永代経法要がおこなわれました

9月9日10日と弘願寺永代経法要が行われました。
講師は香川の片山英道師です。

婦人会の皆様には御斎接待の準備をしていただきました。
10日昼の御斎です
新米、おでん、酢のものなどです。
8月にお坊さんになった長女が初出勤です。
毎回たくさんのお参りありがとうございます

おみがき

9月3日は年に一度の「おみがき」です。平たくいえば大掃除です
浄土真宗は門徒で作り上げた寺です。
ですので仏具も門徒といっしょに年に一度磨き上げます。
他の宗派にはない浄土真宗の特徴といえます。
9.10日に迎える「永代経法要」のために行います。

毎年25名ほどの方が来ていただきます。
男性は主に外回りの木の剪定などしていただいています。
毎年ありがとうございます

盆会

8月19日 盆会です 講師は福山市 枝廣大智師でした。


山号軸 志静禅師

弘願寺の山号は「光暁山」こうぎょうざんですが、本堂前に達筆の山号軸があります。
さて誰が書いたのでしょう
改めて研究してみましたので発表します
それは志静禅師といいます
弘願寺11世住職は山内家と縁があったため当時お城に出入りが自由であり文化人を交流があり禅師とも交流がありました為。書いていただいたものです。
この流れから11世住職は安芸市の城内御用医師 手島家からお嫁に来ています。 
縁とは不思議なもので通常にお坊さんは同宗派としか交流がないことが多いですが、歴代弘願寺住職は宗派を超えて付き合いが深くあります。


釈志静禅師 (徹翁)

1784年~1854年
文人 常行寺住職

芸術センスにあふれた文人住職

天明4年、越後国(新潟県)に生まれる。幼い悪露に郷里の寺に入り、後に信濃国(長野県)の松代越下長岡寺の跡をつぐことになった。そして文化の末、土佐に来て安田町法禅寺の住職になり、荒れ果てていた同寺を檀家の援助を受け復興させました。また、藩主が大法要を営んだ時に述べた仏法の考えが認められ高知城下江ノ口瑞応寺の住持にもなっています。 

多種多芸の文人で交友も広く、岡本寧浦、髙松順蔵、髙松濤亭、斉藤梅外、豊永弥三郎らと親交をもった。その人となりは穏やかでさっぱりしており、質素を好み、悟りの道にも深かったようです。また、詩文、俳諧、茶道、書道にも造詣が深く、尺八の名手でもあり、絵画や造園までも手掛けるほど芸術的な才能にあふれていました。

天保5年には真如寺に移り、老後は安田少林山常行寺の住職として余生を送りました。

7月常例布教

7月19日20日は常例布教でした。
講師は7年ぶり兵庫県 網干善一郎師でした。
ありがたいお話ありがとうございました。

裏山工事その後

裏山の工事も今年度に入り引き続き行われています

弘願寺14世坊守 初盆 一周忌

14世 坊守 花岡美智子 初盆 一周忌が行われました。
有縁のお坊さんによりお勤めいただきました。
早いものです。

境内庭剪定、駐車場整備

友人から海外赴任とのことで大量の椿をいただきました。早速植えていきます。
境内に植えてもらいました。来年の冬が楽しみです。
境内の剪定もしていただきました。
第二駐車場の雨天時のぬかるみが気になるので石を入れて入れてもらいました。ぬかるむ場所に石をひきました。

高知南組平和研修会

浄土真宗作成の「沖縄戦」の平和研修が弘願寺で行われました
講師は住職です。
約20名の参加。南組の研修会は10年くらいぶりです。

6月常例法座

6月19.20日常例法座です。
もう6月。半年で明けましておめでとうです。月日は早い。
20日朝
講師は呉市 服部法紹師でした。
ありがたい法話ありがとうございました・
令和8年の9月永代経法要のご縁結ばせていたtきました。
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