光サドゥーとは別物である。こんな修行をされている本物のサドゥーに会ったのは初めてだったので本当にいるのだと感動した。何歳なのかもわからないが、歳とか世間とかを飛び越えたものを醸し出していた。

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村の本物のサドゥー

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喋らない修行。違う世界に生きている

 

 


七葉窟


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七葉窟入り口、左下は断崖絶壁

お釈迦様が亡くなってすぐその教えをまとめようと約500人の弟子が集まり、その教えをまとめた仏教会議「第一結集」が行われ「お経」が誕生した場所がラジギールの七葉窟である。その場所へ行くためには健康的な人で往復2時間ほどの軽登山で治安もあまり良くないのでガイドなしの個人で気軽にお参りすることは少々おすすめできないが、この場所の下界に日本人が泊まる法華ホテルがあるので道中の車中からは簡単に見上げることができる。

ここはお念仏の発祥の地ラジギールにある温泉精舎と呼ばれるヒンドゥー温泉寺院の裏手の山からエントリーする。99年の1月にここに登った。往復2時間の登山。いきなりの急勾配が続きその後は平坦な山道にかわる。山といっても木もほとんどない荒地のような山。道は途中ジャイナ教寺院やヒンドゥー寺院もあるので整備されている。

七葉窟は断崖の少し下がったところにちょっとした広場がありその山側に洞窟が幾つかある天然の野外広場のような感じである。断崖を背にしたら音の反響で多くの人が会議をするには声が通りやすいうってつけの場所だと思う。仏教寺院があるわけでも、目立った仏像(誰かが置いた小さい仏像が2体あり2ヶ月ほど前に新設されたものであった)があるわけではないが、まさにこの場所でお経が出来上がったのかと思うと感無量である。

誰かがお参りで使った古いロウソクを拾ってそれを頼りに大きな洞窟に入ってみた。結構深く途中まで入ったが途中狭くなるがまだまだ奥があり興味深い。このような洞窟がこのラジギールの山には多くあるそうで、強盗団が身を隠したりするという物騒な話をラジギールの友人から聞いた。

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途中参道で薪を運ぶ人たち

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時折巨木がお目見えする

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洞窟の一つ

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広場と洞窟

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最も大きい洞窟前にて。東南アジア方面型の仏像が置かれていた。

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同期Y師とお参りをする。

 


映画「インドへの道」


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バラーバル石窟

数多くの映画賞を受賞した映画「インドへの道」を見たのは高校のときだった。映画好きの友人C君と映画談義をしている中で彼はこの映画がこのところ一番面白いといっていた。私はあまり面白いとは思わず、どこが一番良かったのかと聞くと、ある古い石窟寺院の中で主人公が声の音の反響でちょっとおかしくなるミステリアルな場面が感慨深いという。その後再度見てもやはり私はパッとしなかったので逆によく覚えていた。

駐在中していたブッダガヤの近郊ガヤ市北部のバラーバル石窟という紀元前3世紀に建てられたインド最古の石窟寺院(仏教寺院ではない)を見に行った。巨石を掘って中にホールを作る気の遠くなるような作り方で作った寺院。少々治安の不安定な場所にあり外国人観光客はあまり来ない遺跡であったが、なんとここが「インドへの道」のまさにその石窟寺院のモデルとなった場所であった。

映画のシーンのように石窟の中で声を上げてみた。その声の反響は映画の劇中のような本当に不思議な反響だったが、まさか将来その場所を訪れることの方がもっと不思議であった。人生何がどう繋がるかわからない。

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バラーバル石窟