浄土真宗本願寺派 弘願寺
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ご挨拶
浄土真宗本願寺派 光暁山 弘願寺 -どうぞお気軽にお寺にお参りください-浄土真宗本願寺派は親鸞聖人を宗祖と仰ぎ、門主を中心として浄土真宗の教義をひろめ、自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献することを目的としています。弘願寺は浄土真宗本願寺派のお寺として今から約 500年前に西畑に開山しました。
宗祖(開祖)は親鸞聖人、ご本尊は阿弥陀如来です。 ご門信徒のお寺として浄土真宗のみ教えを伝えています。
第16世住職 釋 正覚 -
弘願寺浄土真宗本願寺派について・弘願寺について・年中行事について
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年中行事について 浄土真宗の主な年中行事について
弘願寺にて勤められる浄土真宗の法要・儀式等、年中行事についてのご案内です。
どうぞお気軽にお参りくださいませ。-
修正会(しゅしょうえ)
弘願寺ではお正月午前十時から1時間ほど新年を祝い、これからの一年を仏教徒として生き方、目標などをあらためて正しく直し仏前にお誓いする修正会を行っています。
元旦のみ限定の腕輪念珠がもれなくもらえますのでどうぞご参拝ください。
- 常例法座
弘願寺では4月から10月まで19日午後7時半と20日朝10時から約2時間、法座を行っています 。
お経のお勤めの後、全国各地から布教使(説教師)をお招きして仏教やお念仏のお話が聞けます。
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永代経法要(えいたいきょうほうよう)
毎月9月中旬、ご先祖に対する感謝とお念仏が伝わりますように願いをこめて2日間にわたり、講師先生、近隣のお寺さんも招き多くの門徒が参拝する中、永代経法要がおこなわれます。
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花まつり
4月8日を中心に行われるお釈迦様のお誕生をお祝いする法会。弘願寺では3回行います。
4月1日の花まつりは子供が白象にのったお釈迦さまを地元西畑の道を引きながらお寺まで練り歩き、本堂で花まつり法要を行います。カレーを食べたりと盛大に行われます。 その他5月19日夜にも婦人会が中心となって行い、地元の仁西保育園の花まつりも行われます。 -
報恩講法要(ほうおんこうほうよう)
毎年11月中旬に行われる宗祖親鸞聖人の御法事。
浄土真宗では最も大切な法要で親鸞聖人への感謝を込めて講師先生や近隣のお寺さんも招き多くの門徒が参加する中、2日間法要が行われます。
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弘願寺盆踊り
夏の盆踊り大会の様子
- 弘願寺子供会
花まつりの後のカレーライス -
弘願寺子供会
弘願寺は子供とお念仏とのご縁をつなぐ子供会活動を行っています。
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交通案内お車でおいでになる方は、こちらの地図にてご確認ください
駐車場について:
お寺の前に約7台、徒歩1分の第二駐車場に約15台ほど駐車できます。
浄土真宗本願寺派 弘願寺
住所: 〒781-0324
高知県高知市春野町西畑1037
お車でお越しの方
高知市内からお越しの方:
国道56号線 と 県道14号線 経由
高知駅から自家用車で約30分
高岡方面からお越しの方:
国道56号線 と 県道14号線 経由
土佐市中心部から自家用車で約15分
宇佐方面からお越しの方:
県道23号線 と 県道14号線 経由
宇佐港から自家用車で約15分 -
寺院紹介弘願寺の歴史
開祖は小島(小嶋)五郎高治、法名は祐願といい永正二年(1505年)に開山。父は小島久兵衛高行、備前児島城の城主でありました。文明時代(1469年〜1486年)戦乱により側近とともに城を追われ、父子共々家臣と四国山地を通りこの地にたどり着き、春野の支配弘岡城主吉良氏に延徳二年(1490年)に仕えましたが、戦乱の世に無情を感じ、五郎高治が出家したのが始まりであるとお寺の弘願寺の文書に明記されています。
その後、宝永地震大津波によって本堂流出や仁淀川の氾濫などいくたびの困難を門徒と共に乗り越えて500年間この地でお念仏の教えを伝えています。
弘願寺鬼瓦
現存する土佐柏紋鬼瓦では最大級の弘願寺鬼瓦(高知県安芸の土佐藩御用瓦師五郎右衛門作)で使われている山内家土佐柏紋は二代目城主山内忠義から弘願寺に与えられた紋です。
城主は二宮横波鴨無宮の参拝のおりに時折この寺に立ち寄られ、いろいろな品物を拝領したと弘願寺文書にはあり、現在も寺宝として寺には山内家金箔紋入りの燗鍋が残されています。 特に4男の山内遠江守一安公は体が弱くそのリハビリを兼ねて弘願寺、西畑に遠行し、狩りや釣りをされたとあります。
またこの地の事情を聞き、米三十石を下賜された記録もあります。一安公は二十五才で往生されますが、弘願寺に位牌を預けたこともあり、現在も位牌名は弘願寺文書に記載されております。
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寺院紹介弘願寺庭園
弘願寺の参道から山門、庭園にかけて見所を紹介します。
参道前にある大きい石柱は御門徒より天然大庵治石の寄進をうけ親鸞聖人750回大遠忌の記念に建てました。また参道石畳も御寄進によるものです。
山門はもともとは弘願寺のものではなく江戸末期の第11世住職坊守の実家 土佐山内家御用医者の安芸市 手島家実家より、手島家が東京に引っ越しをする時、そのままにするのは惜しいというので寄進を受けたものです。
庭園には樹齢約250年の大銀杏がそびえ立ちます。
仏閣にはよく火事のとき水を吹くとの言い伝えから銀杏が植えられています。
さてこのお寺は北には山、その山の谷から東側に小川が流れその水がお寺の南側池に流れます。南側は池を含む広い庭園であり、西側には庫裏が有りますがここが僧侶、門徒の動線(道)になります。
このお寺の作りは浄土真宗には珍しく風水の伝統、四神相応で作られていると伝えられています。
山門を抜けると親鸞聖人の銅像が建っています。
これも親鸞聖人750回大遠忌の記念にご門徒よりご寄進いただきました。
本堂前に進むとあまり日本では見ることのできない大きな足を彫り込んだ石が見えてきます。これは仏足石(ぶっそくせき)といって元々お釈迦様を表すものです。
お釈迦様が往生されたのち約500年間は仏像を造ることは不遜なこととされ仏足石や菩提樹でお釈迦様を表して崇拝してきました。
ここにある仏足石はお釈迦様が悟りをひらいたインドにある最も歴史ある尊い形のものを石材質、デザイン、制作する職人も実物を作った末裔に作成していただきインドより運んできたものです。
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寺院紹介弘願寺納骨堂
弘願寺には納骨堂が有ります。
インドのお釈迦さまの悟りをひらいたブッダガヤの大菩提寺をモチーフにインド石により作りました。
納骨の相談、永代経の相談いつでもお受けいたします。
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浄土真宗の教章(私の歩む道)
浄土真宗の教章(私の歩む道)とは、親鸞聖人(しんらんしょうにん)の流れをくむものとして心に銘ずべき内容を定めたものです。
宗名 浄土真宗(じょうどしんしゅう)
宗祖 (ご開山) 親鸞聖人(しんらんしょうにん)
ご誕生 1173年5月21日(承安(じょうあん)3年4月1日)
ご往生 1262年1月16日(弘長(こうちょう)2年11月28日)
宗派(しゅうは) 浄土真宗本願寺派(じょうどしんしゅうほんがんじは)
本山(ほんざん) 龍谷山(りゅうこくざん)本願寺(ほんがんじ)(西本願寺(にしほんがんじ))
本尊(ほんぞん) 阿弥陀如来(あみだにょらい)(南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ))
聖典(せいてん)
釈迦如来(しゃかにょらい)が説(と)かれた「浄土三部経(じょうどさんぶきょう)」
・仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
・仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
・仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)
宗祖親鸞聖人(しゅうそしんらんしょうにん)が著述(ちょじゅつ)された主な聖教(しょうぎょう)
・正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)
・教行信証(きょうぎょうしんしょう)
・行巻末(ぎょうかんまつ)の偈文(げもん))
・浄土和讃(じょうどわさん)
・高僧和讃(こうそうわさん)
・正像末和讃(しょうぞうまつわさん)
中興(ちゅうこう)の祖(そ)蓮如上人(れんにょしょうにん)のお手紙
・御文章(ごぶんしょう)
教義
阿弥陀如来の本願力によって信心をめぐまれ、念仏を申す人生を歩み、この世の縁が尽きるとき浄土に生まれて仏となり、迷いの世に還って人々を教化する。
生活
親鸞聖人の教えにみちびかれて、阿弥陀如来のみ心を聞き、念仏を称えつつ、つねにわが身をふりかえり、慚愧と歓喜のうちに、現世祈祷(げんぜきとう)などにたよることなく、御恩報謝(ごおんほうしゃ)の生活を送る。
宗門
この宗門は、親鸞聖人の教えを仰ぎ、念仏を申す人々の集う同朋教団であり、人々に阿弥陀如来の智慧と慈悲を伝える教団である。それによって、自他ともに心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献する。