ジェティアン堂宇の大規模修繕


高知県仏教青年会により2000年に完成したインド、ラジギール近郊のジェティアン(Jethian)村の放置仏像のための堂宇は16年を経過し、かなりの劣化が見られこのたび大規模な修繕が行われた。

2016年に6月に着手金を寄付し、10月1日の完成に向けて工事が行われた。インドも資材などの高騰が目立ち当初予算からかなりオーバーしたが工事は順調に進むように思えた。しかしインドは基本的に納期という感覚があまりなく、工事も9月に入ってやっと始める状態で工事は9月末までなん度も現地事務局員が足を運んで急かしギリギリに完成した。実際2000年の堂宇完成時には落慶法要の数日前の段階でまだ仏像は堂宇に入ってもいなかった。それでもなんとかなるのがインドである。

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壁面の塗り工事

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タイル貼り工事

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Jethian堂宇 タイル工事

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白い服のおじいさんが元村長サドゥー・サラン・シンさん。

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インドらしい階段も張り替え

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タイル貼りも終了

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ほぼ完成。あとは欄干工事


ジェティアン村堂宇2016堂宇の劣化


高知県仏教青年会が2000年に作った堂宇は16年が経ちかなりの劣化がみとめられるようになった。いたるところで割れや沈下などが目立つ。今回私たちは本格的な修復を行うことになった。16年前とでは物価の上昇がとんでもなくインドの経済成長がよくわかる。この度6月から4ヶ月かけて修復し10月1日高知県仏教青年会で現地で16周年記念法要を実施する。また今回で仏教青年会の組織的な援助を終了し有志による援助に変わる。

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ジェティアン堂宇の劣化

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インド ジャティアン堂宇の劣化2

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インド ジェティアン堂宇柱の劣化

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インド ジャティアン堂宇の劣化

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インド ジェティアン堂宇

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ジェティアン堂宇の大きな穴

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新村長と現地事務局ビジャイさんと

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堂宇のジェティアン村旧村長、実行委員会のみなさんと


ジェティアン村2016年訪問


2016年6月7、8日高知県仏教青年会有志でジェティアン村を訪問した。今年10月に毎4年に一度団体参拝し法要、修繕を行うための各交渉を行うためだ。今回ジェティアン村の堂宇が建ち16年が経過したので老朽箇所の本格的修繕と堂宇に手すりを追加する。

摂氏45度ほどのジェティアン村は最近、大きな葬式があったそうでその事後作業に追われていた。新村長や旧村長などと今後のことを話し合った。

数年前からジェティアン村がアジア仏教会から非常に注目されジェティアン村からラジギールまでのお釈迦様が実際通られた13キロを歩く「ダンマ・ウォーク(仏法行進)」が毎年数千人規模で行われ、ほぼ全てのアジア仏教国は参加している。行進の出発地点は私たちが作った堂宇である。そのための記念供養塔も作られ、その行進の道沿いに終点まで十数戸建っている。

またブッダガヤとラジギール間の道にバイパス道路ができてこの堂宇のそばを通る道が整備され約1時間ちかい短縮になった。ちかくジェティアン村に大きな仏教公園を作る話まで出てきている。

17年前初めて訪れた時は道も舗装されず電気もままならない状況であった「忘れられた聖地」が着実に良くなっていく。道路が舗装され、鉄道が引かれと私たちも考えもしなかった事態が起こっていく。

10月には16周年法要などが行われる。

 

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堂宇前の記念供養塔

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約1キロごとに記念供養塔が道しるべのごとくある

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新村長を話し合い中、堂宇にて

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ジェティアン村堂宇

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8年前に作った井戸

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4年前に作った沐浴場で選択する村人

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高知県仏教青年会法要中

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法要中

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ナーランダ大学から頂いたジェティアン村仏像復興を表彰するたて

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旧村長から堂宇の現状を聞く

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旧村長と修復箇所の確認

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寺のせわをする方に謝礼

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修復金を寄贈。

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修復内容の契約書にサイン

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毎年行われている仏法行進の看板。いたるところにある

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バス停にある行進の看板

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小さめのポスター

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三蔵法師博物館内のジェティアンに関する展示

 

 

 

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同博物館の展示

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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ジェティアン村での記念写真

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翌日はこれを含め4紙が報道


ジェティアン村の今


昨年からこの時期にインドの友人新聞記者から案内が届く、もちろん忙しい時期だからインドにはいけないが、高知県仏教青年会が仏像復興をしているインドのジェティアンがすごいことになっている。

昨年より12月の終わりに世界各国から千人以上の仏教徒が集まりジェティアンからラジギール(南無阿弥陀仏が開かれた聖地のある大昔の首都)までお釈迦様が実際に歩いた十数キロを歩くという「ダンマ・ウォーク」法会を行っている。今年も行われ大事業になっている。友人新聞記者からその記事が送られてきたので英文だが翻訳エンジンなどにかけてみてほしい。記事は下のリンク先をクリック。

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2015年の案内状

 

リンク先はここをクリック

 


仏像復興計画8


2012年10月26日高知県仏教仏教青年会で4回目のジェティアン参拝旅行が行われた。今回は新たにできた堂宇の沐浴場落慶式も兼ねた参拝旅行。今回はジェティアンの村の方以外にラジギールに来ていた日本の日本山妙法寺のお坊さんもおられた。式典は新しい沐浴場のテープカット、その後法要を行いスピーチと法要は行われた。今回は12年前の堂宇落慶時のようなバタバタもなくきっちり仕事をしており記念プレートまで作ってくれていた。

この12年でジェティアン村は仏跡としても有名になっており、インド政府要人や世界各国からの参拝者、特にラジギールからジェティアンまでのお釈迦様が歩いた旧道を徒歩で参拝するというスタイルが確立しつつあった。ちょうどこの場所はラジギールからブッダガヤの途中にある場所なので参拝しやすい。

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セレモニー入り口

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完成した沐浴場

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沐浴場から堂宇入り口

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堂宇から沐浴場への階段。階段下に小さい物置も出来た。

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多くの人が集まった

 

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テープカット

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記念版オープン

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法要中

 

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記念プレート

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法要中

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スピーチ

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最終会計検査

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記念撮影

この時の前後に高知新聞の某記者さんの目に止まり1999年から現在に至る一連の流れや今回の沐浴場建設の模様が高知新聞、毎日新聞に大きく取り上げられて掲載された。(お寺の本堂掲示板に張り出し中)

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現地新聞

 

 


仏像復興計画7


2012年5月高知県仏教青年会によりジェティアン堂宇の裏にある池に堂宇の沐浴場を作ることになった。事前打ち合わせと建設資金寄贈のため会員有志と共に摂氏43度を超える酷暑のインドに向かった。村長と護持委員会とともに話し合い、10月の高知県仏教青年会の参拝旅行に落慶法要を行えるように建設をお願いした。

今回非常に驚いたのがラジギールからジェティアン村までの道路が完全に舗装されていることだった。今まではダートも多く道幅も狭かったが、安全に早くジェティアンを訪れることが可能になった。また実際にお釈迦様が通られたラジギールとジェティアンを結ぶ紀元前の旧道が整備され、ダートではあるが自動車でも通れるようにまでなっていた。聞くとラジギールからジェティアンのこの旧道を歩いて参拝する参拝団もいるとのこと。また何より鉄道が近くにできたことで格段に参拝しやすくなった。高知県仏教青年会が初めて99年に訪れた時よりかなりインフラが整い格段に良くなった。それに合わせて気軽にお参りできるようになったことは何より有難い。実は2000年の落慶法要時の団体参拝には地元警察が数人警備についてくれたほどだったが、今やそのような雰囲気はない。

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綺麗になった道

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村長のお出迎え

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ジェティアン堂宇

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参拝記念に署名

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ここから池にかけて階段状の沐浴場を作る

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計画案

 

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参拝中

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建設資金の寄贈

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現地新聞にも掲載

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堂宇から池を見る

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その後送られてきた建設中の沐浴場

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村の子供達

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整備された旧道。かつて車は通れなかった

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タイからジェティアン堂宇へ参拝に来られたという新聞記事2012年2月16日付新聞

 


仏像復興計画6


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ガヤ地区ヒスア周辺の踏切にて

 

2008年の訪問も終わり2009年頃本当にラジギールからガヤに抜ける鉄道の話が動き出した。しかもわざわざジェティアンに迂回するルートである。正確にはヒスアというラジギールからガヤに行くときに通る小さい町にもともとある鉄道に連結される。ここに繋がることでガヤに連結できるわけである。ラジギールとヒスアはまっすぐな道で繋がっており、道沿に作れば最も簡単で短い距離で作れるが、ジェティアンを通ることでかなり迂回することになる。ちょうどガヤ周辺の議員さんが国鉄関係大臣になったらしく、ガヤ地元へのサプライズ(ジェティアンはガヤ地区内)や利権や工事などいろんなことがあると思うが、ジェティアンに鉄道を引き駅ができることは何より嬉しかった。しかも私たちの作った堂宇の比較的近いところに駅ができるという。村の中心より堂宇の方が近いくらいだ。私たちが長年続けてきた仏像復興でこの地が注目されることがなかったらここに鉄道建設の話はなかっただろうと村人から感謝の言葉をいただいた。

工事はゆっくり進み2011年後半に完成した。実際の営業運転は2012年春から。当初駅舎を日本寺院風にしようという村人の意見もあり、簡単な図面をビハール州のインド国鉄に送ったが、いい意見だがちょっと・・的な手紙が帰ってきた。結局駅舎は出来なかった。

2012年10月。4回目の団体訪問の際には駅から力強く走る鉄道を見ることができた。

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工事中、下の完成写真がある。手前の大石は健在

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下の写真とくらべてほしい。同じ場所

 

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立っているところが元々の地面。鉄道のためこれだけ掘った。

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元々は全く何もない平地だったが堤防のような線路が数キロできた。

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ジェティアン駅

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特に駅舎というものはない。この手前数百メートルが堂宇。

 


仏像復興計画5


インドには訪問者にまず水を差し上げるという風習がある。暑い国だし美味しい水はその家や村の誇りでもある。2008年にむけて次に堂宇に何を作ろうか考えていた時このことを思い出した。2007年久々に村を訪問し村の護持委員会と話し合い、堂宇の参拝者に「お釈迦様の水・ブッダ・パーニー」として水を差し上げるために井戸を寄進したい旨を伝えた。村人は是非とも作って欲しい、堂宇近辺には自由に飲める水場がなくそれはありがたいということになった。2008年5月に有志と渡印、建設資金を村に託して10月の堂宇建設8周年記念法要にむけて建設が始まった。10月中旬、仏教青年会と有志で参拝団を組んでジェティアン村を訪れた。法要には今回も100人を超えるたくさんの人が集まり盛大に行われた。法要では堂宇内にマンゴーの記念植樹が日本からの参加者全員により行われた。

この2008年前後より堂宇にはインド人参拝者、外国人参拝者がかなり増えてきて、時折話題になっている話を聞いた。またこのころからこのジェティアン村に新たに鉄道を引き駅を作るという話が聞こえ始めた。この村までの道はガタガタの上、人口もさほど多くない普通のインドの村にわざわざ国が鉄道を引くという夢のような話はインドでよくある大風呂敷な話と思い誰も信じなかった。

ネパール本願寺・ジャティアン村法要の旅 284 (2)

井戸の水を飲む参加者

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新しく作った井戸

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jethian 村長さんと村人

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jethian 村の重鎮達と握手

 

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マンゴー記念植樹

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現地新聞 jethian 

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jethian村の子供たち


仏像復興計画4


それから堂宇は毎日村の人々によりお参りもあり、時には日本人などもちらほらお参りするようになったとの連絡を受けた。建設後2年ほどしてもともと地盤がしっかりした所ではない上、酷暑時は50度近くまで気温が上がり冬は4度くらいまで下がる過酷な場所なのでコンクリートのひび割れなどが出はじめた。また家畜の牛やヤギがお堂に入ることもあり全体の補修と全体を覆う壁を作って欲しいとの要望が出された。また私たちからもこのジェティアンの歴史を石版に掘って案内板を合わせて作りたいと意見具申した。文字はヒンディー語、英語と日本語で記入されることになった。堂宇建設4周年の完成を目指し、その後執行部数人と渡印を重ね2004年10月中旬仏教青年会有志とその友人達15名ほどで堂宇建立4周年法要のため渡印した。修繕とコンクリート製の壁と大きな案内石版の完成。さて次は4年後の2008年の8周年法要。

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法要に集まったjethian村人

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現地新聞にも大きく取り上げられた

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完成した案内板 jethian

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私たちを迎えるjethian村長ムキヤジー

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階段のひび割れ

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柱部分のひび割れ

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建設中の壁

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建設中の壁。奥に見える黄色い壁は学校の壁

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修繕の寄付金を渡す。工事は全て村の委員会に任せている。


仏像復興計画3


工事は2000年10月に完成を目指し進められた。高知県仏教青年会でも新年度より募金を募り多くの寺院から協力がいただけた。堂宇は日本のお寺風で屋根瓦や鬼瓦もコンクリートにより彫刻するように作られた。瓦一枚一枚ではなく日本のお寺の写真を見たままの外観の通りに作る。職人は瓦を見たことないインド人だ。

酷暑や雨季もありなかなか工事は進まない。落慶法要は忙しいお寺さんの団体旅行なので、出来たらさあすぐ行きますにはならない。建設と旅行準備を並行して進めた。

10月団体旅行数日前、準備のため団体より早くインドに出発した。ジェティアン村に行くと堂宇は建ったが肝心の仏像がまだ据え付けられていなかった。これは焦った。翌日ジェティアン村の村民あげて手動ウインチと人力で数百キロはある仏像が動かされ、やっとのこと堂宇に鎮座したのを確認しデリー空港に団体を迎えに行った。

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jethian 仏像を堂宇に人力であげる

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jethian 仏像を堂宇に上げる作業

数日後青年会とともにジェティアン村に無事到着した。堂宇は綺麗に飾られ多くの人が集まっていた。完成した堂宇の前に村長を始め村の重鎮が一張羅のクルタを着て整列しているのをみてこみ上げて来るものがあった。お堂の前で横に並んだ姿は彼らの姿は今も忘れることができない。

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集まった村人たち

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jethian 落慶法要

 

村の娘たちが晴れ着を着て歌で迎えてくれる。頑張ってお父さんに買ってもらったであろう新品の服を着た子供が目立つ。

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jethian村から歌のプレゼント

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参拝団の面々。堂宇上にあるのが協力いただいた寺院のドネションプレート

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村の各地から集まっている放置仏像

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近年の写真。赤い色はちゃんと祀られている証拠

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ブラックストーン。基本的に仏像はこの石で作られる。油で磨くと真っ黒になる。

村長たちを握手を交わし落慶法要修行。村の方々からのスピーチ、仏教青年会参拝団長からの挨拶、私の挨拶続いた。日本にこの繁栄をもたらしたのは仏教によるものであり、お釈迦様がサルナートで友人の僧侶に教えを説いたのちに、ビンビサーラ王を始め多くの一般民衆にこの場所で初めて教えを説いたジェティアン村は仏教の出発点でもある。その感謝を込めてこのお堂を作った。これからは村の皆さんでしっかり管理してほしい。そしてもし放置された仏像があったらここに持ってきて供養してほしいとお願いをした。

また心の中でこれを見たインド人がこのお堂をわざわざ日本から来て作る仏教徒ってなんだろう。仏教ってなんだろうと思う人がいてくれて、そして一人でもいいから仏教を学んでくれたらいいと願った。

わたしたちの本当の願いは仏像復興ではなく仏教復興である。

その後2000年から高知県仏教青年会は4年ごとに渡印しこの堂宇護持や仏像復興を行うことになった。

当時のことは中外日報という宗教新聞にも取り上げられて掲載された。

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jethian 堂宇に集まった人たち

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jethian堂宇全景

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復興された仏像。赤いのはヒンズー教徒のお参りで金箔はタイ周辺の仏教徒のお参りの証拠

 

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jethian 記念冊子