仏像復興計画2


帰国して私は高知県の超宗派の「高知県仏教青年会」に入会した。インド帰りということで先輩などから可愛がられた。そんな時このジェティアンの仏像の話をしたら青年会でその仏像のために堂宇(お堂)を作ろうという話になった。ちょうど青年会発足25周年に重なることもあり話もトントン拍子に動いたが問題も起こった。仏像を起こすくらいなら村の許可でも問題ないが建物を建てるとなるとガヤ市の公的許可が必要になった。

99年12月仏教青年会有志2人と共にジェティアン村に起工式とガヤ市長への許可をもらいに渡印した。起工式は村人がたくさん集まり地元に伝わるヒンズー教の儀式により盛大に行われた。

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起工式のようす jethian

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起工式のインド新聞記事 jethian

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村人の書いた願書。村の主な方の同意サイン入り建設願い書

インド地図

ジェティアンの場所 jethian

ところがガヤ市の建設許可で起工式の数ヶ月前から願書は村長から提出されていたがまったく動きがない。いつ許可が出るのかもまったくわからないということだった。まあインドらしい。これは直談判しかない。完璧な書類を作り会うことにした。私たちはガヤ市役所に行く前に管轄する区長の許可をもらい、規約、堂宇建設のインド銀行口座まで作って出向いた。初日はあってもくれない。明日こいという。翌日何時間も待たされた。やっと通された時は疲労困憊。市長(DM)にこのたびの計画と署名などの書類を見せる。私たちは満面の笑顔で許可を待った。隣の参謀が書類を見ながら喋るとすんなり市長は幾つかの条件を出し許可を出してくれた。明日までに許可証を作らすから出直せという。ありがとうございます!完成の折には是非ともお出でくださいといい事務所を出た。 あたりはもう暗くなりかけていた。翌日建設許可証が無事発行された。さあ工事の始まりだ。

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ジェティアン仏像    jethian

 

 

 

 


仏像復興計画1


98年末。ラジギールへの出張のとき日本寺ドライバーのBが学生のころ受験でガヤ市郊外ジェテアン村にある学校の前に放置された大きい仏像を見たことがあるので、ちょうどラジギール出張で帰り道に立ち寄れる距離なので行きませんかという話があった。

そこはガヤ市郊外の田舎でラジギールとブッダガヤを結ぶ旧道にある大きな学校がある以外はごく普通の農業主体のジェティアンという村であった。村の入り口の丘の上に椅子に座った姿のお釈迦様のブラックストーンという石で作られた仏像が放置されていた。13世紀ムスリムが侵攻した時の名残である。近所のおばさんたちが簡単な供え物はしていたが倒れかかり何百年と放置されている仏像であった。

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ジェティアン仏像 jethian

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ジェティアン仏像、遠景 jethian

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ジェティアン仏像     jethian

 

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村の人に守られている jethian

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近所のおばさんがお参りにくる

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その他放置されたヒンズーの神様像

この村はマガダ国首都ラジギールのビンビサーラ王にお釈迦様が佛法を初めて説いた場所であり、またお釈迦様が安居という雨季の期間出歩かず一箇所に留まって勉強する場所に一時期使ったり、お釈迦様が住んだこともある洞窟があったり、またまた三蔵法師が訪れたという記録も残っているという言わば忘れられた聖地であった。しかしこのようなことは後になって知ったのであってその時は知る由もなかった。

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ジェティアン村人との協議

このとき私と駐在同期のY師と訪れ、あまりの放置ぶりに、この傾いた仏像をせめて土台に乗せて日本で言うところのお地蔵さんくらいの形にしましょうと決めた。その後ジェティアン村の人々とも話し合い、それならどうぞ作ってくださいという話でまとまった。ちょうど私は駐在を終えて帰国することとなったが、必ず帰国しても復興しようと誓った。