弘願寺開祖については土佐藩、明治時代に知事に提出した「弘願寺文書」や墓石、口伝からしか明らかな資料はなく「岡山の児島城の城主でこの地に来た、小島高行の子高治が開祖である」までしか分からずそれ以前の本当に児島城に関係あるのかが不確かでした。この度、児島市図書館に行き調べた結果「太平記」で有名な児島城城主、児島高徳の孫に小島高家と小島(児島)高行が実際におり弘願寺文書の通り開祖は児島城の城主兄弟ということがわかりました。

何度が調べに行こうと試みましたがやっと行けて謎が解けて安心しました。

またお寺周辺は児島家の荘園のような場所で児島高家の子供も「土佐守」として役職を与えられています。もともと縁がなければいきなり住むことは時代が時代だけに無理があります。

また春野周辺の小島家は各家の過去帳などからこの流れをくんでいると思われます。