インド国民車アンバサダー


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ハウラー駅の客待ちアンバサダータクシー。

かつてインドはこれしか走っていなかったアンバサダー。正確にはムンバイ方面はPAT「ピアット」というもう少し小型の車がプラスされる。今やデリーではほとんど見ることはない。カルカッタにあるヒンドゥスタンモータースの作るこの車。地元カルカッタではまだまだ現役。インド国民車なのでかつては大統領もこれに乗って公務をこなすが、その前後の護衛車がベンツだったという笑い話?もある。ほぼ半世紀まったくモデルチェンジのない化石のような車だが、逆に部品もこの車のものしか必要いのでどこに行こうが部品供給はしっかりしていた。ただインドらしく純正部品のコピーやそのまたコピーの部品まであり気をつけて買わなければならない。

実はこの車に駐在帰国後、日本で数年間乗っていた。乗っていた仕様はエンジンはいすゞの1500ccガソリンエンジンのライセンス生産。日本国内で50台近く走っていると聞いたことがある。さてこの車、サスペンションのブッシュのへたり方と各部品のねじのゆるみが尋常でなく車検毎まし締めしてお茶を濁した。今のようにコンピュータなど全くない車なので修理屋の初老のおじさんは懐かしい懐かしいと目を輝かして直してくれた。

日本の川崎にディーラーがあって現在も販売中。HPもあるのでご参照を。

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古いタイプのアンバサダーの廃車。カルカッタにて

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人力車とアンバサダー。カルカッタ

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通常のアンバサダーのお顔

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最新のアンバサダー。顔だけすこし今風。

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日本にて。部品調達が大変だった


レムジュース、レムジュース!


インドで必ず観光客が心を痛めるには、「物乞い」であろう。あげるべきかあげないべきか。本当の田舎では見ることはないが観光地や都市では何人もの彼らからの要求に胃を痛めることになる。

いろんな意見がある。あげれば癖になって働かなくなるとか、その行為自体が仕事になっており中に実入りがよいという理由ではわざと障害者にされて街角に立たされるケースは映画「スラムドック$ミリオネア」でも描かれている。

駐在したての頃かなり戸惑った。大塔にお参りに行けば「レムジュース!レムジュース!」子供たちは声を上げて手を差し伸べる。「あめ玉くれ」と言っているらしい。そのうち観光客でないことがわかってほとんど相手にされなくなったが。しかしあげる方も考えてあげないと、大人数が押し寄せてパニックになったり、もらった人がもらってない人にやっかまれたりとかあげる方も気を使わなければならないことがわかって来た。

私はこれに関して2つの感動したことがある。高知県仏教青年会で団体参拝したおりたくさんの子供の彼らが来たのを見て、いつもは全く目立たないインドは初めてで、このように集られるのも初めてのお坊さんがとっさに近くの菓子屋からたくさんのビスケットを買って来て全員に配り始めるのを見たときだ。お金でなく子供の喜ぶビスケットを整列させ一枚一枚手渡しされた。その場にいた会員はすぐさま彼の行為を賞賛しながら手伝った。子供たちは不平も言わず喜んで手を振って分かれた。

もう一つは駐在僧の先輩が彼らの中にもしかしたら菩薩の化身がいるかもしれないその供養のために時折、この人だ!というときあげるのだと。私は今でもこれを実践している。

世の中安穏なれ

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前正覚山にて

 

 


沈香を求めて


お寺といったら「焼香」。誰もが想像するキーワードである。このお香は奥が深く品もピンキリで100円ショップでも買えるけれども高いのはゴールドより高い。有名どころでは正倉院の伽羅木に代表される「伽羅」という香木の種類。非常に高価でお寺さんも滅多に使うことはない。伽羅の次のグレードは通常「沈香」と呼ばれる。(平たく言えば沈香の濃いのが伽羅)

原産地は東南アジアでインドアッサム地方からタイ、ベトナム、マレーシアにかけて取れて、それぞれのにおいの個性がある。使用するのは主に仏教徒とイスラム教徒。イスラム教徒は宗教的に使うよりは日本の香道のように、においを楽しむために使用する。インドであちこち探したが見つかったのはオールドデリーのお香ショップ。インド香水とお香を扱い沈香は主にアッサム産を扱っていた。かつて400gの固まりが数万円で売っていたが今や数十万円。異常な値上がりは物がなくなったためで入手が困難になりつつある。

バンコクの某地区にこの沈香店が何件も集まったエリアがある。世界各国の沈香が集まり世界中のバイヤーがくるだけあり丸太のような沈香を見たときはびっくりした。日本の販売価格の3分の1ほどだろうか。客はほとんどムスリム。日本のお香バイヤーも来ている。彼らはなぜか客のバイヤーの名刺を貼り出しているのでここから仕入れたかとすぐわかる。

カンボジアのシェムリアップに来ると沈香の香木は念珠型が多く売られている。香木を焚くものではなく念珠として加工販売している。客は主に中国人。念珠は高級アクセサリーとして購入され、時には投資対象となる。それほど沈香は数が減っているのだ。当然現地カンボジア産なので安い。これが日本に来たら数倍?の値段になるようだ。

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IMG_0729 オールドデリーのお香店

 

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バンコクのお香店

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シェムリアップの沈香念珠店

 


とっても大好きドラえもん


ドラえもんは好きですか?

私の子供たちもドラえもんは好きで世代を超えた素晴らしい漫画だと思います。アジア全般にも広がるドラえもん。タイもしかり。タイ人は特に田舎の方は貧困と県単位の移動すら許可が必要など大変でドラえもんの不思議な自由道具にまさに自分の夢を託すそうで、大人気アニメである。ドラえもんグッズは山のようにありタイのコンビニでもドラえもん特集の飴販売も見たことがある。アユタヤにいった時のガイドさんがお寺にドラえもんの祠があると案内してくれた。子供に対する願い事をしてかなったらドラえもんの人形を奉納する。

場所は変わってインド。オールドデリー。ムスリム地区の子供土産店でインドのドラえもんを見つけた。思わず買った。帰国し子供にあげるといらないと言った。だってドラえもんじゃないもん。

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ワット、ヤイチャンモンコンの祠

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オールドデリーのドラちゃん


初めてのインド


初めてのことは誰にでもある。インドに始めていったのは1995年の5月だった。カルカッタから入りデリー経由でベナレス。その後カルカッタから帰国という約1週間の行程。親友と二人で行った。

まさにバックパッカーの初級者でびびりにビビってよく旅行記で見るそのまんまのだまされ方。ぼられ方を一通り経験した。今思えばだが当時はそれで正しいと思っていた。それはそれでいい思いでになった。

ガートと呼ばれる川岸の一番北の方にある、たしかカシーガートというところのゲストハウスだった。そこに3泊ほど。酷暑シーズンなので摂氏45度以上でエアコンなし。ほとんど寝れなかったしすぐ下痢になりこの後駐在するブッダガヤでやっていけるか心配したものである。

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ガンジス川よりベナレスを眺める

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洗濯をする人々。このすぐ上流は火葬場でその遺骨や遺体を流している。


ぼったくりしないインド人


 

インド人はすぐぼったくって信用ならん。インドを旅行する人に取って100%立ち向かう難題である。特に交通機関、タクシー系交渉は確実に旅行者のストレスとなる。日本のような料金メーターはない。インドの田舎の主流はサイクルリキシャ。自転車を改造した人力車。聖地ブダガヤも数多くのサイクルリキシャが走っている。

ブダガヤは観光地。必ずぼってくる。駐在したての頃これに悩まされた。駐在していた日本寺からブッダガヤ大塔まで、人によってはこの約2キロを100rs、300円(当時レート)という。インド人の平均月給を考えても高すぎる。1ヶ月ほどしてブッダガヤの人にも顔を覚えてもらい結局基本は5RSつまり15円。あるとき自信に満ちた顔をしているおじさんのリキシャに乗った。3RSと言った。地元価格である。本人から言った値段で交渉はしていなかった。それから帰国するまで。彼は私の専属になった。大塔のリキシャ乗り場には通常20台以上のリキシャが客待ちをしており、客が来るとそれはそれは入り乱れての客争奪戦となる。私たちは目をあわすやいなやその混乱を無視し颯爽と乗り込でいた。周りのリキシャマン(リキシャ運転手)からは閃光のまなざしである。仲間から「どうしてお前のにだけ乗るのだ!」彼は「いつもだよ」か「専属だよ」みたいなことを言っていた。これがほぼ毎日続いた。

帰国しすでに十数年以上。今も私は彼のリキシャがいれば颯爽と乗り込む。会話はない。お互いニヤリと笑うくらい。心でわかる。ほんと最近インドに行ったとき始めて名前を聞いた。日本語で「美しい人」という意味であった。なぜ今まで聞かなかったか。お互いそのような会話はなかった。不思議だ。出入りの激しいリキシャマンの中では超古株である。彼はまじめにぼりもせずきっちり自分の仕事を行っている。顧客も地元では実に多い。

今も阿吽の呼吸で日本から数年に一度の私をのせてくれる。ジャリジャリという警告音の鈴の中、野焼きや排気ガスのにおいを嗅ぎながらリキシャはゆっくりゆっくり進む。もちろん今は3RSなんて野暮な金額は払いません。

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