仏像復興計画6


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ガヤ地区ヒスア周辺の踏切にて

 

2008年の訪問も終わり2009年頃本当にラジギールからガヤに抜ける鉄道の話が動き出した。しかもわざわざジェティアンに迂回するルートである。正確にはヒスアというラジギールからガヤに行くときに通る小さい町にもともとある鉄道に連結される。ここに繋がることでガヤに連結できるわけである。ラジギールとヒスアはまっすぐな道で繋がっており、道沿に作れば最も簡単で短い距離で作れるが、ジェティアンを通ることでかなり迂回することになる。ちょうどガヤ周辺の議員さんが国鉄関係大臣になったらしく、ガヤ地元へのサプライズ(ジェティアンはガヤ地区内)や利権や工事などいろんなことがあると思うが、ジェティアンに鉄道を引き駅ができることは何より嬉しかった。しかも私たちの作った堂宇の比較的近いところに駅ができるという。村の中心より堂宇の方が近いくらいだ。私たちが長年続けてきた仏像復興でこの地が注目されることがなかったらここに鉄道建設の話はなかっただろうと村人から感謝の言葉をいただいた。

工事はゆっくり進み2011年後半に完成した。実際の営業運転は2012年春から。当初駅舎を日本寺院風にしようという村人の意見もあり、簡単な図面をビハール州のインド国鉄に送ったが、いい意見だがちょっと・・的な手紙が帰ってきた。結局駅舎は出来なかった。

2012年10月。4回目の団体訪問の際には駅から力強く走る鉄道を見ることができた。

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工事中、下の完成写真がある。手前の大石は健在

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下の写真とくらべてほしい。同じ場所

 

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立っているところが元々の地面。鉄道のためこれだけ掘った。

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元々は全く何もない平地だったが堤防のような線路が数キロできた。

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ジェティアン駅

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特に駅舎というものはない。この手前数百メートルが堂宇。

 


仏像復興計画5


インドには訪問者にまず水を差し上げるという風習がある。暑い国だし美味しい水はその家や村の誇りでもある。2008年にむけて次に堂宇に何を作ろうか考えていた時このことを思い出した。2007年久々に村を訪問し村の護持委員会と話し合い、堂宇の参拝者に「お釈迦様の水・ブッダ・パーニー」として水を差し上げるために井戸を寄進したい旨を伝えた。村人は是非とも作って欲しい、堂宇近辺には自由に飲める水場がなくそれはありがたいということになった。2008年5月に有志と渡印、建設資金を村に託して10月の堂宇建設8周年記念法要にむけて建設が始まった。10月中旬、仏教青年会と有志で参拝団を組んでジェティアン村を訪れた。法要には今回も100人を超えるたくさんの人が集まり盛大に行われた。法要では堂宇内にマンゴーの記念植樹が日本からの参加者全員により行われた。

この2008年前後より堂宇にはインド人参拝者、外国人参拝者がかなり増えてきて、時折話題になっている話を聞いた。またこのころからこのジェティアン村に新たに鉄道を引き駅を作るという話が聞こえ始めた。この村までの道はガタガタの上、人口もさほど多くない普通のインドの村にわざわざ国が鉄道を引くという夢のような話はインドでよくある大風呂敷な話と思い誰も信じなかった。

ネパール本願寺・ジャティアン村法要の旅 284 (2)

井戸の水を飲む参加者

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新しく作った井戸

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jethian 村長さんと村人

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jethian 村の重鎮達と握手

 

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マンゴー記念植樹

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現地新聞 jethian 

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jethian村の子供たち


仏像復興計画4


それから堂宇は毎日村の人々によりお参りもあり、時には日本人などもちらほらお参りするようになったとの連絡を受けた。建設後2年ほどしてもともと地盤がしっかりした所ではない上、酷暑時は50度近くまで気温が上がり冬は4度くらいまで下がる過酷な場所なのでコンクリートのひび割れなどが出はじめた。また家畜の牛やヤギがお堂に入ることもあり全体の補修と全体を覆う壁を作って欲しいとの要望が出された。また私たちからもこのジェティアンの歴史を石版に掘って案内板を合わせて作りたいと意見具申した。文字はヒンディー語、英語と日本語で記入されることになった。堂宇建設4周年の完成を目指し、その後執行部数人と渡印を重ね2004年10月中旬仏教青年会有志とその友人達15名ほどで堂宇建立4周年法要のため渡印した。修繕とコンクリート製の壁と大きな案内石版の完成。さて次は4年後の2008年の8周年法要。

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法要に集まったjethian村人

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現地新聞にも大きく取り上げられた

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完成した案内板 jethian

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私たちを迎えるjethian村長ムキヤジー

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階段のひび割れ

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柱部分のひび割れ

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建設中の壁

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建設中の壁。奥に見える黄色い壁は学校の壁

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修繕の寄付金を渡す。工事は全て村の委員会に任せている。


仏像復興計画3


工事は2000年10月に完成を目指し進められた。高知県仏教青年会でも新年度より募金を募り多くの寺院から協力がいただけた。堂宇は日本のお寺風で屋根瓦や鬼瓦もコンクリートにより彫刻するように作られた。瓦一枚一枚ではなく日本のお寺の写真を見たままの外観の通りに作る。職人は瓦を見たことないインド人だ。

酷暑や雨季もありなかなか工事は進まない。落慶法要は忙しいお寺さんの団体旅行なので、出来たらさあすぐ行きますにはならない。建設と旅行準備を並行して進めた。

10月団体旅行数日前、準備のため団体より早くインドに出発した。ジェティアン村に行くと堂宇は建ったが肝心の仏像がまだ据え付けられていなかった。これは焦った。翌日ジェティアン村の村民あげて手動ウインチと人力で数百キロはある仏像が動かされ、やっとのこと堂宇に鎮座したのを確認しデリー空港に団体を迎えに行った。

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jethian 仏像を堂宇に人力であげる

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jethian 仏像を堂宇に上げる作業

数日後青年会とともにジェティアン村に無事到着した。堂宇は綺麗に飾られ多くの人が集まっていた。完成した堂宇の前に村長を始め村の重鎮が一張羅のクルタを着て整列しているのをみてこみ上げて来るものがあった。お堂の前で横に並んだ姿は彼らの姿は今も忘れることができない。

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集まった村人たち

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jethian 落慶法要

 

村の娘たちが晴れ着を着て歌で迎えてくれる。頑張ってお父さんに買ってもらったであろう新品の服を着た子供が目立つ。

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jethian村から歌のプレゼント

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参拝団の面々。堂宇上にあるのが協力いただいた寺院のドネションプレート

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村の各地から集まっている放置仏像

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近年の写真。赤い色はちゃんと祀られている証拠

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ブラックストーン。基本的に仏像はこの石で作られる。油で磨くと真っ黒になる。

村長たちを握手を交わし落慶法要修行。村の方々からのスピーチ、仏教青年会参拝団長からの挨拶、私の挨拶続いた。日本にこの繁栄をもたらしたのは仏教によるものであり、お釈迦様がサルナートで友人の僧侶に教えを説いたのちに、ビンビサーラ王を始め多くの一般民衆にこの場所で初めて教えを説いたジェティアン村は仏教の出発点でもある。その感謝を込めてこのお堂を作った。これからは村の皆さんでしっかり管理してほしい。そしてもし放置された仏像があったらここに持ってきて供養してほしいとお願いをした。

また心の中でこれを見たインド人がこのお堂をわざわざ日本から来て作る仏教徒ってなんだろう。仏教ってなんだろうと思う人がいてくれて、そして一人でもいいから仏教を学んでくれたらいいと願った。

わたしたちの本当の願いは仏像復興ではなく仏教復興である。

その後2000年から高知県仏教青年会は4年ごとに渡印しこの堂宇護持や仏像復興を行うことになった。

当時のことは中外日報という宗教新聞にも取り上げられて掲載された。

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jethian 堂宇に集まった人たち

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jethian堂宇全景

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復興された仏像。赤いのはヒンズー教徒のお参りで金箔はタイ周辺の仏教徒のお参りの証拠

 

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jethian 記念冊子

 


仏像復興計画2


帰国して私は高知県の超宗派の「高知県仏教青年会」に入会した。インド帰りということで先輩などから可愛がられた。そんな時このジェティアンの仏像の話をしたら青年会でその仏像のために堂宇(お堂)を作ろうという話になった。ちょうど青年会発足25周年に重なることもあり話もトントン拍子に動いたが問題も起こった。仏像を起こすくらいなら村の許可でも問題ないが建物を建てるとなるとガヤ市の公的許可が必要になった。

99年12月仏教青年会有志2人と共にジェティアン村に起工式とガヤ市長への許可をもらいに渡印した。起工式は村人がたくさん集まり地元に伝わるヒンズー教の儀式により盛大に行われた。

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起工式のようす jethian

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起工式のインド新聞記事 jethian

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村人の書いた願書。村の主な方の同意サイン入り建設願い書

インド地図

ジェティアンの場所 jethian

ところがガヤ市の建設許可で起工式の数ヶ月前から願書は村長から提出されていたがまったく動きがない。いつ許可が出るのかもまったくわからないということだった。まあインドらしい。これは直談判しかない。完璧な書類を作り会うことにした。私たちはガヤ市役所に行く前に管轄する区長の許可をもらい、規約、堂宇建設のインド銀行口座まで作って出向いた。初日はあってもくれない。明日こいという。翌日何時間も待たされた。やっと通された時は疲労困憊。市長(DM)にこのたびの計画と署名などの書類を見せる。私たちは満面の笑顔で許可を待った。隣の参謀が書類を見ながら喋るとすんなり市長は幾つかの条件を出し許可を出してくれた。明日までに許可証を作らすから出直せという。ありがとうございます!完成の折には是非ともお出でくださいといい事務所を出た。 あたりはもう暗くなりかけていた。翌日建設許可証が無事発行された。さあ工事の始まりだ。

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ジェティアン仏像    jethian

 

 

 

 


仏像復興計画1


98年末。ラジギールへの出張のとき日本寺ドライバーのBが学生のころ受験でガヤ市郊外ジェテアン村にある学校の前に放置された大きい仏像を見たことがあるので、ちょうどラジギール出張で帰り道に立ち寄れる距離なので行きませんかという話があった。

そこはガヤ市郊外の田舎でラジギールとブッダガヤを結ぶ旧道にある大きな学校がある以外はごく普通の農業主体のジェティアンという村であった。村の入り口の丘の上に椅子に座った姿のお釈迦様のブラックストーンという石で作られた仏像が放置されていた。13世紀ムスリムが侵攻した時の名残である。近所のおばさんたちが簡単な供え物はしていたが倒れかかり何百年と放置されている仏像であった。

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ジェティアン仏像 jethian

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ジェティアン仏像、遠景 jethian

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ジェティアン仏像     jethian

 

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村の人に守られている jethian

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近所のおばさんがお参りにくる

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その他放置されたヒンズーの神様像

この村はマガダ国首都ラジギールのビンビサーラ王にお釈迦様が佛法を初めて説いた場所であり、またお釈迦様が安居という雨季の期間出歩かず一箇所に留まって勉強する場所に一時期使ったり、お釈迦様が住んだこともある洞窟があったり、またまた三蔵法師が訪れたという記録も残っているという言わば忘れられた聖地であった。しかしこのようなことは後になって知ったのであってその時は知る由もなかった。

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ジェティアン村人との協議

このとき私と駐在同期のY師と訪れ、あまりの放置ぶりに、この傾いた仏像をせめて土台に乗せて日本で言うところのお地蔵さんくらいの形にしましょうと決めた。その後ジェティアン村の人々とも話し合い、それならどうぞ作ってくださいという話でまとまった。ちょうど私は駐在を終えて帰国することとなったが、必ず帰国しても復興しようと誓った。